隗より始めよ
九大文芸部OBOG会
隗より始めよ
作者:木倉 兵馬
居間で私が勉強していると妹が寄ってきた。
「お姉ちゃん、隗より始めよってどういう意味?」
「どこでそんな言葉を聞いてきたんだね?」
私は尋ねた。
「なんかテレビで政治家が言ってたの」
「たぶんエッチな言葉だよ。ほら、政治家はセクシーな政策を心がけるっていうだろう? わかったら己の生業に戻るんだな」
適当に追い払おうとして私が言った。
「またそんな嘘を言って! 本当の意味を教えてよー!」
しつこいな。
隗より始めよの意味ぐらい常識であろう。
山梨は山ばっかりある県くらいの常識だ。
同じ喩えで行くと田無は田畑ばっかりある土地ぐらいか。
あるいは丁字路には石敢當を置かないと事故死が増えるとか、庚申の日には夜更かししていないと早死するとか、だな。
こういった常識がないと百年内に死ぬ、そういったレベルの情報だ。
……よく考えたらまずいな。
このレベルの知識を我が妹が持っていないとは。
いずれ黄巾の乱か紅巾の乱に喜んで参加するに違いない。
よし、ここは姉として間違った知識でもいいから教えておこう。
「わかったわかった。長い話になるがいいな? よし聞け」
「ちょっと待って、どのくらい長い話なの?」
「あしひきのやまどりのおのしだりおのながながし夜くらい長いぞ」
「わかんないよそれじゃあ!」
「じゃあスランヴァイルプールグウィンギルゴゲリッヒルンドロブールスランティシリオゴゴゴッホ村くらいの長さだ」
「うーん、なんとなくわかったような……」
百人一首の例えでわからずウェールズの地名の例えでわかるとは。
ああ妹よ! この西洋かぶれめ!
まあいい、話を続けよう。
「昔、燕と書いてエンと読む国が中国にあった。そこの王は人材を求めていたんだ。どういう方法で集めていたと思う?」
「さ、サンコのレイ?」
「違う! お前はサンコのレイがなにかわかっているのか!?」
「え、ええっと……」
たじろいだ妹に私は言ってやる。
「サンコのレイとはな、千の銭を集めて送りつけることだ。どういうことかわかるか?」
「賄賂を送る?」
「違う! 千をアラビア数字で書いてみろ!」
「えーと……あっ!」
目を輝かせた妹に私は言ってやる。
「そうだ、ゼロが三つ並ぶだろう? ゼロを別な日本語でいうと零だ。だから三個の零」
「わーすごい! 知らなかったそんなの!」
妹は喜色満面に言った。
ああ我が妹よ、お前は己が騙されているのに気づかないのか!
まあいい。
常識は他の人が教えてくれるだろうし、後悔は死んでからするだろう。
「まあしかし、王は三個の零は使わなかった。何故か?」
「お金がなかったから?」
「いやはや! もったいなかったからだ。千枚も銭を集めたら嬉しいだろう? 逆に千枚も銭を使うと考えると寂しくなる。そういう理由だ」
「でも人材を集めるにはお給料が……」
「そう、それで燕には誰も来なかった。むしろ今までいた家臣が一人二人去っていくので、王は大臣の隗という男に尋ねた。『どうすれば家臣は去っていかないだろうか?』とな。さて隗はなんと答えたと思う?」
妹は眉間にシワを寄せて考えた。
しかしすぐにアメリカ人めいて肩をすくめて見せる。
シットコムの見すぎだな。
アメリカかぶれめ!
私はため息をついて言ってやる。
「隗はこう答えた。『イヴァン雷帝のように恐れられることです』と。イヴァン雷帝は知っているな?」
「し、知らない……」
「じゃあお前は何を知っているんだ?」
「きゃ、キャリー・ネイション?」
なんでイヴァン雷帝は知らないのにアメリカ妖怪・樽破壊ババアは知っているんだ。
謎だ。
いや謎でもない、シットコムを見て肩をすくめる動作を覚えたのだから、キャリー・ネイションくらい知っているだろう。
私は肩をすくめ返して言ってやる。
「まあいい。隗は王に恐れられるようになれと言った。すると王は『どうすれば効率的に恐れられるだろうか』と尋ねた。隗が答えたことには『処刑です。誰でもいいので適当に罪をでっち上げて斬首なさることです』と。するとどうなったと思う?」
「答えられるなんて期待しないでもらいたいなあ」
ああ妹よ愚かなる者!
それだから私に騙されるのだ。
「仕方ないな、答えは『翌日、隗は王に意見した罪により斬首された』だ。こうして燕の国の家臣は王を恐れるようになった。ここから、なんでもいいから身近なところから行動しろ、という意味の『隗より始めよ』が生まれたんだ」
「そうだったんだ! じゃああの政治家はいいこと言ってたんだ!」
「そうだな」
私は喜んで去っていく妹の背中を適当に見てから学習に戻った。
「あ、しまった、間違った由来は教えても間違った意味は教えてなかった!」
※『戦国策』を読むと正しい由来がわかります。
この作品を書かれた作者さんは,こちらのアカウントでも活動されています
隗より始めよ 九大文芸部OBOG会 @elderQULC
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