第24話 泣いている子供


 こんな夜遅くに子供の悲鳴なんて聞こえるわけがない。春子の脳裏に怪奇という言葉が過ぎる。怪奇とは恐ろしい。できれば見たくもないが、好奇心とは恐怖を上回るものだ。

 春子は自分の好奇心を恨みつつ、悲鳴が聞こえた場所へと向かった。




 ***




 ぼんやりとした月明かりの下で子供がうずくまり、泣いていた。そのすぐ側には酔っ払っている様子の兵士が手にした酒瓶に口を付けながら、子供を睥睨へいげいしていた。


「馬鹿だなぁ。諦めろよぅ。どうせ死んじまってんだし」


 呂律の回らない舌で兵士はけらけら笑うと、道端の石を蹴るかのように子供を蹴飛ばした。子供は痛みに悲鳴をあげると地面を転がった。

 目の前の光景に、春子は米神にいくつもの青筋をたてた。

 アラン達に知られないよう極力騒ぎをたてないつもりだったが、まだ十歳ぐらいの幼子相手に国の守護者が暴行を働いた——考えを撤回するのは十分な理由だった。


「おやめなさい」


 冷たく言葉を発すると兵士が視点の定まらない目を向けてきた。焼けた肌でも分かるぐらい、顔が赤らんでいる。これはそうとう酔っ払っているらしい。

「子供になにをしているんですか? 大の大人が情けない」

「ああ? 誰だお前は」

「あなたに答える義務はなくてよ」


 ふっ、と鼻で嘲笑う。侮辱されたことを理解した兵士は更に顔を真っ赤にさせた。酔いでふらつきながら腰に下げた剣へと手を伸ばす。


(口では敵わないから力でねじ伏せるなんて、本当に最低ですわ)


 次にとるであろう行動を予想し、春子は舌打ちした。相手が訓練を積んだであろう兵士でも、酔っ払い相手に負ける気はしない。背後に気を配りながらも子供の元へと向かう。


「大丈夫? どこを蹴られたの?」


 恐る恐る子供は顔をあげた。

 その顔に、春子は息を呑んだ。甘栗色の巻き毛に縁取られた面は、素朴ながら愛嬌ある面立ちをしている。頬と鼻を覆うそばかすが可愛らしさを強調している。服装から少年であることは分かったが、少女のような可愛らしさだ。

 正直に言うと、可愛すぎて愛で倒してしまいたい。

 それと同時に、こんな可愛らしい子供を蹴り飛ばした阿呆に対して更なる怒りを覚えた。


「ねえ、あなた。謝罪なさい。蹴り飛ばして申し訳ございません、と頭を地面につけなさい」


 居丈高に命じると兵士は剣を抜いた。


「剣を抜けとは言っていないわ」

「うるせぇ!! 女が俺に命令すんな!!」


 剣は勢いよく春子の脳天目掛けて振り下ろされる。勢いはあるが太刀筋は読みやすい。春子は剣を片手で掴むと横に捻り、ぐらついた兵士の横腹めがけて蹴りをいれた。


「……え」


 春子はあんぐりと口を開けた。父からヴィルドール人は鬼無人と比べて貧弱だと聞いていたので手加減したつもりだったのだが、兵士は弧を描いて宙を飛び、大袈裟な物音をたてて地面に衝突した。

 あ、やばい。これは死んでいるかも、と冷や汗をかく。そっと近づき、脈を測り、瞳孔を確認。意識はないようだが、これぐらいなら命に差し障るものではないだろう。そう判断するや否、くるりと踵を返して子供の下へ。


「お怪我は?」


 子供に手を差し伸べようとして、やめる。袖がめくれでもしたら肌色から鬼無人だとバレる可能性がある。鬼無人の女が食客としてアランの元に身を寄せていることは周知の事実。その女が子供を虐めていたとしてもヴィルドールの兵士を蹴り飛ばしたなど外聞が悪い。ここは通りすがりの一般人を演じるべきだ。


