第2話 災厄をもたらす手紙


 アラン・シヴィルは顔を顰めた。元より子供が見たら泣き出す形相が更に醜く歪むが気にする余裕は微塵もない。自分の手にあるが厄介なものであると分かっているからだ。


(魔獣退治か、はたまた遠征えんせいか……。悪い知らせであることは間違いないな)


 アランの手には王家の封蝋印ふうろういんが押された二枚の手紙がある。封は開けられていない。届いた時の状態のままの手紙それとにらめっこを続けていると乳母兄弟のローレンスが静かに問いかけた。


「中身をご覧にならないのですか?」


 アランはかれこれ三十分も手紙とにらめっこを続けている。早く中身を確認しなければいけないのだが、開ければどんな災厄が湧いて出てくるか、考えただけで恐ろしい。


 たっぷりと悩んた末、まず、薄い封筒を開けることにした。差し出し人は異母弟であるジェラルド王太子からだったのでアランは少し驚く。庶子であるアランを犬の子だとののしり、あざけり笑ったあの少年が正規手続をして手紙を出すなど今まで無かった。

 と、同時に分厚い封筒から開ければ良かったと後悔する。絶対に災厄はこの手紙がもたらすと理解したのだ。


「……は?」


 思わず、声を漏らす。もう一度、便箋びんせんつづられた文字を読み込み、分析し、理解した末に「は?」と同じ言葉を口にした。ローレンスが不思議そうな眼差しを向けていることに気がついて、便箋を差し出した。

 最初は受け取ることをためらっていたが「この城には俺とお前だけだ」というアランの言葉に頷き、便箋を受け取る。そこに書かれた言葉を理解したローレンスも「は?」とすっとんきょうな声を上げた。


「……申し訳ございません。疲労がたたっているのでしょうか」


 目頭を揉みながらローレンスは現実逃避を図った。父王が後ろめたさから与えてくれた屋敷は、二人で住むには広大すぎた。ローレンスは乳母兄弟だが、執事兼使用人としてアランに同行してくれた。食事や掃除など、任務がなければアランも手伝うが基本的に雑用はローレンス一人がになっている。その負担が大きいことは知っているが、新しい使用人を雇えば弟が嫌がらせで引き抜くため対処のしようがない。


「いや、間違えていない。俺も同じ内容が見えている」

「それは良かったと言えばいいのか……」

「悪い知らせだな」


 アランは手紙を睨みつけた。何度読んでも書いてある文章は同じ。五枚に渡って書きなぐるように綴られているそれを要約すると「鬼無国の姫を嫁に貰ったが醜くて気に入らない。表向きじゃ死んだことにしてお前にやる」というふざけた内容だ。


「醜い娘か」


 アランは無意識に自分の左半分の顔を撫でた。米神こめかみから顎の大部分を覆うケロイド状の傷がある。かつて、強酸を吐く魔獣と対峙した際に負ったものだ。

 この傷のせいで左目尻は吊り上がり、歯茎が露出し、笑みを浮かべようとしても引き攣って上手く行かない。いつしか仮面で覆うようになったこの傷を、あの弟は「醜い」と罵ったのは記憶に新しい。


「それも鬼無の姫に向かって醜いとは……」


 頭痛がする。あの弟のことだ。真正面で本人に言った可能性が高い。

 鬼無国と聞いたローレンスが顔を真っ青にさせた。


「鬼無国が攻め入るようなことにはならないのでしょうか?」


 震えた声に「どうだかな」と投げやりに返事を返す。


「その鬼無の姫が国に訴えれば、たちまちヴィクトールは潰されてしまうだろう」

「あのくそ餓鬼、本当に……」


 ローレンスが歯を食いしばる。王子に向かってくそ餓鬼呼びは不敬罪に当たるがアランも同じ気持ちなので指摘しないでおいた。逆にもっと言ってやれとも思う。


「ジェラルドは鬼無国との同盟が何を意味するか分かっていないんだろう」


 アランはため息を吐いた。遥か東方に位置する孤高の島国、鬼無国。その国名が関する通り、この世界では珍しい魔獣が生存しない唯一の国だ。

 魔獣とは鬼神と呼ばれる高等種族が作り出す獣である。獣の肉体に鬼神の血肉が混ざることで生まれると考えられており、その強さは人智を超えていた。幼獣一体を討伐するのに鍛え抜かれた兵士百人が必要とされている。

 その魔獣——しかも、通常なら三百人は必要な成獣相手に鬼無国の人間はたった一人で圧倒的勝利を納めると言われている。


「鬼無国は六百年も鎖国し、他国と触れ合うことを拒んでいた。此度こたびの婚姻は五代ヴィルドール国王から鬼無に使節を送った末に決まったものだ。それを台無しにするなど、しかも国の存命に関わることを……!」

