お父さん(82才)が転んだ!!

みずえ

第1話 救急搬送

人物詳細(仮名)

父:82才 海野重夫

母:79才 海野響子

私 長女

妹1:次女   

妹2:三女   

妹3:四女



2022.8.3(水)

 整体の体験治療に行こうと思っていた。予約時間は2時30分。そろそろ支度をしようかな…と思った時、妹1からラインが来た。

『お父さんが散歩中に転んで、救急車で病院に行ったらしい。今、お母さんと妹3ちゃんが、病院に向かっているみたい。意識はあって、緊急な感じではないみたいだよ』と。

 あ~あ、やっぱりなあ~。こんな猛暑続きの日でも、相変わらず、日中、一人で散歩に出かけている父を、心配していた。いつか、こんな事が起こるのではないかと。 

 近くに住んでいれば、朝夕の涼しい時間帯に一緒に歩く事が出来たが、車で4時間の距離にある実家には、そう簡単に通う事も出来ず、どこでもドアがない限り、解決できない問題だった。

 父は、82才。数年前から、前立腺癌を患っている。ステージ1で、定期的にホルモン療法をして抑えている状態。糖尿病&高血圧の持病と、膝痛も抱えている。6月には、尿が出なくなってしまい、手術入院した。その影響もあってか、体力が落ち、歩行機能の低下から、歩行中は杖を使う様になった。

 時々、仲の良さそうな高齢者夫婦が、手を繋いで散歩している姿を目にするが、父はいつも一人で散歩をしていた。何故、母が一緒に散歩しないのだろうか? 仲が悪い訳ではない。自分の事に忙しい母には「一緒に散歩する」という考えが浮かばないのだろう。父も、それを望んではいなかった様だ。何せ「自分は大丈夫」と思っている節が、多々あったから。母や娘達からの心配やアドバイスも、聞き入れてはくれなかった。

 私達は、長女である私、妹1、妹2、妹3の四人姉妹。今は、父母と同居している妹3が、一番の頼りだ。

 6月に尿が出なくなった為に手術入院した時は、妹2が一ヶ月ほど帰省して、いろいろとやってくれた。いつも、いつも、妹達ばかりに頼っていて、申し訳なく思っていた。 

 私は、夫と高校2年生の一人息子と住んでいる。この息子が、半年前に心臓のアブレーション治療をして、今も体調が不安定で、時々立ちくらみを起こし、先日も、家の中で倒れた。なので、私は一泊でも家をあける事を躊躇してしまう。

 けれども、明日も明後日も、息子は外出の予定がない。恐らく、そんな日は、クーラーの効いた家の中で、ずっとYouTubeを見たり、ゲームをして過ごしているだろう。食料さえあれば、何も文句は言わない。むしろ、煩い母親がいない方が、嬉しいだろう。夫は、仕事だけれど、自分の事は自分で出来る人なので、問題ない。

そして「このタイミングを逃すと、次はないかも知れない。実行するなら、今だ」と思った。何を? それは、父の寝床を、エアコンがあるリビングに移すると言う事。

 以前から、私達四姉妹は、父と母にエアコンを利用する事を提案していた。けれど、どんな言い方をしても、決定権のある母の答えは常にNOだった。母曰く、エアコンを使うと、身体が悪くなるらしい。人は、自然に従い自然の汗をかかないと身体を壊す、夏場に汗をかかないと秋に体調を崩す、とにかくエアコンが身体に合わない、と言う。昭和初期の頃なら、それでも良いと思う。でも、今は、温暖化が進み、酷暑猛暑が続く令和の時代だ。環境と共に、考え方を改める勇気と工夫と柔軟性も必要だろう。

 現在、実家には、一階のリビングダイニングに続いている応接間と、二階の妹2・妹3の部屋にしかエアコンがない。それも、30年ほど前に購入した、今にも壊れそうな古いエアコンだ。父が寝室として使っている北側の部屋(私は、この部屋を北極部屋と言っている)には、配線の関係で、エアコンを付ける事が出来ないらしい。もし、つけるとしたら、大がかりな電気工事が必要になる。

