第14話 それはもうぐっすりと


「寝ている」

「眠っておいでですね」


 微かに開いた扉から食堂を覗き込んだアランとローレンスはこそこそと密やかに会話をする。

 視線の先には見慣れた食堂が広がっており、来賓席には黒髪の人物が机に伏した体勢で眠っていた。長く重たい髪が広がり、顔は見えないが可愛らしいフリルがふんだんに使われたドレスからその人物が少女であることが伺い知れた。

 ローレンスは失礼と思いつつ、その姿をじっくりと拝見した。噂では、姫は地面を擦る長い髪を結い上げているという。鬼無人としての誇りは今は肩下までの長さしか残っていない。


「……髪、短いですね。鬼無の女性は短くても腰下までと言われているのに」

「だろう!」

「うるさい」


 急に耳元で叫ばれて、ローレンスは顔をしかめた。今の声量で姫が起きてしまったのでは、と危惧するが一定の間隔で動く背中から熟睡しているようだ。ほっと胸を撫で下ろす。


「本当に、姫に失礼なことを言っていませんよね?」

「していない! ……と、思うのだが」


 語尾を濁すアランに、ローレンスはまた顔をしかめた。アランが「していない」というなら信じたいが、純真に相手の地雷を踏み抜くことがあるので難しい。

 ……まあ、ほぼ確実にあの馬鹿――否、ジェラルド王子のせいなのだろうが。


「どうしよう。どうすればいいんだ?」


 不安に駆られたアランに肩を揺すられ、視界が揺れる。寝不足と疲労から最悪のコンディションの中、それをされたら胃の奥から喉へと胃液がせり上がり、猛烈な吐き気に見舞われる。

 大の大人が人前で嘔吐など、絶対に回避したいローレンスは苛立ちも相まって乱暴にアランの手をはたき落とした。

 勇ましい容貌だが温厚な主人は叩かれたことにショックを受けた顔をしながら、叩かれた手を摩る。


「……すまん」

「とりあえず、休ませましょう。姫も疲れたのでしょう。鬼無からヴィルドールに来て、あの馬鹿王子の相手をして、ここに連れてこられたのですから」

「だが、あそこじゃ暑くないか? 移動させた方が」

「ですね。姫をお部屋に連れて行ってください」

「俺がか?!」

「従者である私が姫に触れることができるとでも?」


 にっこり、と笑顔で凄んで見せればアランは小さく「いいのだろうか」と呟き、視線をそらす。

 主人が何に悩んでいるのか察したローレンスはあからさまにため息をはいた。


「お二人はご夫婦なのですから問題はありませんよ」

なものではないだろう」


 これは、いわゆる偽装結婚というものだ。姫の正式な夫はジェラルド王子であり、アランは義兄。本当の夫婦ではない。


「正式ではなくても姫はあなたを夫だと認識しているのです。国王陛下もを認められました」

「しかし……」


 アランは納得がいかなかった。姫を大切にすると心には決めたが、それは大人として歳が離れた子供を守る意味合いが大きい。異性として、手を出す気は毛頭ない。

 だが、父王はアランと姫に夫婦として振る舞うことを求めている。子ができればこの同盟は盤上のものとなるため、姫の懐妊を望んでいるのだ。

 無事に懐妊すれば、ジェラルドとの間に生まれた子供だと公表するだろう。ヴィルドールの国民や周囲の国、鬼無国へ。両国の縁は次世代へ紡がれたと大々的に報じるために両国の血を引く子供が必要なのだ。


「騙して、傷付けたのに、更に騙すのは……」


 本当にこれでいいのだろうか、とアランは考える。父に裏切られた母のようにしないべく、振る舞うと決めたのに周囲は人道を外れることを強要してくる。

 アランは抗うが、王家の血を引いても辺境伯。限界がある。


(いっそのこと、姫に事情を説明して、鬼無国へ逃がしてしまおうか)


 いや、と首を振る。事情を知った鬼無国が攻めてこないとは否めない。慎重に動くべきだ。


「何もすぐに手を出せと言っているわけではありません。寝室へお連れするだけです」

「ローレンスもついてきてくれ。見張っていてくれ」

「何を見張れというんですか。あんたが寝ている女性に手を出すような人じゃないことは誰よりも理解しているつもりです」


 眠気も限界なのかローレンスは大きく欠伸を噛み締める。


「お先に休ませてもらいます」


 そう言い残すと自室へ帰るべく、踵を返して歩き出した。アランが助けて欲しくて目で訴えるが、気付いているはずなのに一瞥すらくれない。

 一人残されたアランは意味もなく周囲を見渡し、誰もいないことを確認すると足音を忍ばせ食堂へ、突っ伏して眠る姫の下へと向かう。気配に敏感なのにアランが近付いても反応を示さない。それほどまで疲れ切っているのだろう。


「失礼を」


 姫を抱き上げるとむちっと肉付きが両の手のひらに伝わる。


(白豚と言うほどか?)


 父王からの手紙には、姫のことを白豚という蔑称べっしょうを付け、嘲笑ったと記されていたがアランは姫が太っているとは思えなかった。確かにふくよかではあるが、ヴィルドール人が痩せすぎなのだ。子供は少々、太っている方が健康的だ。


(ジェラルドにはキツく言っておかなければ)


 姫の境遇を悪くした元凶へかける言葉を考えながらアランは姫の寝室へ向けて歩を進める。

 途中、階段を降りる際、ヴェールが捲れ、白雪の肌と赤い唇が覗く。その肌の肌理きめ細やかさにアランは驚いた。白さを保つため、陽に当たらないからか透き通り、血管の青さがよく分かる。


 ふと、好奇心がうずく。


 ヴェールは捲れかけており、姫も深い眠りに落ちている。頑なに隠している姫の容貌を知る絶好の機会だ。

 だが、すぐにアランはその考えを脳内から吹き飛ばした。


(俺はあいつらとは違うんだ)


 アランは下衆なことを考えた自分を叱咤しったしながら、ヴェールを元に戻した。いつか姫の信頼を得て、素顔を見せてくれるまで踏み込むべきではない。

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