第5話

(何しているんだろ、わたし……)

 彼女は結局、母屋の掃除をしていた。

 たしか、飛行機乗りの傭兵、ホーネットになるためにここに来たはずなのに……。

 今はモップをもって、ゴチャゴチャな店の中を掃除していた。

 それもこれも、あのホワイト・エリオン族の女性に驚かされたためだ。

 そう、驚かされたのだ。

 突然、現れたり消えたりするのは、よくよく考えてみるとあれはホワイト・エリオン族お得意のだと気がついた。

 この世界では、現在では科学技術が筆頭としているが、昔から根強く『魔法』――ホワイト・エリオン族が、発展させた――が、受け継がれている。モノを動かしたり、物質に化学反応を起こしたりなど。

 先ほどのように姿を消すのもそうだ。とはいっても、衰退傾向であることにほかならない。理由は、科学技術が容易で使いやすいこと。反対に魔法は操作が難しいこと。

 そして、魔法を使うときに使用する、空気中に含まれる『マナ・ニウム』という物質が必要なのだ。そのマナ・ニウムが厄介で、空気中に含まれる量が地域によって変化する。具体的には、緯度が高くなるにつれて空気中に含まれる濃度が増してくる。反対に赤道に近づくにつれて薄くなるのだ。赤道直下に至ってはないに等しい。

(これも、仕事の内よ。そうに決まっている)

 と、エリナは自分を納得させながら、店の掃除を続けていく。

 下ろされた鎧戸を開け、明かりを取り込んでみたら驚いた。

 店が営業しているとは思えないぐらいに散らかっていたのだ。

 曇りガラスではないのか、と疑いたくなるぐらいに窓ガラスが汚れている。テーブルの上に置かれた書類に息を吹きかければ、大量のホコリが舞う。床は板張りのフローリングだが、紙切れや鉄の塊――何かの機械だろうが、エリナには理解できなかった――がゴロゴロと転がっているのだ。しかも、何か飲み物をこぼしたのか、中途半端にしか拭かれていないようで、誤って足を載っけると、靴にねっとりとした感触が伝わってきた。

 こうなると、怪しくなってくるのが道具入れだ。

 部屋がこんな状態では、一体何時、掃除道具をさわったのか分からない。

 非道い臭いであることは覚悟した。あのドクドクの酸っぱい臭いが漂うに違いない、と……。しかし、開けたら全く臭いはしなかった。というか、臭いが消えてしまうぐらい全く触っていなかったようだ。案の定、モップやバケツは水につけた途端、強烈な臭いを発し始めた。

 さすがに臭いはツラかったが、やめるわけにはいかない。エリナは臭いに我慢しながらも慣れた手つきで、掃除を始めた。

 何せ田舎ではひとり暮らしだったため、家事などは朝飯前だったのだ。


 そして、数時間が過ぎた。

(こんなモノかな)

 エリナは満足したように店の中を見回しながら、何度もうなずく。

 日が傾き始めた頃には、桟橋屋タイプ・ゼロは生まれ変わったかのように綺麗になっていた。

 窓ガラスは輝きを取り戻し、テーブルの上に片付けられていなかったモノは――捨てたのではなく、見つけた奥の小部屋に綺麗に集められている――一掃されいた。フローリングはワックスを念入りに染み込ませ、まるで新品のようだ。

 開始前には薄暗くて分からなかったが、カウンターの横にはキッチンがあった。そこもやはり荒れており、いつの使ったのか分からない汚れの付いた皿などが、流し台を占領していた。

 そこも彼女は綺麗に片付けた。

(あとは……そうだ。夕食とかどうするんだろう?)

 と、エリナは裏手に通じるドアに向かった。

 ホワイト・エリオン族の女性に会うためだ。

 掃除の間でも、裏の工場のような建物から機械の音が聞こえてくるのを耳にしていた。

 ずっとそこで何か作業をしているのだろう。

 タイプ・ゼロには今のところ、他の人は見当たらない。

 店は三階まであるようだが、上の階には人の気配はしなかった。結局、今はその女性しかいないということだ。ということは、会って話をしなければならない。

 ホワイト・エリオン族に話しかけるのは気が重いが、かといって自分ひとりでは何も決められなかった。

(恐れることはないわ。ホワイト・エリオン族なんて……)

 意を決して、裏手のへのドアノブに手をかけたときだった。

 ブロロロロロ~……と、エンジン音が聞こえてきた。

 どこかで聞いたことのある音。

 そうだ! 昼前、駅前で聞いたサイドカーの音にそっくりだ。

 エンジン音は店の前に止まる。

 そして、店の中に誰かが入ってきた。

「ローナっ! 夕食を食べに行きましょッ……って何これ!?」

 入ってきたのはあの駅前であったグラウ・エルル族の女性だった。だが、エリナが振り返ると、大きく緑色の瞳を丸くしていた。

 そして、物珍しそうに自分の周りを見回している。辺りを一通り見回すと、今度は目を細めてエリナを見つめた。

 何かを言われるのかと、彼女は身構えたが口を開こうとはしない。

「あのぉ~……ジークフルートさんですよね?」

 沈黙に耐えられなくなたったエリナが口を開く。

「……」

 だが、前にあったときと同様、軽蔑するかのごとく顔をしかめ、口を開かない。

 グラウ・エルル族は口数が少ないことは知っていた――あの奇しいアンチョコからの情報で――が、さすがに自分が体験するのはツラい。

「あのぉ~……」

「あんた、だれ?」

 ようやく口を開くと、分厚い手袋と首にぶら下がったゴーグルを乱暴に取る。

「で、だれって、聞いているのよ。あなた、名前ないの?」

「いえ、そういうことでは……」

「じゃあ、名前。言ってみなさいよ!

 人に名前を聞いておきながら、自分は名乗らないのはおかしいでしょ?」

 予想に反して張りのある大声を出し始めた。

「――掃除、終わったの? 御苦労様。帰っていいわよ……」

 突然、後ろから声が聞こえてきた。

 エリナは振り返ると、彼女に掃除を押しつけたホワイト・エリオン族の女性がいつの間にか立っていたのだ――彼女は、ドアが開いた音を聞いていなかった。

 そして、足音を響かせることもなく、近くのテーブルに移動する。と、手にした油で薄汚れた機械の部品を、エリナが綺麗に拭いた丸テーブルの上にためらいもなく乗せた。

「ローナ。この娘、何なの?」

 ジークフルートと呼んだグラウ・エルル族の女性は、今度はローナと呼んだホワイト・エリオン族に質問をする。

「チッ!」

 話しかけられたことに気に入らないのか、舌打ちをした。

 そして……

「……頼んでいたハウスキーパーじゃないの?」

 顔も会わせず、彼女はもってきた部品を解体し始めた。作業を始めている横顔は、全くの無表情だ。

「ハウスキーパーなんて、頼んでないわよッ!」

 ジークフルートと呼ばれた女性が声を張り上げる。それにローナは、わずらわしいように答えた。

「……あそこの掃除業者に断られたの?」

「部屋の掃除もまともにできない、根性がない連中よ」

 ジークフルートは腕組みをすると、不満げにドンッと椅子に腰を下ろした。

「うちの仕事だけ、断っているのよ。あいつのところはッ! しかし……」

 エリナがやった掃除ぶりを少々感心しているのか、アゴに片手をあて再び、部屋を見回した。

「で、あなた何者なの?」

「あッ、わたしは、エリナ=グラーフです」

 ようやく名乗れたと、ひとまず安堵した。

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