 北極部屋は、冬はとても寒い。父は、その寒い部屋に暖房器具を置かないで、日中でもベッドの中で過ごしている。そして、そのままうたた寝している事が多く、それを見て母は「また寝ている。寝てばっかりで、足腰が弱る。起きて、散歩でもして来なさい」と怒鳴る。その怒鳴り声は、私達姉妹のトラウマだ。

 あんなに寒くて、暗い北極部屋で過ごしている父を、不憫にも思う。寒さは、身体を縮こませる。父の足は、血行不良でカチコチだし、肩があがらないとか、首が回らないとか、いつも身体の何処かに不調を訴えている。寒さも、原因の一つではないだろうか? と、私は思っていた。けれど、父も母も改善しようとしないし、こちらの提案を全く聞き入れてくれない。四人姉妹で、オイルヒーターや石油ファンヒーターを買って北極部屋に置いてみたが、使ってくれない。いつの間にか、電源を抜かれ、袋を被せられている。そんな北極部屋だが、父は嫌とも言っていない。夏は涼しい風が入ってくるらしい。それに、一人でテレビを見ながら過ごしていられるので気が楽なのだろう。

 高齢になると、なかなか、今の自分の身体能力に合わせた変更を、すんなりと聞き入れる事が出来ない人が多いと聞く。チェンジする事が悪い事の様に思っているのだろうか? 変更する事で生じる面倒くさいアレコレが、面倒くさいのだろうか? 父母と四姉妹の間には、世代間の考え方の違いが、大きな壁となって、常に立ちはだかっていた。

 でも、父母も高齢者だ。数年前から、物置の様になっている応接間(応接セットもない)にベッドを移動させ、そこを父の部屋にしたらどうか? と提案していたが、いつも母に、却下されていた。却下の理由を聞くと、毎回、曖昧な答えしか返ってこない。それらの曖昧な答えを分析すると、母としては、簡易的にするのが嫌で、するなら、全ての家具を移動させて完璧にしたい。応接間には母の趣味のモノが置いてあり、それを移動させる事によっておこる面倒な事で自分の仕事を増やしたくない。父がエアコンを使う事を良いと思わない(身体に悪いから)と言う事の様だ。

 こんな母を、四姉妹は、自己中心的で、人の痛みが解らない、愛の鞭が強すぎる、この家の全ての決定権を握っている人、と思っていて、多くの事に諦めを感じている。

 こんな状態なので、父が救急搬送された事を知った時、私は「体調が良くなるまででも良い。父の寝床を、エアコンがある応接間に移そう。父の体調が悪い今なら、母も文句を言わないだろう。今が格好のチャンスだ。暑いなと思ったら、そのベッドに避難するだけでも良いじゃないか。いつでもエアコンがある応接間で快適に就寝する事が出来る様に、ベッドをセットして置こう」と思い立った。でも、ベッドはどうする? すぐに手配できない。折角帰省するのなら、行った甲斐があったと思いたい。そうだ、我が家に、使っていない3段ベッドの3段目があるじゃないか。これを持って帰ろう。そう思い、午後の暑い日差しの中、私は、マンションの6階の部屋から車まで、四往復して、ベッドを車に運んだ。

 そして、留守中の夫と息子の食料を買って、冷蔵庫に入れ、シャワーを浴びて、洗濯をして、6時頃、車で実家に向かった。

 一人で実家に帰るのは、息子を出産してからは初めてだ。時々、振動でガタガタと音を立てているベッドを気にしながら、母がベッドの事をすんなりと受け入れてくれる様な言い方を考えたり、このベッドをどんな向きに置こうか、テレビやその他の必要品の配置などを空想しながら、夜の高速道路を走らせた。

