自称シャーロック・ホームズの異世界転生

花澤あああ

第1話

「――事件だ。さあ、行くぞ。」


目の前の男がおもむろに立ち上がり、手を差し出す。


「ん? その手は何? え、俺も一緒に行くの?」

「もちろんだとも。君は僕の相棒―――ワトソンだからな。」

「はあ、ワトソンじゃないんだけどなあ……。」


順一は、仕方なしにその手を取る。


嫌がったら最後、いつもの長くて理屈っぽい退屈な話が始まるからだ。時間を無駄にしてもあまり意味ないなあと深く考えることをやめた。

順一は自称"シャーロック・ホームズ"とこの異世界で出会ってから、ちょっとだけ諦めが早くなった気がするのであった。





光原順一はいわゆる"異世界転生"してこの国にいた。


この世界ではときおり異世界で死んだはずのものが、その記憶と姿を留めたまま"異世界転生"してのはわりかしよく話で、今日もまた、次元の歪みから誰かが落ちてきたらしい。

現地の人々は異世界からの人々を転生人と呼んでいる。

もちろんこの世界の異物である転生人をこの世界の人々は排除しようとしたり、迫害することは悲しいことによくある話だ。しかし、転生人は神の加護があるといい、現地人と比べ魔力が多かったり、レアな属性の魔法が使えるようになるそうだ。転生人の人数は少ないが、優れた魔法技術と魔法力で現地人に対抗するため、昔から彼らの争いは絶えないと言う。


しかし、順一のいる【ガーダルシア】という国では未知の技術や新しい知識を求め、異世界のニンゲンを取り込みを100年ほど前から行っていた。当時暗殺誅殺なんでもありな感じで王位継承で荒れていた小国で、弱小と呼ばれた第四王子が、忠臣である転生人と共に纏め作り上げたのがこの【ガーダルシア】である。そんな経緯から新しいこの国では積極的に異世界人と融和をはかったが、当初はなかなかうまく行かなかったという。

しかしある時、王となった第四王子が"生まれも育ちも違うんだから、ちょっと離れて暮らしたらうまく行くんじゃね?"と言ったとか言わないとか。

それを聞いた"土魔法"の属性を持った異世界人が、一夜で区分けした都市を造ったと言われている。

そんなわけで【ガーダルシア】は王とその周りのものがの住まう王城地区と、貴族のすむアルファ地区、異世界人の居住地区であるベータ地区、商人・職人の活動する工場や商業地区のあるガンマ地区、現地人の居住地区デルタ地区などに分かれて生活を始め、次第に平和な今の形に落ち着いていったのであった。

ちなみに一夜で作ったせいかどうかわからないが、【ガーダルシア】にはマイクラの豆腐建築みたいな四角い建物が多く、まるでビルがならぶ現代日本の都会のようで、異世界に転生してきた実感は順一的には少なかった。


令和の日本に生きていた順一は3年ほど前、トラックに引かれて死んで転生――いわゆるトラ転をしたわけだが、運良くガーダルシアに転生したために非常に恵まれていた。

「区分け」して住むこの国らしく、異世界人でも同じ世界の同じ地区ごとに住めるように配慮してくれる。順一はもちろん地球のアジア区画であった。

隣には日本の江戸時代後期から転生した家族(江戸の大火で死んだらしい)が住んでおり、反対となりには清の頃の中国人夫婦(戦争で死んだそうだ)の料理人が住んでいる。裏にはベトナム人の兄妹(彼らも戦争で死んだらしい)が暮らしているし、近くの四角いアパルトメントには順一の時代に近い若者の日本人(事故死の子が多いようだ。不思議と自死のものはいないのだ)が何人も住んでおり、町内だけであれば黒髪黒目の平坦な顔で安心する顔ぶれであった。

世界は違っても、順一は日々の暮らしを過ごしていた。





その日、順一は地区センターの入り口を潜った。勿論仕事で、上司に呼び出されたのだ。

地区センターは最近作られた巨大な時計塔の建物で、ベータ地区の人間すべてをまとめている施設だ。現代日本でいう区役所や市役所のような施設ある。住人登録や転居届・婚姻届・離婚届・出生届など各種届出を出したり、税金を納めたり、来たばかりの異世界人のセイフティーサポートを行ったりする。セイフティーサポートは日本でいう生活保護のようなもので、順一はこちらの委託職員である。

今日はセンターから連絡が来て、呼ばれたのであった。

新しい住人を受け入れるよう要請があったためだ。


そこで出会ったのが、日本人にしか見えない外見の自称シャーロック・ホームズであった。



「またとないときにきてくれたよ、ワトソン君。」

待合室にいた、痩せている猫背の男が笑顔を向けてきた。

笑うと目がなくなるくらいの糸目で、黒髪は伸びてもっさりしていた。ミリタリーグリーンのMA-1の下は着古したTシャツとジーンズで、何故か足元は雪駄を履いており、あまり身なりには気を遣わなそうな男であった。笑うと八重歯が見えている。少しだけ緊張しているように順一には見えた。


