私ならあなたを幸せにできるよ?

いぷしろん

私ならあなたを幸せにできるよ?


「…………っ……」



 冬の寒い夜、住宅街の片隅にある小さな公園のベンチにて。



「なに? 泣いてんの?」



 俺、天地てんち 叶夜かなやは。



「……うるせぇ。お前にわかるかよ……!」



 しくしくと涙を流していた。



「……あっそう」



 しかも、女友達――月見つきみ 朝陽あさひの前で、という大変情けないおまけ付きでだ。


 どうしてこうなったのかといえば、話は数十分前まで遡る――。







 大学入学後初めての冬休みということで、俺は……俺たちはかなりテンションが上がっていた。具体的には、二人で回ってない寿司屋を訪れて諭吉さんを落とすぐらいには気分が高揚していたといえる。

 二人、というのは俺と朝陽のことだけど、男と女だからって恋愛感情が必ず存在すると決まっているわけでもなく、ただ単に謎のハイテンションによってこのような行動を起こしてしまった。そもそも、俺には別に好きな人がいるのだ。


 さて、とはいえ諭吉さんはさすがにやり過ぎだったようで、驚愕の会計金額を見て軽くなった財布と重くなった精神を抱えて店を出たときには、もう何もしたくないほどお腹が膨れていた。朝陽もその状態のはずだったのだけど、そこで「食べ過ぎたから今日は歩いて帰る」などと言い出すのが朝陽という女だ。

 そして、陽が落ちるのも早くなった冬の夜道をひとりで帰らせるわけにもいかず、俺もついていくことになったのが今だ。……あるいは、朝陽はもう少しだけ俺と冬休みの雰囲気を味わっていたいと思っていたのかもしれないが。



「叶夜は冬休みにゆうとどこかに出かける約束でもしたの?」



 優、というのが俺の好きな人だ。さらに、俺の幼馴染でお隣さんでもある。

 そんな優であるから、俺の答えはもちろん――、



「してるわけないだろ。というかわかってて訊いてるよな?」



 現実は小説のようにうまくはいかないもので、中学までは良好に思えてた関係も高校入学を境にどんどん離れていってしまって、今では玄関先で会ったときに挨拶をするぐらいだ。


 朝陽はそのことを知っているはずだから、さっきの質問は俺をからかっただけ。その証拠に、もちろんとか言って笑っている。

 ……笑うんじゃねえ。


 肩を震わせる朝陽と俺との間は、肩が触れ合うか合わないかの微妙な距離。親友にしては近すぎるとか色々と言いたいことはあるかもしれないけど、少なくとも俺のほうには本当に恋愛感情はない。

 確かに、朝陽はかわいい美人とも言えるような容姿で、今の大学に入れたのは朝陽のおかげと言っても過言ではないけど、だからといってそれが好意に直結するわけでもないのだ。


 俺はずっと小さいころ、それはもう小学生から優のことが好きだし、優とはそのときから家が隣で仲良くしてきたと思う。中学校では二人で遊びに行ったり同じ高校に入れるように頑張って勉強もして。

 ……でも大学は違うところになってしまって、それでも俺が卒業式の日に優に気持ちを伝えなかったのは――、



「あれ? 優ちゃんじゃない?」



 隣の朝陽からそんな耳を疑う声がして現実に顔を上げる。


 そこにいたのは、小柄で快活そうな印象を受ける女の子――紛れもなく俺の想い人の優で……そしてもうひとり、その横には優と手を繋いで歩く男がいた。


 視線に気づいたのかふとこちらを向いた優は驚いた顔をし、隣の男と二言三言交わしてひとりで俺たちに近づいてきた。



「こんばんは。叶夜と……朝陽ちゃん?」


「おう……」


「ん、こんばんは~。あっちは彼氏さん?」


「うん、そうだよ……二人も付き合ってるの?」



 朝陽がちらと俺を見て、俺が無言でいるのを確認してから返事をした。



「まぁ、そんな感じ。……水差しちゃってごめんね。もう行くよ」


「あ、うん。じゃあ元気でね」



 俺も頭を軽く下げることぐらいはできた。

 優が去っていく。


 ああ――俺が優に告白しなかったのは、失恋の痛みの大きさをどこかで感じ取っていたからなのかもしれない。







 と、いうわけで今に至る。

 絶望のどん底で死んだ目をしていたらしい俺を朝陽が近くにあった公園に連れていって、しばらくベンチで座っていたら現実感が出てきて涙が出てきたのだ。正直、かなりこたえた。でも、どうしても喪失感のような悲しさがわいてきて無理だったのだ。



