第1話 最低最悪な初夜


不細工ぶさいくすぎる!!」


 部屋に響き渡る言葉に卯野うの春子は瞬きを繰り返した。不細工とは容姿が整っていない人物のことを指す言葉のはず。嫁入りする前にこの国の言葉を覚えようと一生懸命、勉強したので間違いではない。

 しかし、その言葉を夫であるジェラルド・ド・ヴィルドールは春子に使った。初夜のねやという、夫婦の仲を深める場所で。いざ、肌を重ねようと夜着よぎの帯を解いた時に。


「えっと、誰がでございましょう?」


 春子ははにかみながら問いかけた。先程の単語が気の所為だと思いたかった。

 だって、春子は鬼無国そこくではとまで称された美貌を持っているのだ。美しいや麗しいと言われても不細工だなんて言われる理由はない。

 ジェラルドはヴィクドール人らしいりが深い精悍せいかんな顔立ちを嫌悪に染めると春子を見下ろし、怒鳴りつける勢いで容姿を細かく指摘し、糾弾し始める。

 その声が聞こえたのだろう。寝台を隠すように天井から垂れ下がった布の向こうで見届け人として集まった貴族達が笑いを噛み締める声が聞こえた。


「太りすぎだ! くびれもなく、尻も貧相!」


 浴びせられた怒声に春子は婚礼で見たこの国の女性を思い出す。皆、すらりとした肢体からだをしていた。腰は異様なほど細く、その割に胸や尻が大きかったので農民の出自なのだろうと春子は思った。鬼無国ではふくよかな肢体は富の証で、貧相な肢体は労働者の証だ。今思えばあの場に集まったのはこの国でも貴族に当たる人間達なので、その考えは間違っていた。


「顔も薄っぺらく、その目は開いているのか?」


 今まで、何度も褒められていた特徴を嘲笑われると流石に傷付く。周囲の嘲笑ちょうしょうもより一層と酷くなり、春子は拳を握り締めて感情を殺そうとした。

 ジェラルドが冗談ではなく、本気で春子を醜いと思っていることは流石に分かっている。その証拠に深い翡翠色の瞳には嫌悪が宿っていた。


「髪も瞳も、地味で面白みもない」


 言われた言葉には春子は内心で同意した。春子の髪色と瞳の色は黒一色だ。ヴィルドール人のような美しい色ではない。地味と思われても仕方がない。

 春子は歪みそうになる顔を引き締め、笑顔を心がけた。遠く海を渡り、この国へ嫁いで来たのは自分のわがまま——否、両国の仲を取り持つためなのだから、ここで怒り散らしては両国の関係にひびを入れてしまう。笑って、気にしていないと装わなければならない。


「そんな意地悪を言わないでくださいませ」


 場を和ますために冗談っぽく笑いかける。ジェラルドはこの国の王位継承権一位を与えられている、つまり次の王様だ。両国のためにと春子の考えを読み取ってくれると信じ、


「お前のような不細工と肌を重ねるなどおぞましい」


 ——ていたのだが。春子の期待はあっさり裏切られた。

 ジェラルドは冷たい言葉を吐き捨てると寝台を飛び降り、とばりの向こうへ歩いて行く。このままでは両国の関係は一層と溝を深めるに違いない。春子は遠ざかる夜着の裾を掴むため手を伸ばした。


「っ!!」


 乾いた音と共に伸ばしたはずの手に痛みが走る。叩かれたと気付いた時にはジェラルドの姿には帳の向こうへ消えてしまった。

 ざわざわと、まるで竹がしなる音が春子の耳に届いた。それが集う人々の嘲笑ちょうしょうなのは明らかで、音が大きくなるにつれ春子の目元は熱を帯びたかのように熱くなっていく。


「……なぜ」


 ——私を拒絶するのでしょうか。

 そう言いたいのに言葉が喉に引っかかって、でてこない。はくはくと酸欠の魚のように何度も口を開閉していると、誰かが「やはり」と呟いたのが聞こえた。


「あのような白豚に欲を覚えるわけがない」


 白豚とは自分のことだろうか? 春子の身体を見下ろした。全体的に肉付きがよく、さらに肌理きめが細かい自慢の肌だ。真っ白で日に焼けていない肌は、鬼無では褒め称えられたものだが、この国では白豚とさげずまれなければならない程に醜いのだろうか。婚姻の儀式で見かけた女性達のように焼けていて、引き締まった身体のほうがよいのだろうか。


「……馬鹿みたい」


 無意識に口から発した言葉を急いで飲み込んだ。春子は鬼無の姫、この国と同盟を結ぶために嫁入りしたのだ。このような面前で己の心を吐露とろするわけにはいかない。

 運がいいことに、春子の呟きは周囲の人々は聞こえていないようだった。気が付くと嘲笑に忙したかった人々は去っていき、朝日が昇る。

 窓から差し込む陽光が床に伸びるのを春子は呆然と見つめていた。

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