第9話 何故

 先に動いたのは鶴橋だった。

「窓開けて」

 自分が割った窓の向こうでこれを言う。

 しかし言葉と違って体は弱っているようで、電柱を掴んでいる腕を必死に持ち直している。

 右手のバットの持ち方なんて本当に滑稽だ。

 バットの先端を、薬指と小指の間に懸命に挟んでいる。

 天音はそれが可笑しくて、ついつい窓を開けてしまった。

 鶴橋はのっそり入ってくる。

 その間に、足にタオルを巻いて止血をする。

 立てそうなので立って、倒れた母親をベッドに移動させた。鼻血が出ていたのでティッシュを固くパンパンに詰めてやる。

 鶴橋は慎重に入室した後、特に何も言わずに机の前の椅子に座った。

 目が合う、そして静寂。

 今度は天音がこれを壊した。

「何しにここに来たんだよ」

 少し遅い質問だ。

「別に」

「お前はその三文字でうちの窓と母親を砕いたのかよ」

「違う、バット」

「三文字の理由でって意味だったんだけど」

「説明不足」

「そいつぁ悪かったな、日本語下手くそで」

「うん」

 天音は思わず頭を抱えてため息を吐く。

「諸々の説明はしないつもりなのか?」

 見上げるが、鶴橋の顔は変わらない。

「ま、別に良いけどさ。何しに来たんだよマジで」

「助けてあげに来た」

 …………沈黙

「そこは即答かよ。説明しないんじゃなかったのか」

「言ってない」

「そうですかぁ。じゃあ何で来たんですかぁ」

「? 助けるため」

「何で助けが必要って分かったんですかぁ!」

 ストレスも相まってだんだんとイライラが強くなっている。

 比べて鶴橋は平素と何も変わらない。

「あー、後で」

「後でっていつ」

「決めるのは私」

「てめえマジぶち飛ばすぞ」

「……へっ」

 初めての笑顔は、煽り顔だった。

(抑えろ俺。怪我人とバット持ち結果は見えてる。堪えろ右拳)

 震える拳をいさめて、下に置く。

「これからどうすんだ?」

「帰る」

「そうかよ、近いのか?」

「十三分」

「なら良いか……」

 そしてまた、会話が止まる。

 鶴橋は動きだし、出ていこうとする。

 天音もそれを止めはしない。

 ふと、鶴橋は足を止めて、呟く。

「ありがとうございます……」

「……?」

 今度は振り向いて、天音の顔を見て言う。

「ありがとうございますは?」

 この時の天音の心情は複雑だ。

 確かにとも思ったし、自分で言うなよとも思った。

「……ありがとうございます」

「うん」

 鶴橋は去っていく。

 その背中を見ながら、天音はなんとなく、

 鶴橋って十文字以上話せるだな、と、思う。

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