第11話 父に腫瘍を告知する
9月13日(火)
昨日、妹1は、自宅に戻った。今は、母と妹3が、2人で、父の介護をしてくれている。
妹3からは、毎晩、父の様子を知らせるラインが届く。これを読まないと、一日が終わった気にならない。
父は、入院する前よりも、良い状態で帰ってきてくれた。と言っても、一人では起きられないし、介助しないと、ベッドから出る事も出来ない。歩くのも、歩行器が頼りで、誰かが隣で見守っていないと危ない感じ。食事は、食卓で食べれる様になったが、食べる量は少ない。あまり運動をしないので、お腹が減らないらしい。毎日シャワーを浴びている。日中は、普通のパンツを履き、歩行器を使ってトイレまで行き、用を足している様だ。
そんな状態なので、母も、つきっきりの介護はしていない。日中、自分の用事で出かける事もあるそうだ。そんな時は、家に、妹3がいてくれているらしいが、妹3も、2階の自室にいる事が多い。「じゃあ、お父さんが用事を頼みたい時は、どうしているの?」と聞くと、笛が鳴るそうだ。笛? これも、母のアイデアらしい。介護ベッドの横に紐でつるしてある。でも、笛の音量には限界があるだろう。今は、季節柄、部屋のドアを開けているけれども、これから寒くなって来たら、ドアは閉めるだろうから、笛の音が届かないかも知れない。
妹1が、母に「家の中で使えるナースコールみたいなのを買ったら? 3千円くらいで買えるよ」と提案したそうだが、「要らない」と即答されたそうだ。母にしてみたら、笛を吹くのもリハビリなんだろう。それでも、もしもの時の事を心配して、妹1が、ホームセンターに行って、自宅用のナースコールを買って来てくれた。その呼び出し音を聞かせてもらったら、いろいろな音色や言葉があって、面白い。普通のピンポンと言う音もあれば、電車の発車音みたいなメロディー、動物の鳴き声などもあった。私が気に入ったのは「ちょっと来て下さい」だった。主に、その音で呼ばれるのは妹3なので、妹3が好きな音で設定してもらえれば良いと思う。気分によって変えるとかして。
9月15日(木)
関西に住んでいる妹2が、一週間の休みをとって、実家に帰って来た。台風が来る前に到着できて、良かった。
9月16日(金)
今日も、父は、一日の殆どをベッドで横になって過ごす。今日は、腰が痛いらしく、シャワーは中止。
夜、紙オムツを当てる時、自分で腰を上げられる様になったらしく、父自身も、「前よりも腰が上がる様になった」と言ったそうだ。
9月17日(土)
妹1と一緒に、私の運転する車で帰省する。今回は、久しぶりに妹2にも会えるという楽しみもあった。家族6人だけで過ごすのは、十数年ぶりの事だ。
三連休の初日ではあったけれど、高速道路は順調に流れていて、途中、3箇所のサービスエリアで休憩しながら、3時頃、実家に到着した。
父は、顔色も良く、会話もしっかりしていた。痩せてしまった事は仕方ないけれど、食欲は少しずつ出てきていると言っていた。T総合病院に入院した時、これほどまでに快復するとは期待していなかった。もっと、寝たきりに近い状態を覚悟していたので、とても嬉しく思った。83才にしては、父の快復力は凄いなあと感心した。
食事の時は、自分でベッドから起き上がり、歩行器を使って、食卓の周りの何周か歩いてから、手を洗い、テーブルについていた。この快復振りを見ると、M医師が言った余命なんて、嘘みたいな感じだった。
父に、入院生活の事を聞いてみた。
私:病院のお食事はどうだった?
父:味が薄くて、あまり食べれなかった。
私:紙オムツは、一日何回交換してくれたの?
父:だいたい、3回。
私:同室の人とは、友達になれた?
父:皆、すぐに退院してしまうから、会話する事もなかった。
私:前に入院していたS総合病院と、T総合病院と、どっちが良かった?
