瞬きの終わる前に 番外編

原田楓香

第1話  想いを伝えることば


 麻ちゃんが扉の向こうへ旅立ってから、3ヵ月近くが過ぎた。

 僕は、相変わらず、彼女と過ごした部屋に一人で暮らしている。

 隣には、頼もしい友人の丈くんがいる。

 こまめに顔を出して、料理を作りに来てくれる和也もいる。

 何かと気遣ってくれる、妹の萌もいる。兄の和志もいる。

 だから、表面上、僕の日常は、何も以前とは変わらない。


 でも、僕の胸の中には、ずっとあいたままの大きな穴があって、ときどき風がそこを吹き抜ける。そのたびに、僕は胸を押さえて、痛みを秘かにやり過ごす。


 彼女を思いだすことは、今もずっと切ない。会いたくてたまらなくて、胸に熱い塊がこみ上げることもある。

 でも、耐えることに、少しずつ慣れてきたように思える日もある。少しは、僕の心も強くなったのかもしれない、そう思っていた。


 それなのに。

 僕は、神様に試されているのか?

 最近、僕は街角で、ふいに流れてきた音楽に泣かされてしまうことが増えた。

 アイドルグループHSTの歌うバラードのせいだ。

 僕が作詞したものに、メンバーの妹尾圭が曲をつけ、コンサートで初めて歌って以来、SNSでも話題になり、あちこちで聴かれるようになった。

 麻ちゃんのいないさみしさを、何かに表わさずにはいられなくて、今もずっと会いたくて、その想いを詞に込めたのだ。


 僕たちの大好きだった天才ピアニストのドラマで、主役を演じた妹尾圭に僕が手紙を書いたことがきっかけで、僕は彼と友達になり、詞を提供することになった。

 でも、この詞を提供したとき、僕は、まさかここまでいろんな場所で、この歌を耳にすることになるとは、正直、思っていなかった。

 HSTの歌唱力と、何より妹尾圭の曲がすごくよかったのと、曲が僕の詞とすごく合っているからだと思う。


 三上 柊。

 それが、僕のもう一つの名前だ。

 この歌が注目されるようになって、僕には、再び、仕事の依頼が増えている。

 以前ヒットした映画もまた、改めて話題に上るようになった。

 でも、僕は本名を明かしていないので、周りの誰も僕が三上 柊だとは知らない。


 昨日も、ゼミのメンバーと話していると、

「三上 柊の小説、早くでーへんかなあ」と学部生の子がつぶやいて、

「誰それ?」他の子たちも答えて、ひとしきり、HSTの歌と映画の話題になった。

「ほら、あのHSTの今流行ってる歌、『会いたいと思うことは』って歌の作詞したひと」

「ああ、あれ。知ってる。ソラが何とかって言う映画の原作書いた人やんな?」

「そうそう。私、あの映画のDVD持ってるで」

「え、うそ。貸して」

「ええよ。で、……伏見さんは、知ってる?芸能情報は、あんまりなぁっていいそうやけど」

 黙っている僕に、同じ院生の三井さんが言った。

「そんなこともないけど」

 僕は、控えめに答える。

「じゃあ、この曲知ってます?」

 彼女は、僕に、その曲を聴かせようとする。

(ちょっと、待って待って。あかんて。そんなん聴いたら……)

 心の中の僕の叫びに気づかずに、三井さんは、HSTの歌う、そのバラードをかけてくれる。

 前奏の段階で、僕の目には涙が浮かび始めた。僕は、持っていた資料で顔を隠す。



『会いたい』と思うことは、

『会えない』というのと同じ意味だと

君は言ったね


ずっとそばにいたいなんて

わがままだよね

そんなことはわかってる


それでも ときには

あきるほど

あきれるほど

そばにいて

その笑顔をひとり占めしたい


『会いたい』と思うことは

『会えない』というのと同じ意味だと

胸が痛くなるくらい

僕も思ってる


どれほど時を重ねれば

僕らはともに歩めるのだろう

今日も 

僕の手は君に届かない



『会いたい』と思うことは、

『会えない』というのと同じ意味だと

君は言ったね


泣いて困らせるなんて

できたらしたくない

2人過ごす大切なとき


それでも ときには

思いきり

わがまま言って

甘えたい

君をこの腕で抱きしめたい


『会いたい』と思うことは、

『会えない』というのと同じ意味だと

胸が痛くなるくらい

僕も思ってる


どれほど時を重ねれば

僕らはともに歩めるのだろう

今日も

それぞれの場所で

明日への道のりを さがしてる




(麻ちゃん。まだまだ、僕は修行が足りてないみたいや……)

 資料の陰で涙をぬぐいながら、そっと顔をあげると、僕の周りの子たちも、静かに涙を流していた。


「この曲、めっちゃええね。前奏から、ピアノの音に心持っていかれるよな」

 僕は、がんばって言ってみた。

「確かに、曲もめっちゃいいですよね。でも、私は、歌詞が切なくて泣ける」

「私も」

「めっちゃ会いたいって思ってる気持ちが伝わってくるよね……」


 僕が1人で抱えていたはずの想いが、今、僕以外の人の心にも伝わっている。

 いろんな人が、それぞれの心の中にある、さみしさや切なさをこの曲を通して、共有している。


 僕は、ひとりじゃない。

 想いを伝えることばを持っている限り、僕は、ひとりじゃない。


 僕の中に、新しい物語を紡ぐ言葉が浮かび始める。


 僕は、心の中で、呼びかける。

 今、きっとどこかで、僕に会いに来る日のためにがんばっているにちがいない彼女に向かって。


(麻ちゃん、僕は大丈夫やで。待ってるから。早く僕のもとに帰ってきてな)




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