もん太の日々

鈴木無花果

もん太の日々

 もん太は人間、アヤに食われるために生まれた羊である。

 この村のならわしで、花嫁には、仔羊が与えられる。

 結婚の後、無事に子供が生まれたなら、お祝いに羊を潰し、皆に振る舞うのだ。


 もん太も母からその話は聞かされていた。

 死ぬことは恐ろしいが、自分たちは食われるために生まれたのだから、その仕事をまっとうすることは、とても誇らしいことなのだと母は言った。

 もん太は、自分を眺めるアヤを見て、自分はこの人間に食べられるのだ、と覚悟を決めた。


 というわけでもん太がこの小さな牧場に来て1年以上が経つが、子供はなかなか生まれなかった。

 もん太にも永久歯が生えて、少し肉が硬くなってしまっているのではないかと心配だ。


 牧場という場所が悪いのではないか。もん太は考え始めた。

 夜だろうが周りの牛たちはモーモーとうるさいし、他の家畜たちは朝早くからアヤたちに世話をしてもらっており、交尾をする暇がないのではないか。

 もん太は動き出す。

 牛たちが夜にはきちんと寝るように指示をしたし、鶏たちの朝の鳴き声を一時間遅らせた。

 掃除が簡単になるよう、糞は一か所にする。

 餌は散らかさない。

 放牧が終わったらすぐに小屋へ帰る。

 これをみんなに徹底させたのだ。


 アヤたちは突然聞き分けのよくなった動物たちに戸惑っていたが、最近は家の中でゆっくりしている時間も増えたような気がする。


 しかしまた一年、主人たちの子供は生まれなかった。

 もん太の肉はどんどんと硬くなっていってしまう。

 このままでは申し訳がたたない。


 そんなことを考えていた夜、アヤたちの家から大きな声が聞こえた。

 そして、泣きながら出てくるアヤ。

 アヤは、もん太のいる小屋へと向かってきた。

 もん太の寝床の横にぼんと座り、寝ているもん太の脇腹をなでる。

 何事かと思いながら、もん太はそのままにしていた。


 やがて少し落ち着いたアヤは、もん太に語りかけ始める。

「私ね、卵が上手く作れないんだって」

 ハイランショウガイというそうだが、もん太に詳しいことは分からなかった。

 そもそも人間は鳥のように卵から生まれるのだったかしら?

 アヤも夫も子供が欲しい気持ちは一緒だし、誰が悪いということでもないのに、どうしてもすれ違ってしまうのだ、とアヤは言う。

 どうして私だけが。

 どうして。


 ひとしきり泣いたアヤは、よし、と声を出して立ち上がる。

「だからさ、もん太のことは食べられないや。良かったね」

 家へと戻っていくアヤ。

 もん太には衝撃である。これまで食べられるために頑張ってきたのに……。


 しかしもん太は諦めなかった。

 アヤも諦めなかった。

 もん太は主人のために祈り続け、アヤは根気よく治療を続けた。


 そして、もん太の肉が、食べるところが無いほどにしおれた頃。

 車の後部座席から降りてきたアヤに抱かれた何かから、甲高い鳴き声が響く。

 きっと新入りだ。

 ここの流儀を教えてやらなくては、ともん太は思う。


 アヤは新入りを抱いてもん太のところへやってくる。

「ねぇもん太、もん太のお肉はもう食べられないけど、少しだけ毛を分けてくれない?」


 その冬、雪の散る朝にもん太は息を引き取った。

 それを眺める小さな人間の子供の頭には、ウールのニットキャップが乗っていた。

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もん太の日々 鈴木無花果 @suzuki_129

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