蠱竜陀
節兌見一
第一章 虫斬り雹右衛門
第1話 逝原 -Killing Field-
「今年の夏は暑すぎる。
もう夜更けだというのに、どこからかセミの鳴き声がしてやかましい。
あまりに気温が高いから、きっと今が昼だと勘違いしているのだ。
涼しげなのは、空高くに居座る青白い月ぐらいなものだろう。
「また
遠くに
骨に皮を貼って服を着せただけのような、やせ細った
しかし、その目だけは炎のような力強い眼光を宿し、輝いている。
「なあ、そうは思わねえか?」
ぼーっと空を眺めていた
「出て来いよ。殺気がダダ漏れだぜ?」
「……っ!」
物陰から
中年の男だ。
目の下には、泣き
「キサマが
「おう、何の用だ?」
「とぼけるな。お前たち
「娘を、お
「んぁー? なんだお前、
「
鬱陶しいと言わんばかりに立ち去ろうとする禍山を、
「ふ、ふざけるな! 『
中から現れたのは、
「おっ、
向けられた銃口を前に、
「んー、火薬のいい臭いが香ってくるぜ。懐かしい」
「死ね!」
いくつもの
「あ、当たったか……?」
夜を照らす月光が、ひとときだけ雲の欠片に隠された。
暗い闇の中、
「当たったはずだ……何度も練習した。奴が
弾は、間違いなく
雲が晴れれば、禍山の身体に風穴が開いているのが見えるに違いない。
「死ね……そのまま倒れて、くたばってしまえ……っ!」
しかし。
「……うぅ」
それもそのはず。
再び月に照らされた禍山は、まったくの無傷だった。
「音がわんわん響いて、頭が痛ぇや」
なにごとも無かったかのように、禍山はぼやく。
町人は、次の弾を
「嘘だ……いま、確かに当てたはず……ッ!」
「ばぁか。そこ、見てみろよ」
鉄砲から打ち出されたはずの
「ほれ。この通り」
いつの間にか抜き放っていた刀の先で
その断面は鏡のように
「まさか、
「逆に聞くけどよ、鉄砲もどうにかできないような奴が、いまどき
「そ、そんな……」
怒りと憎しみで真っ赤に燃えていた
「た、
天下分け目の
武術が強いこと、特に刀の腕が
たとえそれが、憎むべき家族の仇であっても……
怒りと絶望、そして、堕落した達人に対する深い失望がないまぜになった顔で、震えている。
「それほどの
「余計なお世話だ。弾切れなら、さっさと死ね」
「ひ……っ!」
次の
「ぐぉ……げぶっ!」
火が付いたかのような激痛に、絶望していた
「ま、まだだッ!」
「こうなれば、キサマごと
この距離なら、
「覚悟しろ、
ズブブと刀が深く胸にめり込んでいくのにもかかわらず、前進した。
胸の傷は致命傷だ。
だから、自分が絶命するよりも早く、
「死ね……ッ!」
後は、刃を振り下ろしさえすれば、復讐は果たされる。
しかし。
「お、やっと人殺しの目になったな」
「特別だ。お前さんには、俺の『
引き金は、連動したゼンマイへと力を伝え、回転力となって握りしめられた
かち、かちかちかちかちかちちちちちちち……
ぼぅッ!
何かが激しく打ち合う音と共に、刀から火炎が巻き起こった。
「グアァッ! あっ、あっ、あ……っ!」
全身の
「ぐ、ごげ、ごぉッ……! う、あぉ…………ッ!」
炎に包まれ
「色っぽい火だろう?