「はぁ……ま、よかったんじゃないの? すっきりできてさ、全然話してもなかったんでしょ?」



 挙句には、慰めの言葉までかけられる始末だ。



「……でも、本当に好きだったんだよ。薄々わかってたのかもしれないけど…………やっぱり、同じ大学にいくべきだったかな」


「ふ~ん、せっかく私が勉強教えてあげてたのにそれでよかったんだ」



 そう、俺は大学も優と同じところにいくべく朝陽に教えてもらっていたのだが、俺と朝陽が受かって優が落ちてしまったのだ。そこを蹴ってまでは優と同じ大学にはいかなかったものの、今はもしかしたら違った展開もあったかもしれないと割と後悔していた。

 いや、さすがに朝陽に悪いからどうなっても優と同じ大学にはいかなかったのだろうけど。



「まぁそれは冗談だけど……はぁ…………どうすればいいのかな、俺」


「どうすればって……まさか死ぬ気じゃないでしょうね」


「いや…………」



 死にたいな、と思わなかったと言えば嘘になるが、一時的なもだということはわかっている。結局、こういうのは時間に任せるしかないのだ。

 ……いや、それともうひとつ。


 横を向くと、目が合った。



「……ねぇ」



 俺の隣に座っている朝陽が、普段とは何かが違う声で話し始めた。

 ベンチの上に放置されていた俺の手の上に朝陽の手が重ねられる。




「私ならあなたを幸せにできるよ?」




 すました顔――いつもとなんら変わらないその端整な顔から飛び出したのはそんな言葉だった。



「なにを……」


「初めてお互いを認識したのは中三だったよね。塾が同じだった」



 塾には、優と同じ高校にいきたくて通い始めた。



「それで同じクラスになって。席が前後で。名前で呼んだのは私が先だったっけ」



 「天地てんち」と「月見つきみ」。最初の席は俺の前に朝陽がいた。



「二人で遊びに行くようになって、勉強も教えてあげたりして、今日までなんだかんだこれ以上にない親友としてうまくやってたと思う」



 失恋から立ち直る方法は二つ。


 ねぇ、と朝陽は言った。




「私ならあなたを幸せにできるよ?」




 それは、時間が解決してくれるのを待つか――新しい恋を探すか。


 ベンチに置いてあった俺の手は、いつの間にか朝陽の手と結ばれていた。涙も止まっている。


 四年以上の付き合いだから朝陽のことはわかっているつもりだ。だからこそ、朝陽が冗談で言ってないと理解する。

 四年間も仲良くやってきたのだから、朝陽と一緒にいれば楽しいということもわかる。今日だってさっきまでは楽しかった。


 でも、でも……俺が好きなのは――、


 思わず朝陽から視線を逸らした、その瞬間。

 ぎゅっと、温もりに包まれた。



「あ、あさひ……?」


「別にいいよ、私のことが好きじゃなくても。今は形だけでも楽になれるでしょ」



 そんなことを言われたら、自分がわからなくなる。自分が誰を好きなのかわからなくなる。


 だけど今ここで俺を見てくれているのは朝陽で。

 だから仕方がないんだと誰にともなく言い訳をする。


 おずおずと朝陽の背中に手を回せば冬なのに春のように温かくて、冷えていた心も溶けていくようだった。



「叶夜。私、叶夜のこと好きだから。叶夜のことしか見てないから」



 夜空に消えてしまいそうなつぶやきもしっかり俺の耳に届いた。



「……うん、俺も朝陽のこと好きになるから」


「そっか……」







“ならあの二人をくっつけてよかったよ”

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