第80話 深き道



スイが食事を終えてから体感にして約二時間ほど経つと突如として地面が轟音と共に揺れ始める。スイは冷静に家の掃除を手早く終わらせるとソファーに座り揺れが治まるのを待つ。その姿を見て何故かクライオンの三人の妻達は愕然としていた。


「私達が半日かけてやる掃除をあんなに手際良くやれるなんて!?」

「小さい子だと思ってたけど結構手慣れてるみたいだから実際はかなりの年齢なのかな?」

「称賛に値する」


とフィムが驚きユウがその猫耳を揺らしながら考察しイスティアはその眠そうな目を瞬かせながら静かに頷く。三人とも決して掃除が苦手という訳ではないが得意という訳でもない。その為手際良く動くスイに驚いたのだ。見た目十二歳の少女が二時間弱で家中の掃除を進んで手伝い終わらせると誰が想像できるのか。ちなみにこの家を掃除するのに三人の妻達が半日と言ったがそれでも充分早い方なのである。当たり前だが四人が余裕を持って暮らしていけるだけのスペースがある家であり子供のためのスペースも当然ある。見た目より遥かに広大なスペースを持つ家を半日掛けるとはいえ一日で済ませるのだ。早いに決まっている。


「まあ効率良く動けばこれくらいは誰でも出来るよ」


スイがそう言うと三人の妻達に揃って首を振られた。それを見てスイが不満気な顔を隠さずに睨むがスイの表情は余程の事がないと変わらないので気付かれない。現に少し見られただけのようにしか感じていないようで首を傾げられた。


「……ん、それでさっきの揺れは何?」


気持ちを切り替えてスイがクライオンに問う。クライオンはスイが座ったソファーとは別のソファーで本を読んでいたがその声に顔を上げる。


「あれは深き道が海から上がってきたんだよ。今もまだ揺れてるから移動中だね。揺れが止まったら入れるよ。ちなみに移動中に入るのはお勧めしない。入り口が安定してないから変なところに飛ばされるか最悪四肢欠損くらいするから」


そう言ったクライオンにスイは疑問を投げ掛ける。


「入っている最中に移動されたらどうするの?」

「誰かが中に居る限り深き道は移動しないよ。少なくとも深き道の入り口に割としっかりしたキャンプ作って五年も居座った人が居るから」

「……それってクライオン?」

「期待に沿いたいけど違うかな。そいつと友人ではあるけど」


クライオンはそう言うと肩を竦める。


「ん、まあ中に入れば移動しないって分かれば良い……丁度揺れが収まったね」


スイの言葉通り先程まで間断無く続いていた揺れが少しの地響きの後に止まる。


「とりあえず深き道に行ってくる。魔力は……まあ全力で使えるほど回復はしてないけど大丈夫。どうせSランクの魔物が居たところで所詮その程度だし」

「Sランクの魔物は居たら相当やばい筈なんだけどね」

「鼻唄混じりに倒せるだろうクライオンが言うと説得力無いよ」


スイがそう言うとクライオンは何も答えず微笑む。


「あのスイ様、Sランクの魔物がその程度って少々過小評価が過ぎるのではと思ってしまうのですが」


アスタールが少し不安そうに声を掛けてくる。それに対してスイは不機嫌そうに顔をしかめる。無表情の顔にほんの少しの不機嫌が出てきてアスタールはこの短い間の接点で本気で苛立っていると分かってしまい口をつぐむ。


「Sランクの魔物だとか適当に言っているみたいだけどあんなの千年前からしたらBランクが関の山だよ。そんな風に過大評価するから人族弱くなったんじゃない?」


スイの中の記憶にはウラノリアが戦ってきた魔物達との戦闘もある。その中でスイが戦ったSランクの魔物はグランドタイガーだけではあるがその記憶とウラノリアの基準で考えるならあれが「ある程度の魔物」になるだろう。つまり本当に強い魔物と相対すればそこそこでしかないということだ。


「まあ人族が弱くなっていったのは間違いなく事実だしね。僕もそこは擁護できないかな?」


クライオンも認めたことでアスタールは少し居心地悪そうにしている。今は人族とは言えないアスタールだが元は人族の人災という最強の一角を背負っていたのだ。仕方ないことだろう。


