拝啓、麻里

夏場

第1話

私には、私と麻里だけの秘密がある。

でも、それは私にしかできないこと。



今日ベッドから起き上がって、内服している薬2錠をそのまま飲み込んだ。

つい最近までは水がないと飲めなかったけど、急にふとそのままいけるようになった。

時計を確認して、19時10分ぐらいだったと思う。

ジーパンを履いて、上は無地の白いテーシャツを着た。昔から使ってるヤンキース帽子のつばは深く被った。あんまり人に顔を見られたくなかったから。

部屋を出て、階段を降りリビングに行った。

「あら、薫。起きてたの」

「今、起きたとこ」

お母さんは夕食の準備をしていた。

「今日、ご飯いらないって言ったよね。」

「はいはい。麻里ちゃんとお酒飲むんでしょ。気を付けてね。」

誕生日は今まで家族と過ごしていたが、今日は特別な日だった。

「送っていこうか?」

「大丈夫」

お母さんは私が20歳になっても心配してきた。

「行ってきます」

「薫」

玄関扉を開けようとしたら、お母さんが呼び止めてきた。

「誕生日、おめでとう」

「ありがとう」

私は扉を開けて外に出た。


歩いて目的地の公園に向かった。

お母さんには、今日はファミレスで食べると嘘をついてきた。

私だって誕生日くらいお店でご飯を食べたかった。

けどファミレスに行くと色んな人に顔を晒すし、何よりまたパニックになるのが怖かった。

公園に向かう途中、セミはいつだってうるさかった。

私の誕生日なんかまったくもって関係ないといわんばかりに、ジージー鳴いていた。

お酒は多分麻里が買ってきてくれるはずだから、手ぶらできた。



やがて公園についた。

麻里がいた。

「お疲れ様」

「お疲れ〜」

園田麻里。私の唯一の友達にして、中学からの大親友。

麻里は公園のベンチに座っていた。

少しの長めのセミロングと、綺麗で女性らしい丸みがある輪郭。二重瞼に大きな目がパッチリとしていた。今日はお化粧もしてきたのか、頬がピンク色に染まって見えて可愛かった。

