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「本日捕らえた悪魔の手です」

「ありがとう、助かるよ」


フウガは黒い革の鞄から小瓶を五つ取り出すと、それをヤエサカのデスクの上に置いた。

ヤエサカがそれに手を翳すと、小瓶の中の黒は、まるで威嚇するように形をいびつに変えて蠢いているが、やはり中から飛び出す事はなかった。

ヤエサカはそれらを確認し、デスク脇にある白い箱に目を向けた。一辺が三十センチ程の正方形の箱で、ヤエサカが手を翳すと、ピピピと電子音が鳴り箱の蓋が開いた。その中には、悪魔の手を収めた小瓶が何段にも分かれて収納されている。「明日にでも研究機関に持っていかないとね」と、いっぱいになっている箱の中を見て呟き、フウガから受け取った小瓶をそこに収め蓋を閉じれば、再びピピピと電子音が鳴り、カチャリと鍵の掛かる音が聞こえた。


ヤエサカは「さてさて」と、今度は書類やファイルで山積みのデスクの上に、新たなファイルを取り出して広げた。中身は一見、ただの真っ白な紙があるようにしか見えないが、それも束の間、その紙の上に、数字やグラフが現れた。鞍木地町くらきじちょうの悪魔による死者や、襲われながらも救う事が出来た人間の数だ。


「この二週間、死者を抑えられてるよ。フウガ君達のお陰だ」


ヤエサカは穏やかに言い、それから少し心配そうに眉を下げた。


「アリアの様子はどうだい?」

「今日も良く働いてくれました。今は力を使いきって眠っています」

「そうか…まさか、あの怠けてばかりいたアリアに、あんな力が授けられていたとはね…」


ヤエサカはしみじみと呟く。彼女がアリアの力を知ったのも、フウガ達と同じく二週間前だった。天界の神様達から通達を受け、アリア達が課せられた任務を受けると同時にそれを知ったという。随分と急な話で、天使側も困惑したようだ。でもその困惑は、フウガの時とは少し違う。アリアが人間を守るだなんて、そんな大役務まる筈がないと思ってのものだった。



死神の力とは、奪う力だ。魂を導く際、人間の体から魂を抜く為に使うもので、悪魔に対抗する際にも、その奪う力を使って悪魔の手を断ち切ったり、道具を使って悪魔の手を捕獲したりする。

天使は逆に、与える力を持つと言われている。だが実際、天使の中でその力を使えるのはアリアだけだ。悪魔対策課で悪魔と常にやり合う天使達ですら、黒い力を断ち切る事しか出来ない。


そもそも与える力とは、伝説上のものに近かった。天界史の中では事実とされているが、本当にそんな力を持った天使がいたのかと、皆、半信半疑だ。

それと言うのも、与える力とは、命を授ける力だからだ。命を与えられるのは神様のみで、天使が神様と同様の力を持つなんて畏れ多い、あり得ないというのが、現代の天使や死神の考え方だった。


今回の任務にアリアが選ばれたのだって、その事実を知るまでは、皆、いよいよアリアに最期通告が渡されたのだと思っていた。この任務で成果を出さなければ、ぐうたら天使は神によって消滅の運命にあるのだと。本人ですら、そう思っていた。

それなのにアリアは、自分でも知らない所で、その力のみで言えば、神様と等しい力を与えられていたのだ。





「しかも、ちゃんと働いてくれるなんて。アリアは下界の方が性に合ってるのかね」


苦笑って肩を竦めるヤエサカに、フウガはアリアの未来を想像した。

このまま下界で働く事になれば、アリアの体はどうなるのだろう。今のところ、休めば体力は回復するようだが、二週間もこの調子だ。今回の任務も早く終わらせなければ、アリアの方が参ってしまうのではないか、この任務が終わった後はどうなる、また別の場所で次の任務が与えられるのか。神様が神社に居る地域でも、鞍木地町のように大胆な行動は取らないまでも、悪魔は隙をついて、少しずつながらも人の心を奪っている。

フウガは終わらない悪魔との戦いに、もどかしい思いが込み上げてくるのを感じていた。


「それで、今夜の状況は?」


ヤエサカは言いながら、デスクの上に地図を広げた。フウガははっとして顔を上げ、地図に視線を落とした。


「はい。今夜、悪魔の手が現れたのは、こちらからこちらの範囲と…」


フウガが地図の上で指差せば、その部分に勝手に印が浮かび上がっていく。


「…うん、以前のような大胆さはなくなってきてるね。範囲が徐々に小さくなってる」

「ですが、救えなかった人間はまだ多いです。範囲は狭まっていますが、被害の数は多いかと」


今夜、フウガ達が捕えた悪魔の手は五つ。逃して救うに間に合わなかった人の数の方が多く、死神の同僚達が、忙しく魂の迎えに走る姿も遠目に見えていた。


死神の魂の迎えには形式がある。魂となった人を怖がらせないように、死期が来る前に説明をしてからその体から魂を抜くのだが、それに素直に従う人間ばかりではない。だが、一人の人間に割ける時間は決まっている。多少無理に魂を連れ出せば、反発して逃げ出す魂も多く、その魂を逃すまいと、死神も必死の形相で追いかけるので、魂は更に怯えて逃げたくなるようだ。空で行われる死神と魂の追いかけっこは、最早日常の風景となりつつある。