「まあそんな話はどうでも良いよ。深き道が何処に居るか分かる?」

「音の響き方からして内陸側じゃないな。多分海沿いに行けば見付かると思うよ。かなり巨大だから見落としたりしないよ」


その言葉に頷くとスイは歩き出す。慌ててアスタールが追い掛けようとするがスイはそれを止める。


「アスタール、貴方は要らない。深き道が迷いの森と同格もしくは格上なら役に立たない。足手まといを抱えながら移動するのはリスクとリターンが合わなすぎる。今回は付いてこないで」


スイの言葉にアスタールは愕然とすると何かを言おうとしてクライオンに止められる。


「今回はって言ってるだろう?次は連れていって貰えるように今は強くなりなよ。はっきり言って今の君は弱いからね。邪魔したくないならやめることだね」


アスタールは悔しげな顔を隠しもせずにスイに頭を下げる。それを受けてスイはアスタールの頭を撫でる。


「ん、良い子にしてたらご褒美でもあげるから」

「……あの、子供ではないのですが」

「……ん、良い子にしてたらご褒美でもあげるから」

「あっ、はい」


アスタールが頷いたところでスイは今度こそ歩き出す。


「良い成果を期待しているよ」

「任せて」


背後からの声を聞きスイは小さく呟いた。



スイが海沿いに歩き始めて一時間程歩いた先にそれは居た。小山にしか見えないほどの巨体を丸めて顔の部分をその巨体に隠した魔物。あまりにも巨大過ぎるために遠近感が狂いそうに感じてくる。しかもその巨体から発せられる他者を威圧する風格は生半な者では近付くことはおろか見ただけで意識を失いかねない。そしてその姿にスイは見覚えがありすぎた。スイ自身の記憶ではなくウラノリアの記憶としてだが。


「……テンベル」


蛇の魔物、≪凶獣ラグランドヴェノムバイパー≫又の名をテンベル。イルナと同じ知性ある凶獣である。但し今の姿からはその知性を感じることは出来ない。当たり前といえば当たり前だ。何故ならテンベルは二千年以上前に死んだ凶獣なのだから。


「死体が異界化したのか。確かにアンデッド化した蛇の魔物とは聞いていたけどまさかテンベルだとは思わなかった」


テンベルは二千年以上前に亡くなった際に食われた筈なので今のように身体があるのがおかしいのだがアンデッド化すると身体が再生するのだろうか。


「ん、良く分からないけど分かってるのはすぐに入らないと移動しそうって事だね」


スイが見ているとテンベルは少し身動ぎし始めたので入らないといけないのだろう。スイは考察をやめてテンベルの尻尾付近に近寄る。尻尾付近には一本の筋のようなものがある。これが入り口だ。ここを胴体に向けて登っていくと異界深き道に入れるらしい。


「登っている最中に移動しませんように」


そんなことを呟きながらスイはその筋に足を掛ける。一歩、二歩、三歩、四歩、五歩と進んだ瞬間世界が揺らいだ。


「……不思議」



先程まで蛇の身体を登っていた筈だが目の前に広がる光景は下へ下へと伸びていくただただひたすらに長い道だ。底は一切見えず何処までも続いているように感じる。


「深き道とは良く言ったものだね」


スイは感心しながらその道を歩いていく。この時入り口から見た者が居れば恐怖におののいたかもしれない。何故ならスイの姿がどんどんとぼやけて溶けるように消えていくのだから。



――深層・入り口――

そして現在スイの目の前に居るのがツインヘッドベアーだ。この深き道の魔物の特徴として全て異形であるというものがある。まだ浅い階層だからか出てくる魔物は頭が二つある……今両方を無くした熊の魔物であったり手が阿修羅像のように六本ある巨大な兎の魔物、足が蛸のように多い顔が上を向いた豚の魔物だったりと色々とふざけた形をした魔物が居る。

しかも深い階層になればなるほど異形度が増していくらしい。クライオンが入ったのは深層・中間地点と名付けた場所までらしいのだがどんどんと正気を失わせていきかねない魔物が増えていったためリタイアしたそうだ。


「えっと、あれが出てきたってことは深層・入り口に入ったってことだね」


深き道に魔物が出てくるのは深層・入り口かららしくそれ以前であれば魔物が出てこないということは恐らく異界化した尻尾先端と二重に異界化しているのではないだろうか。そのため魔物が出現しないと見た方が良さそうだ。