麻里の容姿は本当に良くて、いっつもその顔があればと思っていた。

「誕生日おめでとう、薫」

「ちょっとベンチ座る前に言わないでよ」

「ハハハ、ごめん」

私は若干一席分開けて、ベンチに座った。


「ほら、お酒も買ってきたんだから」

「サンキュー麻里、相変わらず気が利くなぁ」

私がいたずらっぽく笑うと、麻里も呆れ笑いを浮かべた。

「じゃあ麻里、さっそくパーティー始めますか?」

「そうしよう」

麻里と私は身体を向き合わせた。

「えー、今回はご来場の皆様、お集まりいただきありがとうございます」

「そういうのいらないから〜」

麻里は笑ってつっこんでくれた。

「ハハハ、私達のこれからと。そして麻里、これからもよろしくね。乾杯」

「こちらこそ〜20歳おめでとう、乾杯!」

私達は盛大に乾杯した。

私達の真ん中には、コンビニ袋を雑に敷いて、麻里が買ってくれたカルパスやチーたらなどのおつまみが散乱していた。


麻里は缶ビールを一気飲みした。

麻里の飲みっぷりは見ていて気持ちが良かった。

「ぷは〜やっぱ仕事終わりはこれだわ」

「麻里、仕事まだやってないじゃん」

「もう気持ちは仕事終わりって感じよ」

「ハハハ、何それ」

「薫もやっとほら、じゃんじゃん飲もうよ」

「そうだね、今日は飲もう」

街頭が一つポツンとあって、月の薄明かりと街頭の光で麻里の顔を見たりした。


「いや〜でもさ、薫も良かったよね」

「何が?」

「こうやって、ここまでこれてさ」

「まぁね」

私も缶ビールをグッと飲み込んだ。

「お、20歳初めてのビール、どうお味は?」

「…まずい」

「まだまだ子供だな〜」

「麻里だってまだ全然子供だよ」

私達は笑い合った。

「でもさ、こんな風になれたのも麻里のおかげ。麻里があの時助けてくれなかったら、今の私いないもん」

「いっつも言うけどそんなことないって。それだったら私も、薫がいたから頑張れた」

麻里はカルパスを口に頬張りながら言った。

その間抜け顔の麻里の言葉には、説得力があんまりなかったけど、本当に麻里のおかげだと思っていた。



それは中学生の時の話。

私は中学2年生の時、いじめられていた。

アニメやドラマで見るような大抵のいじめは受けた。

そのうち私は精神的に壊れていって、学校に行くのも辛くなっていった。

そんな時に私を助けてくれたのが、麻里。

それまで麻里とは同じクラスだったけど、特段仲が良いというわけではなかった。

麻里は可愛いのにいつも一人でいた。

言葉を選ばず言うなら、麻里はクラスで浮いていた。

けど、麻里は私がそうやって一人になってからはずっと気にかけてくれて、いつも行動を共にしてくれた。

私達はそれで仲良くなった。

麻里は、高校も私と一緒の志望校を受けた。

私は頭がそんなに良くなかったけど、麻里は学年でも10位ぐらいには入る頭の良さだったから、私は何回も、本当にいいの?と確認した。

麻里はその度笑って、薫とがいいのと言ってくれた。


「いや〜それにしても今宵は酒が進むなぁ」

麻里はもう2本目の缶ビールを飲んでいた。

「ちょっと麻里。ほどほどにしてよ」

「わかってるって」

「フフフ、ほどほどにしてよって、一回言ってみたかったんだ」

「薫さんの初めて、もらいましたぁ」

私達はそうやって、くだらないことで盛り上がった。

これまでのことより、これからのこと。もっと遠い未来のことを話した。

楽しい。間違いなく楽しかった。


こうして、どのくらい経っただろうか。

スマホを見たら、22時40分くらいだったと思う。

麻里はだいぶ酔っていた。

ベンチの上には空の缶ビールが散乱している。

ほとんど麻里が飲んだやつだった。

「麻里、そろそろこの辺にしとこうか」

「あぁそうだね。いや〜楽しいなぁ」

麻里は酔っぱらうと、よく笑った。

「ねぇ薫。私そういえばさぁ、薫の占いみたいなやつ、昔やったの覚えてる?」

「え…あぁ、記憶を思い出させるやつ?」

「そう、あれさ、ちょっと私にできたりする?」

「どうだろう、わからないけど」

「やってみようよ」



それは中学生の時、消えてなくなりたいと強く思った時、急に何か一つ記憶がポンと消えた感覚がした。

思い出そうとしても思い出せなくて、少しパニックになってすぐに麻里に話した。

その日、麻里は塾の後の夜中、中学校の遊具のとこで、私の話を聞いてくれた。

パニックになっている私に、麻里は"私の記憶も消してみて"と言った。そんな事できないと思う、と言っても、いいからやってみてと言われたから、なんとなく麻里を強く想ったら、どうやら麻里も一つ何かの記憶が消えたらしく、動揺していた。

