第5話 下校

 帰り道。

 辺りは夜の闇で覆われていて、天音は頼りない程弱い街灯をそれでも頼りに、必死に周囲の状況を拾っていた。

 天音の下校は上り坂が多い。

 それも極端な急勾配で、帰るのが毎日億劫だった。

 いや、坂道は後ろ向きな気持ちを助長しているだけで、根本ではない。

 だがこの帰り道の辛さは、そのまま天音の心情を表しているようで、天音には少し面白かった。

「はあ、はあ、はあ、はは!」

 これからの事を思うと気が滅入るが、夜道に全力でペダルを踏んでいくというのは、楽しい。

 体を動かしていてもどうやら頭は暇なようで、先刻鶴橋に言われたことを天音は反芻していた。

『酒瓶に触るな』

 あれはいったいどういう意図だろうか。

 何にしろ、酒瓶と言われて天音が連想するのは一人だけである。

 ペダルを漕ぐ足に力を入れる。

 遠くの信号の色は赤。

 急がないと次の青信号には間に合わないのだから。


 ⚫


(今日のガチャはどんなもんかな)

 天音の家は薄汚れたアパートの角部屋にある。

 家の中は廊下が狭く、部屋が複数あるような作りになっていた。

 家主を刺激しないように、音を殺す。

 天音は家に入っても『ただいま』は言わずに、足音を立てないように慎重にお風呂場を目指した。

 途中、開け放たれた母親の寝室を盗み見る。

 目は合わない。

 母親の部屋は真っ暗で、スマホの青い光だけが母親の顔を照らす。

 右手にスマホを掴み、左手の親指を噛んでいる

 瞳孔を開いて、縮こまっていた。

「~~――んで!? ……の!!!」

 小声で何か、呪いのように言葉を積もらせている。

 天音風に言うならば、今日のガチャは大外れだった。

 素早く汚れを落として、天音は自室に向かった。

 扉を閉める。

 鍵がないのが不安だが、静かにしていれば問題はない筈だ。

 部屋を密室にしても、隣から母親の声が聞こえる。

 布団に潜り込んで耳を塞いだ。

 電気を消して、今日は夕飯を諦め寝ようとするが、すぐには寝られない。

 母親の声が苦しかった。

 浮気がバレて離婚した天音の父親は、金を払う前に天音を残して海外に逃げた。

 天音は母親に引き取られることになり、母親はそのことが不本意なようで、ストレスを天音にぶつける。

 この家が苦手だ。

 母親と目が合うと驚きと悲しみが混じった絶望の表情をされる。

 朝と夜は家の中にある賞味期限切れのパンにかじりつく。

 母親が休日男と家にいる時に家に入ると首を絞められる。

 ふと腕の蕁麻疹を見ると体の汗腺が全部開いて最悪に痒くなる。

 そんな家が……苦手だった。

 嫌いとは言えない、苦手だった。


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