百合の花
背中の万里子をそっと丸椅子に移す。痛まないようにそっと。梅愛先生が観察ののち応急処置を行う。若さからは想像できない手際のよさ。冷蔵庫から氷を取り出し、水と一緒にゴム袋に入れて縛る。タオルで巻く。万里子の赤く腫れた右足首の患部に、それをあてる。
「軽い捻挫ね。冷やして安静にしておけば大丈夫よ。あとは自分でやって」
「よかったな、万里子さん」
本当にほっとした。でも、万里子を見ると、その顔はくもっている。
「よくありませんわ。安静になどしておれませんもの……」
梅愛先生が握った右手で左手の平をポンッと叩く。
「そうか。新井君、君は生徒会長の」
「はい。私は生徒会長、新井千里子の妹です」
普通に考えて、こんなお人形さんのように整った顔、姉妹だって分かるのに。聞けば梅愛先生は新任で、まだ千里子と会っていないらしい。万里子が恥ずかしがっていたのは、姉と比べられるのを恐れてのこと。万里子だって充分にかわいいのに。
「新井君。入学式の新入生代表宣誓。どうするか、姉と相談するといい」
「はい。そういたしますが、私は必ず代表宣誓をいたしますわ!」
新井一族はこの学園の運営に深く関わっている。新入生代表は当然だ。万里子は今日のために何日も前から練習しているらしく、とても張り切っている。軽い捻挫ごときに万里子の代表宣誓の邪魔はさせない。
「じゃあ、俺が生徒会長を呼んでこようか?」
気を遣ってそう言った。万里子は少しでも長く安静にしている方がいい。
「その必要はない。もう直ぐ向こうから来るだろう」
どうして? と、疑問を挟む間もなく、小刻みな足音が近付いてくる。乱暴にドアが開き、駆け込んで来たのは……。
「廊下を走るなど、いかがなものかな。生徒会長ともあろう者が!」
「おっしゃる通りです、申し訳ございません。はじめまして、梅愛先生……」
千里子にどうしてここが分かったんだろう。校門からずっと走って来た? 息を切らせないなんて、すごい心肺能力だ。
「……しかし、Fアラートが鳴ったもので」
だから何だよ、Fアラートって!
「千里子君。それよりも大切なものがあるのではないか?」
梅愛先生は言いながら万里子に目線を移す。つられて千里子が万里子を見る。
「万里子。怪我をしたのか?」
「はっ、はい。申し訳ございません」
謝る万里子の前に千里子が片膝をつく。
「詫びる必要はあるまい。捻挫か、痛むのか? どれ、見せてみろ」
「そっ、そんな。お恥ずかしゅうございますわ、お姉様……」
(おーっ。見事な百合の花でございますわ。まさに尊さの極み!)
百合亜が耳元で囁く。本当に、百合亜の言う通りだと思う。
千里子と万里子を残し、他の2人を連れてそっと保健室をあとにする。少し移動したところの物影に身を隠す。
「どうして私まで? 保健室は私の職場なんだが!」
「いいではありませんか。2人きりにして差し上げましょう!」
百合亜には俺の狙いが分かったようだ。2人きりになれば、告白し易い!
「何故、生駒君が答える。私は、太田君に聞いた」
「生駒さんの言う通りです。あんなに尊きものの側にはいられませんよ」
はぐらかすが、梅愛先生は納得していない。
「ならば、この埋め合わせはしてもらおう」
「うっ、埋め合わせ、ですか?」
「当たり前だ。私を職場から引き離したのだから」
「はいっ。分かりました。埋め合わせはこの太田君が何でもいたします」
何故、百合亜が答える。梅愛先生は俺に聞いた。
「何でもか。そうだなぁ。だったら今日の放課後、デートしてもらおう」
なっ、いきなりデートって! 攻略サイトによると、梅愛先生は変わった人らしいけど、さすがにヤバ過ぎる。大人な梅愛先生のリードで、あんなことや、こんなことまで。俺は、俺は……今日、春を迎えるのかーっ!
「何を想像している? 普通にデートするだけだぞ」
そういうところが大人の余裕っていうか、憧れる。俺は今までデートなんかしたことないからなぁーっ。これが、高校デビューというものか? ULD、さすがだ。
だが、今日だけは困る。先約がある。まりっぺだ! 29thライブ。
「申し訳ございませんが、今日は予定がありまして……」
言いながら、プラチナチケットを見せる。もちろん、見せびらかしだ! だが、このチケットの価値が2人には分からないようだ。
「どうでもいい……」「どうでもいい……」
よくないだろう。入手困難な代物だぞ! 無駄にハモるな!
「……だったらせめて連絡先交換をしてもらおう」
何故? と、疑問を呈する前に百合亜が天然色に輝く。
「あっそれいいですね! 私も交換いたします。それから有馬さんも!」
「あっ、有馬?」
有馬景子のこと? どうしてこのタイミングで?
「はいっ、あそこでキョロキョロしているのは間違いなく有馬さん!」
百合亜の指差す方を向くと、そこには迷子の有馬景子がいた。
このあと、結局、3人と連絡先の交換をした。有馬景子ははじめは抵抗したが百合亜に説得された。迷子になったとき、助けを呼べるというのが口説き文句だった。梅愛先生は兎に角、2人にとって俺の存在って何なんだろうか。
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