「あの時は世界各国が驚きましたね。彼の国と同盟を結びたい国は多かったけれど、どの国も断られていましたし」

「なぜ、今になって鬼無がヴィクトールと同盟を結ぼうと思ったのかは謎だが、彼の国と懇意こんいにすることは後々、ヴィクトールの為になるはずなのに」


 自分達では魔獣の侵攻を防げても、根絶やしにすることは叶わない。どれほど魔獣を退けようが、それを作り出す鬼神を退治しなければ本当の平穏は訪れない。

 だが、鬼無の力があれば可能だ。彼らの力を借りて、この地に巣食う鬼神を退治する。

 そのために鬼無国と同盟を結びたい国は星の数ほどいる。ヴィルドールもその例に漏れず、長年かけて彼の国にアプローチをし、ついに末姫を王家に迎え入れることができた。というのに、


「噂では、その姫は物静かで穏やかな性格をしているらしい。ヴィルドール語も堪能の才女——きっと、自分の行動がもたらす結果を理解しているんだろう。それが唯一の救いだな」


 辺境ではあるが開戦の知らせが届いていないことにアランは胸を撫で下ろす。きっと、件の末姫の境遇が鬼無国に届いていないからだろう。


「どういたします? アラン様」

「……恐らくだが、もう一通は父からだ。それを見て考えても遅くはない」


 封を開けていない封筒をはためかせ、存在をアピールさせる。


「父は鬼無国との同盟を結びたがっていた。ジェラルドは俺に姫を寄こすと言っていたが、父が許すとは思えない。何か策があるはずだ」

「失礼ながら、国王は腑抜けでいらっしゃいますのでその線は薄いかと」

「……息子一人、制御できないお方だからな」


 棘と毒に塗れた言葉を否定したいが、まったくもってその通りなのでアランは言葉を濁すだけにとどめた。父が確固たる信念を持っているならアランは王太子として、あの城で生活を営んでいた。母も愛人などと陰口を叩かれることはなかった。弟があのような根性が捻じ曲がった青年に成長することはなかったのだから。


「魔獣討伐より気が重いな……」


 ペッパーナイフで封を切る。紙が裂ける音が嫌に大きく聞こえた。

 手紙を取り出し、重要と思わしき内容を読み込めば先程より、気分は幾分か軽くなった。


「——どのみち、俺はその末姫を嫁に貰わなければならないようだ」


 手紙はアランの体調をおもんばかる文から始まり、末姫とジェラルドの初夜の出来事が綴られている。こちらからの懇願で降嫁こうかしてもらったのに、末姫を侮辱した言動をとり、あまつさえその手をはたき落とす暴行を働いたとなれば鬼無国は攻め入るはずだ。鬼無王は末姫をたいそう溺愛している。

 なので、鬼無国には長旅での疲れを癒すため、自然豊かなシヴィル領へ養生の意味を込めて末姫を送ったと伝えた。

 だが、末姫は鬼無国には自分の死が伝わっていると思っている。従者はみんな帰国しているため末姫は、簡単に祖国と連絡がとれない。友好の証に半年に一度、お互いの使者を行き交う予定である。次の使者が訪れるその時までに姫の心の傷をアランが癒してくれ。

 ——つまり、要約すると「姫をアランに惚れさせてどうにか戦を回避して!」と書かれている。まったくもって、他人任せの手紙である。


「姫に同情する」


 喉奥から言葉を絞り出す。遠い異国から嫁いできたのに畜生よりひどい扱いを受けるなど、同情以外に抱く感情はない。


「ローレンス。俺は一度、城に帰る。その間、姫の部屋を用意してくれ。あの南の部屋がいいだろう」


 日当たりが良く、窓から見える光景はきっと姫の心を癒してくれるに違いない。


「承知いたしました。家具などは私の独断で用意しますがよろしいでしょうか?」

「ああ、そうしてくれ。姫のためなら父も金を惜しまないはずだ。あと、姫が足り入りそうな場所だけでいいから、できる限りこの屋敷を綺麗にしてくれ」


 アランの脳裏に夫からの暴言に涙する少女が浮かぶ。面を伏せて、しくしくと悲しむ子供と今は亡き母の姿を重ね合わせた。


(必ず、幸せにする)


 もう二度と母のように悲しむ人を見たくない。一回り以上、歳は離れているし、アランの顔には大きな傷跡がある。気持ち悪いとののしられようが、恐ろしいと泣かれようが、アランは姫のためにつくすと心に誓った。



 ……この時、アランは知るよしもなかった。件の姫が決して物静かで、おしとやかではない。その正反対の人物ということに。

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