 10時頃、実家に到着。急な帰省の事を、妹3には連絡したが、母には知らせないでいた。「来なくても良い」と言いそうだったので。

 到着した時、母はお風呂に入っていた。その間に、ベッドを車から降ろし、玄関に置く。すると、母が、身体にタオルを巻いた状態で、出てきた。そして、「何でこんなモノを持ってきたのよ。使わないよ!!」と金切り声を上げながら怒鳴った。「お父さんが使える様に、持ってきたんだよ。応接間に置いて、一時的でもエアコンがある所にいた方が良いでしょ」「そんな事をしたら、身体が悪くなる。もう、勝手な事をしないでよ!! こんな勝手な事をして。あたしが、ここから出て行きたいくらいだ!」とキレ始めた。そして、父の所に行き「あんたが転ぶから、こんな事になった!!」と八つ当たりしていた。「あ~あ・・・・」と思う。妹3が、気を利かせてくれて「じゃあ、2階に運ぶ?」と言って、すべてを一人で2階まで運んでくれた。

 母に頼まれてわざわざ来た訳ではなく、父の様子が心配で勝手に来たのだから文句は言えないけれど、こんな時に、遠方から車で来た娘に、ねぎらいの言葉の一つも言えず、怒りにまかせて感情的な言葉を発する事しか出来ない母の、心の構造はどうなっているんだろう、と思う。

 母の怒りを無視して、北極部屋に、父の様子を見に行く。普段使っている、普通のベッドに寝ていて、少し離れた所で、扇風機が回っていた。父は、会話は出来るが、胴体部分が痛いらしく、元気がない。痛みで、動けないと言う。一人ではコップの水も飲めない。起き上がる時は、90%くらいの介助が必要だ。排尿は、ベッドの横にバケツが置いてあって、立った姿勢で、バケツを近づけて、排尿していた。

 私の目論見は一瞬で流れたが、父の様態を確認する事が出来ただけでも、来た甲斐があった。

 その後、父に、倒れた時の詳細を聞く。

 午前10時頃、父が、いつもの散歩コースの休憩所で休憩をして、「さあ出発」と思って立ち上がり、ペットボトルのお茶を飲もうと上を向いたら、目の前が真っ白になって、その後の記憶はない。前に倒れたのか、後ろに倒れたのか、どこを打ったのか、そういった肝心な事は解らない。現場には、誰もいなかったが、丁度通りかかった自転車のお兄さんが、119に連絡をしてくれた。その時、父は、意識が戻り「救急車は呼ばなくても大丈夫」と言った。そして、近所の散歩仲間が気づき、救急車が到着するまで見守ってくれて、ご近所の輪で、母に連絡が行った。

救急隊観察搬送記録票を見ると、

主訴:脱力

状況:歩行中に両下肢の脱力を発症し、動けなくなった。その後、路上に倒れ、動けない所を通行人が発見。

接触時:座位。発汗多量。呂律不全の様な症状もあるも、ALD自立(杖)。本人は普段通りとの事。吐き気(+)

搬送中:嘔吐

血圧149/65 脈拍60 呼吸数24 酸素飽和度(SPOT2)は93% 体温36.6度 瞳孔 左右3.0 対抗反射正常

と記載されていた。

 この、救急隊観察搬送記録票は、救急搬送された病院の会計時に見せられた物で、もらう事は出来ないけれど、写真を撮る事はOKと言われたそうで、妹3が写真を撮っておいてくれた。これが、後に、とても役にたった。

 父は、偶然、前立腺癌を診てもらっているS総合病院に搬送された。母と妹3が病院に到着した時、父は脳のMRIを撮っている所だった。倒れた原因が、脳からきている可能性もあるので、念の為に検査をして下さっていた。そして、異常が見られなかったので、帰宅しても良いと言われたが、父が「腰が痛くて立てない」と言うと、医師が「それは、かかりつけか、近所の整形外科で診て貰って下さい」と言い、痛み止めの飲み薬だけを処方し、帰されたそうだ。

 その話を聞き、何で帰されたんだろうか・・・・と思った。母曰く「熱中症で救急搬送された場合は、それだけ(熱中症の事)しか診てもらえないらしいよ」との事。  

 そんな事、ある? だって、熱中症で倒れて腰を打ったんだから、関連している症状も診てくれなきゃおかしいでしょう。これって、地方の病院ルールなんだろうか?

 その晩私は、2階の床の間に、持参してきたベッドを組み立て、そこで寝た。もちろん、エアコンはない。蒸し暑い。南国にいる様だった。

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