「ん? ワトソンって? 」

「ん、まあ…、光原くんのことかと思うわ。」


糸目の男のとなりにいた、順一の上司の村田に問う。

小柄なせいか40手前にしては若く見える村田はいつもの笑顔ではなく、珍しく困った顔をしていた。顔に"助けてよー"と書いてある。

彼は世紀末の日本から転生してきた村田と言う。異世界歴も長く、本人曰く関西なまりも薄れてきているとのこと。正確には三重出身だから関西弁じゃないらしいけど、関東出身の順一には違いがよくわからない。


「彼は光原くんやで、ホームズくん。――光原くん、彼は自称シャーロック・ホームズ、らしいわ。」

村田が声を落とすのに合わせて、順一も声を落とす。

「ホームズ……。あの、イギリス、ヨーロッパ区画でなくていいんですか? 」

「あまり人を見た目で判断すべきじゃないんやけど、見た目が明らかなモンゴロイド種で、現代日本の知識を持っていたのでね。」

「なるほど……。―――こんにちは、光原順一です、ホームズさん。」


「はじめまして」彼は、常識を越えた握力で順一の手を握りしめながら、心を込めてこう言った。「見たところ、アフガニスタンに行ったことがありますね。」


「痛っ……。え、いや、アフガニスタンって、地球の? いやいや、俺は前世でも海外行ったことないです。本州以外なら佐渡には行ったことあるけど……。」

「……有名な方のワトソンは従軍中にアフガニスタンで怪我をして、イギリスに行ったって設定だったはずやで。彼は光原くんを完全にワトソン認定したみたいやねえ。―――ああ、ホームズくん。彼がさっき言うてたルームシェアの相手や。」

村田は背の高い三本足の丸椅子に腰を掛け、もう一つの椅子を足で順一の方に押し出しながら言った。


「ホームズくんは【ガーダルシア】に来たばかりで住むところを探している。そして光原くんは【ガーダルシア】に来たばかりで慣れていない人の世話をする仕事なんや。僕の仕事はそんな二人を引き合わせること。」


村田の投げやり気味の紹介で、ホームズは順一と相部屋になることを理解したように見えた。頭の上に電球がピカッと光っているとかのうように、"繋がった!"と言わんばかりの分かりやすい表情をしていた。

「ルームシェアか! ベーカー街に目をつけている部屋がある」彼は言った。「二人ならぴったりだ。強い煙草の臭いは気にならないか?」


「……ベーカー街ではないけど、俺の家はベータ地区にあるよ。ちょっと古いけど雰囲気いいし、間取りも2DKで住みやすいと思う。レンガ造りの建物で、暖炉があるのがおすすめポイントかな。あとタバコは俺も吸ってるし、全然気にならないよ。――タバコと言えば、この世界にはライターがないから、マッチを擦るなんて古典的な作業をしなくちゃならないけどね。」


こちらのタバコも先人のお陰で前世と変わらないものばかりなのだ。ちなみに順一は赤マルボロを愛煙していた。パッケージも味も全く同じものを再現した技術に乾杯。


「それはよかった。マッチを擦るのもきらいじゃないよ。――それから、この世界には魔法があると聞いた。魔道具や魔石、前の世界で憧れていたものばかりだ。そんなわけで魔法についていろいろな実験をしてみたいんだが。それでは困るだろうか? 」


「実験って……。まあ前の住人も身体強化の魔法であちこち壊す人だったけど、問題なく暮らしたし。怪我とか命に関わるようなことさえなければ僕は問題ないかな。」


「そうだな・・・・僕の欠点は他にどんなものがあったかな? 僕はときどき、ふさぎ込み、何日も口をきかないことがある。そうなった場合でも、機嫌が悪いと思わないでくれ。放っておいてもらえれば、すぐに良くなる。君の方は、ここで白状しておくことがあるかな? 同居する前に、一番悪い点を打ち明けあうのは、お互いにいいことだ。」


順一は苦笑した。自身の欠点を言い合うなんて今までの住人には居なかったからだ。転生してばかりの割に、ずいぶん落ち着いているように見える。

「まあ、ちょっとずぼらかな。寝るのが趣味だから、あまり五月蝿くして欲しくないかなあ。」

「ああ、それは問題ない。出来るだけ静かにしよう」ホームズは楽しそうに笑って叫んだ。「これで決まりだと思っていいな、 ―― とりあえず部屋を見せてくれ。」

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