「だから何って話だけど……っと」


一人考察しながら歩いていると上から熊の魔物ツインヘッドベアーが落ちてくる。


「……群れにでも入っちゃったかな」


一体、二体と数えるのが面倒になるほどの光景にほんの少しスイはつい数分前の自分に舌打ちしたくなる。


「まあ良いよ。さっさとおいで。全部蹴り殺してあげるから」


牙が見えるよう獰猛な笑みを意識して見せると怯えた個体から向かってきたのを狩っていく。殴り蹴り掴み噛み砕き潰し抉り貫き裂き襲い掛かる魔物達を折り重ねていく。


「……はぁはぁ」


あくまでも数が多いだけであったためスイに傷はないが体力的にスイは多いわけではないので息を切らす。


「……これは……案外辛いかも」


息を切らしたままのスイに何処から現れたのか阿修羅兎もといハンドレットラビット、実際に見えている六本の腕から更に合計で百本の腕を出す巨大な兎の魔物が群れでやって来てその赤い目を敵意に満ちさせながらスイに襲い掛かる。


「……はぁ…はぁ、んく、殺す!」


スイもまた息を一瞬で整えると翠の瞳を吸血衝動に任せるままほんのり赤くしながら飛び掛かる。戦い始めて三十分程が経過すると更に何処からか魔物が溢れてくる。


「キリが……ないっ!調子にぃ!乗るなぁ!!」


スイが吠えて周囲に暴虐の嵐を振り撒いていく。背後で爆炎が轟き左右で暴風に切り刻まれるもの、黒焦げになるものが量産されていく。


「あぁっ!!」


たまにかする攻撃にスイは体重が軽すぎるが故に吹き飛ばされる。その度に軽くない傷を負っていく。


「ケルベロス!ヒーク!」


スイの内から三つの頭を持つ巨大な犬が出現し視界から一瞬で消えた小さなしかし強大な力を持つ梟が上空に飛び上がる。そうして一人と二匹になって暫くすると徐々に魔物は総数を減らしていく。三時間が経過するとそこに立っていたのはスイと二匹の獣だった。


「……はぁ……はぁ……はぁ……疲れた」


スイは合計にして四時間以上の戦闘に端的に感想を述べる。ケルベロスもヒークもその意見には同感らしく少し疲れた表情でスイの近くで座り込む。


「……指輪に入れないと……」


スイはさっさと指輪の中に魔物達を詰め込むと今度こそ疲れた表情で座り込んだ。ケルベロスにもたれ掛かりヒークを胸の内に抱える。


「……これ、中間地点やその奥でもこうなるのかな」


恐ろしい想像をしてしまいスイは少し顔を青ざめさせる。一体一体はスイにとって脅威ではないとしても何処を向いても魔物しか居ないあの光景は継続戦闘能力がかなり求められる。ケルベロスとヒークが居ても三時間も掛かったのだ。更に強いであろう奥の魔物だと何時間掛かるのか想像も出来ない。


「……どうしよう。創命魔法で何体か更に作る?時間は掛かるけど出来る。ただやっぱり現実的じゃない」


創命魔法でケルベロス達並のものを産み出そうと思えば現在のスイの魔力のほぼ全てだ。使えば行動が出来なくなる。何日も掛けることとなってしまうのだ。


「それでも良い感じがするけれど……誰!?」


スイは咄嗟にティルを深く被り誰何の声を上げる。


「あっ、えっと警戒させちゃったかな。それとも君は魔物かな?」


そうして答えたのは何処からか表れたフードを深く被った少年とおぼしき存在だ。どうもフードの中の顔が分からない。


「アーティファクト、影の衣か」


呟いたスイの声を聞こえたのか少年が驚く。


「これが何か知ってるの?僕はこれが何か知らないから教えて欲しいんだけど」

「…………知ってるけど敵か味方かも分からない人に言いたくない」

「……んー、それもそうか。なら交換条件でどうかな?僕はこの異界を探索したい。その間だけ共闘するというのはどう?君の目的も異界探索だろう?だったら力が欲しい筈だ。僕は自慢じゃないけどそこそこ強い。どうかな魔族の女の子?」


消耗したスイは警戒しながらも頷くことにした。願わくば敵にならないことを願って。

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