第033話 『嚆矢濫觴』④
事実を知ればシェリルは食べることを拒否するだろうが、そんなことはシェリルが助かるまでごまかせればそれでいい。
シェリルがその後自己嫌悪に陥ることくらいは想像できるが、この世界のどこにもいなくなってしまうよりもずっといい。
どこまでも利己的に、シロウはシェリルを助けたいのだ。
シェリルのため、などというおためごかしを口にするつもりなど初めからありはしない。
シェリルが助かることをなによりも優先する以上、それさえ叶うのであれば結果として
だが薬と同じように、そんなものはすでに消えてなくなってしまっているはずだ。
根は善人が多いノーグ村の人たちは、最初に重篤化した行商人にその貴重な薬や食料を惜しみながらも与えていたのだから。
であれば今からシロウにできることはたった一つだけだ。
それはひどく
辺境の寒村で滋味ある食料と薬を手っ取り早く手に入れようとするならば、野生の獣を狩るしかない。
それも確か心臓だか肝だかが万病に効く薬だと言われている、熊が
幸いにしてノーグ村の周辺に熊は生息している。
冬眠前の熊は貪欲で凶暴さを増しているだろうが、そんなことはシロウの知ったことではない。
9歳の子供に過ぎないシロウに熊が狩れるかどうかも、この際問題ではない。
どうあっても熊の肉と肝が
それが正解なのかどうかなどわからない。
だが今のシロウの頭で思いつけるのはそれだけなのだ。
それを正しいのかどうかなどというクソの役にも立たないことを思い悩んで、時間を浪費することこそが最も愚かだということくらい、シロウにでも理解できる。
なにもせずにこのまま時間が経過すれば、間違いなくシェリルは死んでしまう。
それを受け入れるつもりなど欠片ほどもないのであれば、思いつけたことを片っ端から実行に移していくしかない。
もう一度病み疲れた院長の額に浮かんだ大量の汗を拭き、耳元で枕元に水と食料を置いてあることを告げ、シロウはこの場を離れる決断を下す。
まだ症状がマシなシェリルのような若い子供たちとは違い、老人ゆえに重篤化している院長は誰かがついていないとこのまま死んでしまうかもしれない。
そんなことは百も承知で、シロウは離れる選択をしたのだ。
そしてこれ以降の選択を間違うことは、一つたりとてシロウには赦されない。
間違えばシェリルが、この世からいなくなってしまうことになるのだから。
いやすでにもう、ここからどんな選択、行動をしても詰んでしまっているのかもしれない。
背筋を駆け上がってきた怖気を両頬を強めに張って振り払い、シロウは立ち上がる。
最優先すべきことは決まっている。
そうすることをためらうつもりはない。
だけどシロウにとって、ずっと自分を育ててくれた老いた院長も大切なヒトの一人であることも確かで、なにも感じずに見捨てるような行動を選択できたわけではない。
だけどもう満足に話すこともできなくなっている院長が、苦しいはずなのにいつものような眼で笑ってくれたから、シロウははじかれたように行動を開始した。
そう見えただけかもしれない。
いや自分の後ろめたさが、都合よくそう見えたことにしたという方が、よほどしっくりくる。
それでも元気な時の院長であれば「こんな
貧しいと思い知るのだ。
その手につかめるものは常に限られていて、よくても一つずつなのだと。
同時にすべてを叶えることなど望めない以上、すべてに順番をつけることを強いられる。
後ろめたさが判断を鈍らせる可能性がある以上、今は都合のいい妄想であれ思い込みであれそれを盲目的に信じるしかないとシロウは決めた。
全速力で物置まで突っ走り、そこに置かれている武器になりそうなものの中から料理などに使用する刃物を複数確保する。
本物の武器である剣など、孤児院の倉庫にあるはずもない。
薪割り用の斧があるにはあるが、固定された薪を割るのでさえ危なっかしい子供の体躯と力しかないシロウが、そんな得物を振り回して熊と戦えるはずもない。
まずは十全に振り回せるという条件くらいは満たせなければ、滋味ある肉と薬を確保するどころか、シロウの方こそ熊の冬眠用の貯えの
だが今のシロウの躰と力で包丁や短刀をいかに自在に振り回したとしても、熊の肉はもとより毛皮すら貫くことはできないだろう。
だからシロウは洗濯用の長めの木の棒を柄と見立て、革紐でその先端に包丁や短刀をしっかりと固定する。
即席の槍である。
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