「お
しばらく、物言わぬ燃料となった
「っと、いけねぇいけねぇ。暇だからって、雑魚にかまいすぎたな」
「いちいち雑魚をいたぶるようになっちまったら、俺もおしまいだ」
「それもこれも、戦国の世が終わってヒマになっちまったせいだ。久しぶりに、ゾクッとくる斬り合いがしてぇ……」
ぼやきながら、
その時だった。
「おぅ?」
暗い道の向こうから、スゥッと人影が歩いてくるのが見える。
明かりも持たず、
「ちっ、見られたか」
人殺しなど何とも思わないが、意味の無い面倒に巻き込まれるのも
「おい、今見たモンは忘れな。でないと、次はお前さんが水浴びすることになるぜ?」
並みの人間なら、恐ろしくてそそくさと立ち去るだろう。
突っかかってくるようならば、その時は斬ればいい。
「さあ、どう反応する?」
「……」
しかし、
まるで
「ほぅ?」
すれ違って初めて、
まるで、肌が
「クソ暑いってのに、変わった
目だけでその背を追い、
「スカしやがって。いきなり斬ってやったら、どんな顔をして死んでくんだろうなぁ……?」
好奇心。
音も無く
「
心の中で
「ぬ?」
まるで背中に目が付いていたかのように、
「っとと。気配は消してたんだが、よくかわしたな」
対して、
「
相手が自分の名を知っていたから……ではない。
動きから想像したよりもずっと、声が若かったのだ。
恐らくは二十歳にもまだなっていない、青臭さの混じった声。
「
その短い刀身の刃先から液体が垂れ、地面に
ぽたっ。
……じゅっ。
液体は地面を跳ねると、白い煙を生じて空気に溶けていく。
「んぁ?
その火花が刃の
「
刃に火炎が燃え盛り、夜の闇を赤く染め上げた。
ジメジメとした夏の湿気すら燃やし尽くす、乾いた炎が辺りを照らす。
「オラ、テメェも名乗れや!」
燃え盛る炎の刀『
しかし、
「……死に
「あ?」
刀身を
「俺が虫だと? だったらテメェは
燃え盛る刀を高く振りかざし、
それに合わせて、
ひゆん、ひゅ。
ひゅっ、ひゅひゅっ。
ひゅひゅん。
ひゅっ。
ざりっ。
常人がようやく刀を一度振れるような短い時間に、いくつもの風切り音が刻まれた。
二つの影がすれ違って立ち位置を入れ替わるまでに、赤と白の
「いまどきの剣士にしては、なかなか動けるじゃねぇか」
「だが、
「く……ッ」
その中から現れたのは、鋭い目つきをした若者の顔だった。
「ほう、思ったよりだいぶ若いな。なかなか
無意識に尻の筋肉がきゅっと引き締まり、背筋をゾクリと寒気が走る。
良い斬り合いをした時にだけ感じられる、独特の寒気。
「まだだ、まだへばるなよ。久々の強敵、もっとじっくり、一晩中ゾクゾクさせてくれよぉ……ッ!」
対して、若者は
「んあ? どうした? もう、斬り合いはお
「そうだ」
がち、がち、がち……
「ん?」
何か、石のようなもの同士を打ち合わせる音が、
「あ? 何の音だよ、おい」
がち、がちがちがち、がち。
がちがちがち、がちがちがちがちがちがちがちがちがち。
がちがちがちがちがちがちがちがちがちがちがちがちがちがちがちがちがちがち。
「あぁ? こりゃあ、俺の歯の音か!?」
「おいおいおい!
身体の震えが止まらない。
むしろ、大きくなっていく。
小刻みだった震動がどんどん大きくなっていき、肩が上下し、膝までもが笑い始めた。
「な、何だ、こりゃあ……ッ⁉」
胸が固く強張り、息が思うようにできない。
「何を、何をされた!?」
薄暗い闇の中、
すると、雪に触れたかのようなヒンヤリした感触と共に、手が濡れた。
それは、冷え切った血液だった。
「き、斬られてたってのか! この俺が……ッ!?」
痛みを感じないのは、胸の傷を中心に
その代わりに、激痛を上回る寒気が
「うわ、あ、さ、寒い……ッ! 冷てぇっ! 冷てぇよぅ!」
まるで、猛吹雪の中に放り出された旅人が、寒さに負けて雪にうもれていくかのようだ。
そんな
「斬り合いは、楽しむものじゃない。可能な限り
若者が
凍り付いた、
「ま、まさか……この俺が、
そして、そのまま二度と動くことはなかった。
「……死んだか」
若者は、停止した
その
目だけが残り火のように光を放っていて「面白くなってきた」「次は負けない」と、殺意に
だが、やがてその
「そんなに斬り合いが楽しかったのか。はた迷惑な『虫』め」
「
若者はそのまま闇の中へと消えていった。
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