16


「あれ、また出掛けんの?」

「はい、先程行けなかった場所を回って来ます。神使殿は二人共、神社にいますので、何かあれば彼らに言って下さい。私もすぐに帰って来ますから」

「…俺も行く」


え、と目を丸くするフウガに、アリアはじとっと睨んだ。


「なんだよ」

「…いえ、体調が悪いのに行きたいなんて言うとは思わず、つい」


正直に心中を吐露するフウガに、アリアはムッと眉を寄せたが、めげずに布団をはねのけた。


「別に良いだろ。それに、早く神様が戻って来ないと、俺が疲れるし」

「まぁ、そうですが…。でも今は、夜に備えて休んで下さい、あなた今、倒れたばかりでしょう。神様は私が探しますから」


危なっかしいと言いたげなフウガに、アリアは再びじと、とフウガを睨んだ。


「…お前だって休んでないだろ」


言うか言うまいか迷っていたが、アリアだってフウガがろくに寝ていない事くらいは気づいていた。


「私はあなたを運ぶだけですから、大した苦労はしてませんよ」


だが、フウガはいつだって軽やかにアリアの言葉をかわしていく。それは予想ついていたが、それでもアリアは焦って言葉を探した。「でもさ、ほら、」と、なかなか言葉が出てこないが、それでも着いて行きたい思いは伝わったのだろう、フウガは首を傾げた。


「一体、どうしたんですか?天界では、何が何でも働こうとしなかったのに」


フウガとしては、こう簡単に心変わりするだろうかと、純粋に疑問に思ったようだ。


「何が何でもって…まぁ、そうだけど」


呟き、アリアはそっと自分の手の平を撫でた。昨夜の火傷のような傷痕は綺麗に消えたが、先程浮かび上がったものは、まだ生々しく体に訴えかけてくる。


内側にいる何者かが傷痕を通じて、この体は俺のもんだぞと言っているようで、アリアは時折、恐怖を感じる事がある。突然使えるようになった未知なる力だ、得体が知れなくて、大きすぎて、本当にこれが自分の力なのか、これは誰かの力で、この体も誰かのもので、自分はいつかこの力の持ち主に呑まれてしまうのではないか、そう思う事もある。それでも恐怖を振り払ってこれたのは、その力の存在と引き換えに得た、自分の役割があるからだ。もう自分の事を知ろうとしても頭が痛くなる事はないし、仕事の上での伝言だって文字だって書ける。


自分は普通だって、思う事が出来る。そう、ようやく出来たのに。


「だって…。俺、ちゃんと役に立ってる…?」


フウガは、きょとんと目を瞬いた。遅れて頷いたフウガに、アリアは居心地悪そうな様子で、視線を少しうろつかせた。


「…俺、本当に何も出来なかったからさ」

「したくなかったんではなく?」


疑り深く聞いてくるフウガに、「これでも色々あんだよ」と、アリアは苦い顔を作った。フウガは少し思案したようだが、やがて思い直した様子で顔を上げた。


「まぁ、そうですね。話を戻しましょう、あなたは役に立ってますよ」


さも当然のように言われたが、アリアの返事は煮え切らないものだった。フウガが不可解に眉を寄せるのを見て、アリアは「だってさ」と視線を落とし、傷の見える手を片方の手の平で包んだ。


「救えない命は多いじゃん。なんか、分かんなくて。目の前の死期リストは変えちゃいけないのは分かるし、でも、悪魔の手の被害者だけを救うのってさ、いや、それも全部救えてないんだけど、なんか…」


何も出来ないと思っていたのに、今のアリアには役割がある、出来る事がある。頭がおかしくなって何も出来なくなる事もない、必要だと言って貰えて本当は嬉しかった。今でも怠け癖を発揮する事はあるけど、以前とは違う。文句を言っても、いくら怠いと思っても、それでも必要とされているのだと思えば、気持ちが前向きに変わっていった。


だから、怖い。


もし失敗したら、必要ないと思われたら、今度こそ自分は何者でもなくなってしまう。もう失いたくなかった、自分が必要とされると思ってしまったから。何も出来ない、何にもなれない自分は、苦しいだけだ。


でもその力を、本当に正しく使えているんだろうか。

その力を使うのは、正しい事なのだろうか。同時にそんな不安も常にあり、分からないから、いても立ってもいられない時がある、今がその時だった。不安だから、じっとしているのが辛かった。



アリアは言葉の先の思いを、声には出せずに唇を閉じた。フウガに言ったところで困らせるだけだ、何を思い考えていようともやることは決まっている、それなら思い悩むだけ無駄だ、フウガだってきっとそう言うだろう。アリアは思い直し、両手を払うように擦り合わせると、笑って後ろ手につき、布団に痛みを押しつけた。


「ごめん、なんか頭ごっちゃになってる。訳分かんねぇな、これじゃ」

「救えていますよ、ちゃんと」


え、と、アリアは顔を上げた。見ると、真っ直ぐ見つめるフウガの瞳と目があった。眼鏡越しの眼差しは、相変わらずキリリとして隙がないが、それでも冷たいのとは違う、笑って放り出そうとした心を受け止めようとしてくれているような、そんな強い眼差しだった。


「昨夜、助けた人間に優しいと言われたのは、私ではなくあなたですよ」

「…それは、お前があの人間を置いて行かなかったからだろ」


それに、フウガがいつも自分を守ってくれていたからだと、アリアは心の中で続けた。だからその分、アリアは周りを見る余裕が出来た。自分のようにぐったりと倒れた人間に、手を差しのべたいと思った。


「あなたに言われなければ、私はあのまま帰りましたよ。あなたは、ちゃんと出来てますよ。

あなたの仕事は、悪魔の手から人を救う事。与える力は、この世界を正常に保つ為のもの、あなたは間違っていませんよ」


真っ直ぐと届くフウガの声が、心強く胸に響いてしまう。アリアが戸惑って、うろうろと視線を彷徨わせれば、フウガは少し困った様子で眉を下げた。


「もし何か…あなたが責められるような事があるなら、私も隣りにいますから。私はあなたのお世話係で、あなたの骨を拾わなくてはなりませんからね」


フウガは、「天使にも骨が残るか分かりませんが」と、茶化すように笑んで肩を竦めた。

これも仕事の為だろうか、フウガはこんなに優しい死神だったろうか。アリアは、まさかそんな風に言って貰えると思わず、感動で固まっていると、フウガはおもむろに立ち上がり、とん、とアリアの肩を押した。


「え?」


突然の事ですぐには反応出来ず、アリアが布団の上に寝転べば、フウガは爽やかに微笑みを見せ、アリアの顔の横へ手をついた。まるで迫られているような格好に、アリアは身の危険を感じ、ひ、と悲鳴を上げた。


「大人しくしていて下さいね」

「え、」


ぐっとアリアの体に覆い被さったのは、フウガではなく布団だった。急な展開にアリアは固まるばかりで、布団はまるで生き物のようにぐるぐるとアリアの体に巻きついて、あっという間にアリアは簀巻きにされてしまった。


「は!?嘘だろ!抜けなっ、抜けないんだけど…!」

「ひとまず、今は大人しく寝ていて下さい。神使殿には言っておきますので」

「え、このまま!?」


どうにか布団から抜け出ようと格闘しているアリアをそのままに、フウガは障子戸を開けた。


「暴れると余計に体力を使いますよ。大人しく休んでいて下さい」

「ちょ、待っ、」


引き止めようとするアリアの声は聞かず、フウガはそのまま部屋を出て行ってしまった。



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