父:S総合病院。S総合病院の方が、食事が、美味しい。
8月3日に倒れ、蒸し暑い自宅で寝込んでいた時、父は、眠っているのか、朦朧としているのか判断がつかない様な睡眠中に、手を空に伸ばしたり、ヒラヒラと踊らせていた。まるで、誰かと手を繋ごうとしているかの様な、蝶々を追っているかの様な行動だった。私と妹3は、それを動画に撮って、姉妹のグループラインに乗せ、皆で「これ、何だろうね?」と言い合っていた。その行動が、今は、見れない。あれは、バイタル低下の為に起こる、一時的なせん妄行動だったのかも知れない。もっと、早く、何らかの対応をしてあげれば良かったと思う。
私と妹1が帰宅したので、母は気が緩み、日頃の疲れがドッと出た様で、早々に就寝してしまった。それで、四姉妹で父のシャワー浴の介助をした。妹1と妹2は、初体験。皆で、アレコレ言い、父も「ここが痒いから、もっとこすって」と注文したりして、和気藹々とした雰囲気だった。
9月18日(日)
お昼に、妹3が、たこ焼きを作ってくれた。たこ焼きの粉一袋使い切る量で、作りながら、段々と上手になって行ったのが解った。父も、美味しいと言って食べていた。
28日に前立腺癌の治療で、S総合病院に行く事になっている。こらは、倒れる前から予定していた事で、3ヶ月に一回のホルモン療法の為だ。その時に内科も受診して、T総合病院で作成して頂いた紹介状を見ながら、肝臓に関しての今後の治療方針などを話し合う予定。その時の移動手段をどうするか?と、皆で話し合う。父が入院している時は、介護タクシーを予約する予定だったんだけど、今の父の様子を見ていると、全員一致で「実家のワンボックスにも乗れるんじゃない?」と言う意見。父に聞くと、本人も、乗れる気がすると言っている。それで「私と妹1、妹2が滞在している時に、練習しよう」と言ってみたが、父は「今はまだ無理」と言って、断られた。ここは、無理に強行するのは良くないと思い、練習はやめ、もう少し日にちが経ってから、また、検討する事にした。無理そうなら、介護タクシーをお願いする事を前提で。
けれども、父は、交通手段の事は別として、S総合病院には行きたくないと言う。「行って何をするの? 前立腺癌の治療、今、出来るの?」と。そう。私達は、まだ、父に、話していない事があった。それは、肝臓の腫瘍の事。T総合病院のM医師の説明を聞いた後、母が「お父さんには、現状をストレートに告げても、動じないだろう」と言っていて、M医師から言ってもらう予定だったが、病院の都合でその機会が持てなかった。けれども、ずっと黙っておく事は出来ないし、ある程度の事は言っておかなければ、通院や、治療にも、父は疑問を持つだろう。それで、家族で話し合い、私と、妹1で、父に話す事にした。
まず始めに、私が「お父さん、28日にS総合病院に行くのは、倒れる前から予定していた事で、定期的にやっている前立腺癌の治療で、T先生に聞いたら、これは続けた方が良いんだって。それで、その後、内科に行って、肝臓も診て貰うよ。T総合病院で、いろいろと検査をしてもらったでしょ? だから、もう、大きな検査はしないけど」と言うと、父は「何で肝臓も? また、いろいろと検査をしてもらうのは、もう、嫌だよ」と言った。すると、妹1が、父にハッキリと聞こえる様に、大きな声で「肝臓に腫瘍があるんだって!」と告知した。詳しい事は言わないで。すると、父は、「エッ。腫瘍があるの。困ったなあ・・・・」と言い、押し黙った。もっと、ケロっと受け流すと思ったが、ショックだった様だ。父のショックを受けた様子が、私には、ショックだった。妹1も同じ気持ちだったのだろう。2人で顔を見合わせて、それ以上の事は言わなかった。その様子を、母にも報告したら、「かわいそう」と呟いた。それで、母と妹達で「これ以上の詳しい事は言わない」と、決めた。S総合病院にも、その事を、お願いする事にした。
夜中、皆が寝静まった頃、私は、1人で父のベッドサイドに立ち、肝臓がある辺りに手をかざし、「治りますように」と数回祈った。自分に、病気を治せる力や、ハンドパワーがあるとは思えないけれど、最後の手段で、出来る事はやってみたい。手が熱くなるとか、痺れるとか、そういった反応は、何もなかった。
9月19日(月)
妹1と一緒に、それぞれの自宅に帰る日。ニュースで、台風が接近していると言うので、午前中に実家を出発する。高速道路は順調に進んでいたが、途中で事故渋滞になった。事故が事故を呼び、渋滞箇所が増え、ガソリンが乏しくなり、一般道におり、ガソリンを入れて、妹1にナビゲーションしてもらい、無事に帰宅した。
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