第2話

 昼休みになると決まってお弁当を持って教室を出る。十分十五分ならまだしも、一時間もの自由時間をみんなに囲まれて過ごすとなると私には荷が重い。

 佐藤さんたち仲良し三人組はもちろん一緒にお昼を食べるし、私が退けば席を使えるので彼女らも一々引き留めたり席を立つ私をからかったりはしない。お互い気が合わないなりに住み分けしているのだ。


 この学校の体育館は犬走りに日陰が出来るようしっかりと大きなひさしがついていて、強風や豪雨でもない限り寛ぐスペースとしては申し分ない。見渡せば既に距離を開けてひとりであったりふたりであったり、まばらに思い思いの場所で昼食を取っている。

 ここでは他人の傍に座らないのが不文律だ。私も周りからほどほどの距離を取って腰を下ろすと弁当箱を開いた。

 暗い桃色のような五穀米のご飯に赤黄緑を意識したおかず。


「へえ、美味しそうじゃん。お母さんが作ってんの?」


 一瞬だけ震えるように反応して、取り繕うようにゆっくり視線を向けるといつの間にかクラスの男子生徒がひとり隣に座って覗き込んでいた。


「お弁当は私が作ってる。パパとママのぶんも一緒にね」


 答えてから「へーすごいじゃん!」と感心する彼を無視するようにわざとらしく大きく溜息を吐いてみせる。


綿禰わたねくん、周りをよく見て欲しいんだけど」


 彼は言われるままにぐるりと見回してニカッと笑った。


「見たよ?」


「どう思った?」


 質問を発してお弁当に箸を付ける。彼も自分で持ってきた焼きそばパンの封を切って齧りながら「風通しもいいし涼しい時期は良い場所じゃん」「カップルっぽい連中もいるんだなー」「ていうかみんな結構離れて座ってんね」などの感想をつらつらと述べていく。

 箸を止めて口のなかにあったものを飲み込むと特に彼のほうを向くでもなく同様に周りを見ながら言った。


「ここじゃ他人には干渉しないって不文律があるの。わかった?」


「そうなんだ、オッケー。俺も周りの連中には変に声かけないように気を付けるよ」


 神妙かつ本人なりに真剣に回答したのだろう。けれども違うそうじゃない。


「ねえ綿禰わたねくん」


さとるでいいよ沙奈さなちゃん」


 あまり感じの悪い態度を取るのは好きではないのだけれども、ゆるふわな茶髪を揺らして微笑む彼を眼鏡越しの上目遣いにじっとりと睨む。


きみと私の距離の話をしてるのよ綿禰わたねくん」


 私はふたりの距離を示すよう入念にもう一度彼を姓で呼んだ。けれども彼には微塵も響かなかったらしい。


「え、俺たちクラスメイトじゃん」


「クラスメイトなんて、たまたまくじ引きでおなじ教室に入れられただけでしょ」


「そうだよ?」


 きょとんとした顔で返してきた彼に、つい不愉快と苛立ちを含んだ訝しげな表情を浮かべてしまう。

 正直に言って面倒くさいというのが私の本音だ。けれどもそれを露骨にひとに向けてはいけないことくらい私にだってわかっている。だから失敗したなと思いながら続けようとした。


「だったら……っ!?」


 言葉にしかけた私のくちびるを綿禰わたねくんの人差し指がそっと塞ぐように押さえた。突然の、あまりにも予期しえない出来事に言葉も動きも呼吸すら止めてしまい、震える視線だけが彼へと向かう。


「ごめんね、沙奈さなちゃんの言いたいこともわかるんだけど」


 彼はほんの少しだけ申し訳なさそうな空気を纏いながら、それでもほぼ屈託のない笑みを浮かべた。


「五クラスもあるのにくじ引きでたまたまおなじ教室になるなんてさ、そんなのもう運命じゃん」


 他人からなんと言われたところでクラス分けに意味なんて見出せない。でもなんの作為もなく集った私たちを、だからこそだと信じる彼を否定する言葉もまた、私は持っていない。


「で、でも、だからってわざわざ教室の外までひとりを追って来なくても……クラスのひとはみんな運命なんでしょう?」


 口振りからすればここの常連というわけではないだろう。むしろ私が知る限り彼は度を越して友人が多いとすら言える。彼らとの付き合いがあるのだから、こんなところで油を売っている暇なんて無いはずだ。

 なのに彼はわざわざ私ひとりに声を掛けてきて……自分の心が複雑に揺らめいているのを感じる。理由を想像しようとすればするほど、それが都合の良い妄想としか思えなくなってくる。じわりと汗ばみ、肌が熱を帯びる気配に抗えない。


 もしかして、もしかしたら、まさか、私のことを?


 そんな混乱を知ってか知らずか、いや、たぶんまったく知らないままだろう。彼はへらりとひとの良い笑みを浮かべた。


「そうだけど他の連中とはもうだいたい仲良いしさあ。あとは沙奈さなちゃんだけっていうか?」


 高鳴る動悸を押さえるように胸元に手を当てて、言葉の意味するところをじっくりと吟味する。

 他のひとはもうみんな仲良くなっていて、私が最後のひとり、そういう話らしい。彼にとって誰かと仲良くするというのは一種のゲーム、遊びのようなものなのだろう。

 だったら……さしずめ私は攻略難易度高めのレアキャラといったところかしら。


 自嘲100%の笑みがこぼれてしまう。熱くなった気持ちが温度はそのままに冷え固まってしまったような感情の矛盾が生み出す重苦しさ。

 一瞬でも浮つき自惚れた自分を恥じ、その愚かさを軽蔑すらして弁当箱へ視線を落とすと、残りを片付けもせずにそっと蓋を閉じた。


「それじゃ、もう話も済んだし私も今日から友だちね」


 出来る限り穏やかな声で言い放ち、立ち上がって呆気に取られている彼を見下ろす。


「クラスメイトのコンプリートおめでとう。ばいばい」


 このとき私がどんな表情を浮かべていたのかは自分ではわからない。でも陸に放り出された魚のような彼の顔を見た限りでは、もしかするとあまり優しい表情ではなかったのかもしれない。

 彼の軽薄さを咎める気持ちも少しはあるけれども、でも悪いのは彼じゃない。軽率に心揺れた恥知らずの自分をこそ、私はゆるさない。

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