Column7 「愛想を振りまく」を誤用と言えるか否か
——愛想を振りまく。
この表現について、皆さんはどのようにお考えになるでしょうか。
一般的には、「『愛嬌を振りまく』と混同した誤用表現」と捉えられるのが普通なのかもしれません。そのため、誤用表現を集めた書籍にはよく登場します。
それらの書籍を読んでみると、「『愛嬌』は人から醸し出される雰囲気を指すが、『愛想』は具体的な動作を示す言葉だから誤りである」と書いてあります。
ということで、まずは『明鏡国語辞典』の内容を引用して比べてみましょう。
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【愛嬌】『明鏡国語辞典 第三版』
❶にこやかで、親しみやすさやかわいらしさがあること。
❷言動や表情などで、人の心を和ませる要素となるもの。
【愛想】『明鏡国語辞典 第三版』
❶人に対する応対のしかた。特に、人に好感を与える応対のしかた。
❷人に対する親しみの気持ち。
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「愛嬌」と「愛想」の❶の語釈を読むと、上記の説明には一理ありますが、「愛想」の❷を見てみると「愛想」が持っている意味が動作だけではないことも伺えます。『明鏡国語辞典』だけでは何とも言えないので、『新明解国語辞典』の「愛想」の語釈も見てみましょう。
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【愛想】『新明解国語辞典 第八版』
㊀客に心からサービスをしようとする、応対の仕方や顔つき。
㊁好意を以て、相手になってやる気持ち。
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厳密には『明鏡国語辞典 第三版』と意味が少々違いますが、意味の傾向として㊁は気持ちに焦点を当てた語釈になっていますね。
となると、「『愛嬌』が人から醸し出される雰囲気を指すが、『愛想』は具体的な動作を示す言葉だから誤りである」というのは当てはまらなくなるのではないでしょうか。
実はこれについて、三省堂国語辞典の辞書編纂者である、飯間浩明氏の著書『小説の言葉尻をとらえてみた』には次のように書かれています。
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意味的に、「愛嬌はふりまけるが、愛想はふりまけない」ということもありません。愛嬌(可愛らしさ)も愛想(人に感じよく見せる表情や態度)も、その人に備わったものである。それを周りに示すことを、比喩として「振りまく」と言っています。
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ここには、「愛嬌」(=かわいらしさ)も「愛想」(=親しみや好意的な態度)も、相手や周囲に示すという意味で「振りまく」という言い方が使えるとありますね。
より理解しやすいように、具体的な状況を想像してみましょうか。
例えば、飼い猫。この猫が、飼い主以外に頭をすりすりとこすりつけるなどの好意的な振る舞いをしていたら、人に感じよく見せているわけですから、それは「愛想を振りまく」と言えるのではないでしょうか。
また、『三省堂国語辞典 第八版』を引いてみると、「愛嬌を振りまく」も「愛想を振りまく」も「戦前から使われている表現」とのことで、歴史もあると書いてありました。これらのことを踏まえると、「愛想を振りまく」は誤用とは言えないのではないでしょうか。
ちなみに、「愛想を振りまく」の表現は小説などで多いと言われています。一方で、新聞等では取り上げないことの方が多いようです。先にも述べたように、『三省堂国語辞典 第八版』では「戦前から使われている表現」としていますが、他の辞書での用例も少ないことから、慎重な態度を取っているのが伺えます。
また、上記にも挙げた『三省堂国語辞典』の辞書編纂者である飯間浩明氏は「『愛想を振りまく』は使って問題ない」としており、辞書編集者である神永暁氏の著書『悩ましい国語辞典』には「辞書に載せるのであれば、まだこの言い方に対して違和感を覚える人も多いであろうから、一言、但し書きを加える必要があるのではないか」と書いてありました。
印象としては神永氏の方が慎重な雰囲気がありますが、『三省堂国語辞典 第八版』に「『愛想をふりまく』は『愛嬌をふりまく』の誤りと考える人がいるが、両方とも戦前から使われている」という説明書きがあることを考えると、神永氏と同じ考え方をしているのが伺えます。
「愛想を振りまく」を使うか使わないかは個人の判断ですが、もし誰かが使っていても否定できない表現の一つかなと思います。
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