だが、悪魔による死は予定にない事だ、突然体から追い出された魂は、死神の導きを得られないので、そのまま町を彷徨うしかない。死神の方も、予定にない死が起きると、死期リストを書き換えなくてはならず、それに合わせて予定を変えなくてはならない。結果、時間がどんどん押され、仕事は嵩み、死神の仕事は忙しくなる。


「そこは、地道にやっていくしかないね。神使殿も頑張ってくれてるみたいだし…彼らの様子は?」

「神様のいない穴を埋めようと力を尽くしてくれていますが、そういつまでもとはいかないでしょう。力の表れでもある着物も、段々と傷が目立ち始めています」

「早く神様に戻ってきて貰わないとな…。このままじゃ、神使殿が天界に送られてしまう。神様探しの方はどうだい?」

「日中に、思い当たる場所や、妖にも話を聞いて回っているのですが、神様を見たという情報は掴めていません。恐らく、姿を変えているのかと」

「それなら厄介だな…」


当然ながら、神様の方が力の上でも一枚も二枚も上だ。天使を欺く等、訳ないだろう。ヤエサカは、小さく溜め息を吐いて顔を上げた。


「苦労かけてすまないが、引き続きよろしく頼むよ。こちらも他の町で手いっぱいで、人員を回せなくて…すまなんな、こちらも万年天使不足の部署なんだ」

「いえ、お互い様ですから」


淡々としているフウガに、ヤエサカは少し眉を下げ、表情を緩めた。


「君達には、何もかも押し付けてしまってるね。嫌にならないか?」

「仕事ですから」


さも当然のように言うフウガには、否定的な感情が読み取れない。同時に情熱も感じられず、何も考えていないような気さえしてくる。


「…君はよく、サイボーグだと言われているね、魂の前では紳士的だけど。仕事に対して思う事はないのかい?」

「私達は、仕事をする為に生まれてきたのでしょう?」

「…確かに間違いはないけど」

「では、神社に戻るので、失礼します」


フウガは頭を下げて部屋を出ると、屋上から再び夜空のドライブへ向かった。






フウガが神社へ戻ると、神使達がアリアの看病をしてくれていた。アリアの表情は、いまだに苦しげで辛そうだ。


アリアの与える力は、人間の心を食い尽くそうとする悪魔の力を断ち切り、身を削って、悪魔に奪われた命を補充する。

悪魔の力が体に根付いてしまうと、アリアの力なしではその根を途絶えさせる事は出来なかった。根を張ってしまえば、人間の内側からその根を断たなくてはならない。アリアは人に命を与える事で、その根を断ち切る事ができた。


天使達と悪魔との戦いは物理的なものだ。天使は光で黒い力を弱らせ、死神はフウガのように、奪う力を使って悪魔の手を捕える事は出来るが、それらは根本的な解決とはいかない。

いくら手を捕えた所で、悪魔本体には通用しない。力を弱らせる事は出来たとしても、その存在を消滅させられるのは、神やアリアが直接手を下すかだ。


だがそれも、アリアの苦しむ姿を思えば、簡単な事ではない。



「変わりましょう。あなた方は休んで下さい」


フウガは神使の傍らに膝をつき、汗を拭うタオルを神使の手からそっと取り上げた。


「ですが…」

「私は問題ありませんから」


神使達の疲労も、目に見えている。フウガは神使達に気を遣わせないように、穏やかに微笑みを浮かべた。


「彼のお世話は私の仕事ですから、あなた方の手を煩わせたとあれば、上司に叱られてしまいます」


そう冗談めかして言えば、神使も互いに顔を見合せて、それからどこか申し訳なさそうに眉を下げた。


「それではお言葉に甘えて…」

「フウガさんもちゃんと休んで下さいね」


そう双子のような神使は丁寧にお辞儀をして、部屋を出て行った。

フウガは手にしたタオルを傍らの桶の水で一度濡らし、アリアの苦し気な額にそっと当てた。冷たい水が心地よかったのか、その表情が少し和らいだ気がする。


天界の住人も、人と変わらない生活を送っている。食事も睡眠も、日常を過ごすのに欠かせない。だがフウガは、元々が仕事人間ならぬ仕事死神だからか、多少の睡眠でも問題なく動ける体質になっていた。


何より、この任務はアリアが要だ。

自分がいくら優秀であろうとも、この仕事ばかりは、万年寝太郎のような天使の力が必要なのだ。

その為ならば、世話くらい、いくらでもする。


フウガはそう思う傍ら、悪魔の力の前では大してアリアの力になってやれない事に、もどかしい思いを感じていた。


「その苦しみを奪ってあげられたら良いんですが…、神が戻るまで、もう少し辛抱して下さい」


そう言葉にして、フウガはそんな自分自身に、少し驚いてもいた。

仕事であればするのが当たり前で、アリアが寝込むのも仕方ない事だ、少し前まではそれくらい当然のように思っていた筈なのに。


フウガは胸に手を当て小さく首を傾げたが、やがて考えるのを止めた。今はこの答えよりも、考えなくてはならない事がある。フウガはアリアの様子を見ながらも、部屋の隅に置かれた木箱から、冊子を取り出した。

古びた紙の束を紐で綴じた物で、それはこの社の神様がつけていた日誌だという。フウガはページを捲り、それに目を通していく。神様の行方を探す手掛かりを見つける為だ。これくらいしか、今、フウガに出来る事はない。



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