「……お姉さんこそ怪我は大丈夫なの?」


 声変わり前なのか高い声で心配そうに少年は言う。視線は春子の手に釘付けだ。


「さっき、剣を素手で掴んでいたけど」

「え、ああ、切っ先は触っていないので大丈夫ですよ」


 春子は袖越しに手をさすった。肌色が見えないように素早く動いたつもりだったが、もしかして見られていたのかもしれない。


「こんな夜遅くに出歩いては危ないわ。お家まで送ってあげる」


 怪我の有無から話の論点を変えるべく、春子は少年に優しく話しかけた。全身が黒尽くめという怪しい装いなのでできる限り声は優しく、柔らかくを心がける。

 少年はぱちぱちと大きな目を瞬かせると首を横にふる。


「……いい、平気」

「平気って、またあのようなやからに絡まれるかもしれませんよ」

「いつものことだし、平気」


 いつものこと? 春子は器用に片眉を持ち上げる。


「いつも蹴られているの?」

「お姉さん、知らないの?」


 不思議そうに少年は首を傾げる。まるで自分が蹴られるのは日常だといいたげだ。


「知らないわ。それって、アラン様はご存知なの?」

「辺境伯様のこと?」

「ええ、アラン様はそういうことを許さない方のはずよ」

「辺境伯様は怒ってくれたよ」


 その言葉に春子は胸を撫で下ろした。ここでアランも共担していると言われたら嫌味の1つでも言っていた。


「けど、今はみんな辺境伯様がいないところで蹴るから知らないと思う」


 絶句する。アラン達は領民は心優しいと言っていたが小賢しいが正しい、と抱いていた印象を塗り替える。


「なぜ、どうして暴力をふるわれるの? どんな理由でも許されることではないわ」

「……お姉さん、本当に知らないんだね」


 少年は地面へ視線を落とした。甘栗色の髪が表情を隠してしまい、読めないがどこか泣きそうに見えた。

 無意識に頭を撫でた。かつて、両親がしてくれたように優しく、丁寧に。


「どうして、優しくしてくれるの?」


 ぱっと顔を上げた少年はさらに両目を大きく見開き、若葉色の瞳に春子を映しとる。


「子供に優しくするのに理由がいるの?」


 その問いかけに首を捻る、子供とは未来を背負う、尊ぶべき存在もの。そう教え込まれ、育ったので厳しく当たる理由がわからない。


「君は何か悪いことをしたの? もしそうなら、叱ったりはするけれど、でも暴力はふったりしないわ」

「……変な人」

「よく言われます。理由をお聞かせ願えませんか?」

「……お父さんとお母さんにもう一度、会いたいんだ」


 少年は目を伏せるとぽつりぽつりと話し始める。


「前に魔獣が侵入した時、お父さん達を連れ去って、それでみんなに助けてって言っても無理で」

「それはいつ?」

「半年前」


 魔獣の生態は知らない。攫った人間を即食すのか、ひぐまのように土に埋めるのか。

 だが、半年前ということを踏まえれば、肉体はもう残ってはいないだろう。


「死んでいるのは分かっているんだ。姉ちゃんもそう言っていたし。でも、服の切れ端とか、何か残っていると思って」

「遺品を欲しいということ?」

「……うん。遠征の時に無理なら、僕達だけで壁の外に行きたいって言ったんだ。でも危ないから無理だって」


 少年は乱暴な手つきで顔を拭う。声は震えている。

 春子はどう声をかけるべきか迷っていた。遺品が欲しいならの傍、探すことは可能だが、それを伝えると春子の考えが知られてしまう。


「私からアラン様に頼んでみるわ。けど、この事を言うと贔屓って言われるじゃない? 二人の秘密にしましょう」


 さらりと嘘をつく。実際に探すのは自分自身だし、こんな年端もいかない子供が秘密を守るなんて思えない。


「……別にいい」

「あら、どうして?」

「辺境伯様はお忙しいだろうし、自分達でどうにかするから」

「それは、どうやって?」


 興味が湧く。あの壁を少年が突破できるとは到底思えない。何か手立てがあるはずだ。


「……秘密にしてくれる?」


 ええ、と春子は頷いた。


「しゃがんで」


 地面に膝をつくと少年がそっと春子の耳元に口を寄せる。呟かれた言葉に春子は口角を持ち上げた。

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