私だけが消えたわけじゃないって思って、動揺する麻里を見て安心して笑った。

そしたら麻里も笑ってくれて、それっきりこの力みたいなものは、消えた。



「まぁ別にいいけど、私あれっきりだよ?」

「いいじゃん。やってみようよ。面白そうじゃん」

顔が赤くなって眉が下がっている。一目で麻里が酔っているのがわかった。

「じゃあ、うん」

私は麻里の顔を確認してから目を閉じた。

あの時みたいに麻里を強く想った。

麻里のこと、あの時助けてくれたこと、今もずっと一緒にいること。

グーっと力を込めてそうし続けた。

疲れた。

私はゆっくりと目を開けた。

「何も起きなかったでしょ?」

興味半分の声色で聞いた。

「え」

麻里の顔を見た時、私は硬直した。



初めて見る。

目の前の麻里が泣いていた。

怖いくらいに目を大きく見開いて私を見ていた。

その両目から頬を伝って涙がボロボロこぼれていた。

こんな麻里、見たことない。

身体が硬直して声が出なかった。

麻里はただずっと私を見て泣いていた。

私も麻里から目を話せなかった。

セミの鳴き声がうるさいぐらいに聞こえた。

ようやく10秒くらいして、麻里はハッと我に返ったように見えた。

それから麻里は、急に立ち上がり無言のままそのまま立ち去った。

何がなんだか、私にはわからなかった。




あれからどのくらい経ったのか。

私はそのまま動けなかった。

ずっと公園のベンチで硬直していた。

スマホの通知音が鳴って、急に麻里からメールが届いた。

今から中学校に来てください。

その一言だけ。

見た瞬間心臓がバクバクした。

散らばった缶ビールも、カルパスもチーたらもそのままにして私は急いで中学校に走った。

中学校はこっから近い距離にある。

夏の夜、酷く虫の鳴き声がうるさい道も今は私の心臓の音しか聞こえなかった。

走りながら、ずっと心臓が痛かった。

中学高校と部活なんてやっぱりできなかったから、体力がなかった。

でも麻里が帰宅部で、毎日一緒に帰ってくれた。

走っては止まり、走っては止まりを繰り返した。



そうしてやっと中学校についた。

フェンスをよじ登って校庭に入る。

ブランコや滑り台、タイヤの跳び箱があるところに麻里はいた。

中学生だったあの時、麻里と夜中集まってあの占いをした場所だった。

麻里はブランコに座って、ただ私を待っているように思えた。

心臓がまたバクバクした。

一歩一歩麻里に近づいた。

麻里の目の前にきた。

麻里は私をスッと見た。

「薫、さっきはごめんね」

「うん」

「薫に言わなくちゃいけない事あるの」

「なに」

ずっと麻里は私から目を離さなかった。

「中学生の時、薫は仲良いグループから突然仲間はずれにされて、いじめが始まってそれから私達いつも一緒にいたよね」

「うん」

「あのグループの一人の子に薫があなたの悪口を言っているって、私が吹き込んだの」

「…は」

「薫がいじめられた原因は私だった。私のせいで、今もあなたは苦しんでいるの」

麻里が何を言っているか、この時は理解できなかった。

「ちょ、ちょっと待って」

震えて声は思った通りにでなかった。

「でもね薫。私がそうした理由もちゃんとあったの」

「ちょっと、待って。意味がわからないよ」

心臓がバクバクして、息が上がって過呼吸ぎみになった。

色々、急に展開が早すぎたんだ。私は待ってほしくて仕方なかった。

「私はね、薫。薫を誰にも取られたくなかったから。薫をずっと前から、中学の時から今まで、ずっと愛していたの」

言葉が出なかった。少しでも出そうものなら嘔吐しそうになった。

「好きなんかじゃない。そんな簡単な薄っぺらい言葉じゃない。愛してた」

あぁダメだと思って、ついに私はその場で嘔吐した。

生臭い酸味と匂いが口の中いっぱいに広がって、夏の夜の匂いと相まってどこか夢を見ているようだった。

「全部全部、思い出した。思い出せたの」

暗闇のせいか、あまり見えなかったがその時麻里はそう言って、急に泣き始めた。

声を出して泣いていた。

私は呆然と、ただスーッとそんな麻里を見ていた。

「まだ中学生だったあの時、夜中ここでやったあの占いで、私の罪を薫が消してくれた」

「それから薫のこと親友だって思ってたけど、やっぱりそんなんじゃダメだったんだよ」

「薫、私はずっとあなたを愛していた」

「でもあなたが長年いじめの記憶で苦しむことも、今も薬だって飲んでるよね。それを全部許してもらうことなどできない」

「だからありがとう薫。あなたに会えて幸せでした」

この人は、さっきから本当に何を言っているんだと思った。

あぁその時だ。ぼーっと、でも確かに不明確な怒りがフツフツと私に湧いてきた。

「ふざけるな…ふざけるな!」

「ごめん、ごめん薫」

「いきなり消えて、いきなりまくし立てて、いきなり自分だけ満足して」

「ごめんね、本当にごめんね」

「私は、私はさぁ、麻里。麻里がさぁ、麻里がさ」

ダメだと思って、もう一回吐きそうだった。

「でもさ、それが、あっ」

もう一度私は嘔吐した。感情は抑えきれないから、言葉が漏れず胃酸がこみ上げるんだ。

テーシャツは吐瀉物で汚くなって匂いもした。でももう関係なかったから。

私はそこで絶句して泣いた。

麻里が嘘を言っていないことは、もうなんとなくわかっていたんだと思う。

麻里も泣いていた。


そうして、私は決めた。

「麻里、来て」

「え」

「ほら、来て」

麻里は泣きながら目を腫らしていた。

あぁ、麻里はやっぱり可愛かった。可愛い顔が泣いてしまったら残念だったんだ。

麻里が私の前に来た。小刻みに震えていた。

私は麻里を殴った。

顔を、顔を集中的に殴った。

何回も、何回も殴った。

泣きながら殴り続けた。

「麻里、わかる?これが私の痛み。でもあなたって本当可愛い顔してるよね。私ブスだから羨ましいよ」

麻里は何か言っていた。けど一言も聞こえなかった。

何回も、何回も殴ってそうして麻里は動かなくなって気絶した。脈はあったから死んではいなかった。

私はこれで終わりにはしたくなかったから、ゆっくり目を閉じて、麻里を想った。

今度は麻里が、私を思い出さなくなるように想った。

目を開けて、横たわっていた麻里を見た。

お酒も残っていたのか、赤く腫れた麻里の顔にはもう何も感じなかった。

これで麻里の記憶から、私が都合よく消えたかどうかなんてわからない。

けどもうそれでよかった。

麻里、いじめはあなたが原因だとしても、でもそれでもあなたは私を救ってくれた。私を愛してくれた。ありがとう麻里。

麻里を担いでタイヤの跳び箱に寝かせた。

麻里の記憶を消しても、それでも私は生きている。

本当に大切なこと。私にしかできないことは麻里の世界から私が消えること。

私はブランコのチェーンで、私の首を今から絞める。

さようなら、麻里。ありがとうね。

拝啓、麻里。

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