第36話 それよりも


 王都から侍女として女が送られてきた。年の頃は二十代半ば。女手が必要であると判断したレオナール国王が手配した侯爵こうしゃく家の出自らしい。


 この時点でアランは嫌な予感がしていた。


 その予感を確認すべく、裏庭へと続く道を早足で歩いていると楽しげな笑声が耳に届いた。笑声はふたつ。片方は聞き慣れ親しんだ春子のものだ。もうひとつは聞いた記憶がない。


(いや、鬼無の姫につけるとしたら貴族の娘しかありえない)


 貴族ならば社交界で会ったことがあるはずだ。辺境伯の仕事を最優先させていたため、そこまで参加したことはないが。


「……なあ、ローレンス」


 大木の下で、並ぶ二人の人影が見えたアランは咄嗟に前方を行くローレンスの名を呼んだ。


「どうかされましたか?」

「お前、姫は変わっていないと言ったよな」

「侍女が来た当初は驚かれていましたが、同性なこともあってすぐ打ち解けていましたよ」


 いや、そうではない。という言葉を飲み込んで、アランは前方を――春子の姿を捉えると上から下までをまじまじ観察した。また髪を切ったのか肩上まで短くなっている。肌はあいも変わらず真っ白で、昔見た雪のようだ。今日は藍色のドレスを纏っていて、それが大人っぽく見えた。


「……痩せてないか?」


 しかし、ドレスはぶかぶかだ。無理矢理、紐で調整しているのが袖口や腰回りの布が余り、深い皺を作っている。


「は? そんなわけないでしょ。耄碌もうろくするには早すぎます」


 冷たい一瞥を投げられ、アランは押し黙る。もう一度、春子を観察した。ドレスは全て春子の体型に合わせて作られている。それがやはりぶかぶかということは、痩せた以外ありえない。

 だって、布が伸びてもあれだけ大きくはならないのだから。


「……やはり、痩せているように見えるんだが」

「女性の体型を指摘するのはマナー違反です」

「だって、この二ヶ月で激痩せしているんだぞ。なにか病気か?」

「お食事もいつも通りですし、お掃除もお料理も普段通り楽しそうにしてますよ。体調がすぐれないとは思えませんが」

「いやいや、痩せてるぞ。めちゃくちゃ痩せてる」


 はあ、とローレンスは眉間に皺を作る。


「ですから変わっていないと申し上げていますよね?」

「なあ、ローレンス。目を閉じろ」


 アランが強い口調で命じれば、渋々ローレンスは目を閉ざした。きちんと瞼が閉じられているのを確認してからアランは口を開く。


「姫がここにきた当初を思い出せ」

「はあ?」

「どんな格好だった?」

「確か色の淡いドレスを着ていました」

「そうだ。黒いヴェールを被り、大人しい娘だった」

「けれど、頑固なのか家事の手伝いをしたいと言われましたね」

「想像できてるか?」

「ええ、まあ」

「ならゆっくりと目を開けろ。そして、姫を見ろ」


 言われた通りにローレンスは瞼を持ち上げた。目に刺す光が眩しいが主人の命令に従うべく、春子の姿を――。


「痩せてる?!」


 目を大きく開けたローレンスは春子の体を舐めるように見つめた。相手が鬼無の姫で、主人の妻なことも忘れて不躾な視線を送る。

 アランが不在の二ヶ月間。春子に寂しい思いをさせないべく、できる限り料理や掃除を共にして過ごして来たがまったくもって気付かなかった。食事量は減るどころか、前よりも動くようになったので増えた。

 なのになぜ、姫はやせ細ったのだろうか。


「もう一度問おう。姫は本当に病気ではないんだな」


 アランの言葉に何度も頷く。病気ではないと断言できる。


「ならば一体なぜ……」

「……アラン様と会えないことが寂しかった、とか?」

「寂しがらせるほど、親しくなれなかった。なる前にフローベールに行ったのを忘れるな」

「……お食事が、合わなかったとか」

「ここに来るまで城で生活していただろう。合わなければ、今頃骨だ」


 ローレンスが悩みに悩んだ末に出した予想を、アランは次々とぶった切っていく。まるで魔獣と対峙した時のような緊張感が滲む面持ちの二人はああでもない、こうでもない、と思いつくだけの理由を口にして口論するのであった。

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