第20話 剣国アルドゥス



それはスイが発生するほんの五日ほど前の出来事だ。


「くそっ!忌々しい!」


豪華な廊下を歩く二十代後半に差し掛かるかと思われる男がそんな言葉を吐き捨てる。男は誰が見ても金が掛かっていると分かる装飾品過多な服を着ていてその男の後ろには初老の男が付き従っている。一見して貴族と分かる男は魔族との戦争で最前線を担う国「剣国アルドゥス」の王……アレイド・グイ・アルドゥスだ。まだ王となるには早い筈だが先代の王が魔神王ヴェルデニアとの戦いで戦死したために王位継承権第一位であるアレイドが自動的に王となったのであった。


「陛下、あまり声を荒げるのはお止めください。ここは廊下です。誰か聞いてるやもしれません」

「ハッ!誰が聞いていたとしても構わん。むしろ大いに聞かせてやろう。私が如何に魔神王のことを嫌っているかを嬉々としてな!」


そう言ってアレイドは苛立ちのままに豪華な廊下を音を立てて歩いていく。すると壁際に控えていた緑髪のメイドがアレイドに近付いていく。


「ご主人様…使者が参られたようです。応接室にお通し致しますか?」


小さな声でメイドが囁く。アレイドはそれを聞くと頷き、向かっていた執務室から応接室へ方向転換する。

応接室前には緑髪のメイドに顔のよく似たメイドが二人立っている。アレイドが近付くと静かに扉を開ける。そのまま中へ入ると応接室のソファーで一人の男が座っている。その男はアレイドが入ると立ち上がり挨拶する。


「陛下。お久し振りで御座います。再び生ある状態で会えたことに感謝を捧げたいですね」


王であるアレイドに対して明らかに敬うような口振りではないがこの男に関してはそれが許されている。アレイドに信頼されているというのも理由の一端ではあるが、それ以上の理由として同じ思いを抱く同志であるというのが一番の理由だ。


「久し振りだな。敬語など私達の間では不要だと前にも言ったと思うが?」

「いえいえ前回は貴方様は王ではなく王太子であったではありませんか。地位が高くなったのならば敬わなければ」

「敬うと言ったその割には少し口調がぞんざいになってるようだが?」

「これは失礼を。どうも小さな男の子であった者に対しては少々口が緩くなってしまうようですね」


言葉だけ書き起こしたならば喧嘩しているのかと思われるような会話を続けている二人だがその表情はまるで少年のように面白くて仕方がないような表情だ。この二人にとってはこれが普通の会話であることが良く分かる。


「さて、じゃれるのはこの程度にしておこうか。それで何か進展があったのであろう?」


そう言って先程までとは一転して真剣な表情になったアレイドに男も表情を真剣なものにする。


「やはり魔軍の中にもまだ一割にも満ちないがあの若造の思想に当てられた者達がいた。リストに起こしておいたので見付けたら頼む」

「分かった。兵士達には伝達しておくとしよう」

「それと……そろそろだ」

「……そうか。分かった。勇者召喚の用意は済んでいる。見ていくか?」

「いや儀式が終わるまで数日はかかるだろう?私は戻るよ。あの若造の機嫌も取らねばいかんしな」

「……死ぬなよ?」

「気紛れで死なない事を祈ってはおくがどうなるかは分からないから気軽に死なないとは言えないな」


そう言って男は立ち上がり扉へと向かう。


「そうか。では次もまた貴方と生ある状態で会える事を祈ろう。魔軍総大将フォーハ殿」


そう呼ばれた男――フォーハ――は曖昧な笑みを浮かべて部屋から出ていった。



「アイリス」


アレイドがそう呼び掛けると緑髪のメイドが部屋へと入ってくる。


「どうなさいましたか?ご主人様」

「勇者召喚を始めろ。勇者にも賢者にも気付かれないようにな。最後の段階では気付かれても構わん。いや気付かれるようにしろ」

「畏まりました。ご主人様」


一礼するとアイリスと呼ばれた緑髪のメイドが部屋を出ていく。


「陛下、本当に宜しいのですか?勇者様もまだまだ戦えます。賢者様もご反対になるかと存じます」

「分かっているとも。だが、今を逃せば確実にヴェルデニアによって人も亜人も等しく死に絶えることになる。一時の不満と引き換えに後の平和を得られるというのならば余は悪に身を落とすことも許容しよう」


そう言ってアレイドは立ち上がる。


「勿論……お前は付いてきてくれるよな?武聖イーグ殿?」

「陛下……畏まりました。この身は貴方様の為に」


部屋から出る際にアレイドは呟く。


「さて…次代の勇者はどのような者なのだろうな?」



「お、お、お待ちくださいっ!陛下は部屋には誰も入れるなと!」

「私も!?」

「ひぃっ!ゆ、勇者様。お許しください!私はただ陛下の命令で……!」


アレイドが執務室で書類を見ていると部屋の外が騒がしくなってくる。アレイドは静かに溜め息をつく。


「アイリス、開けてやれ」

「畏まりました。ご主人様」


青髪のメイドが静かに扉を開ける。すると声の主は勢い良く執務室へと入りアレイドの前の机に両手を叩き付けた。


「どういうつもり!アレイド!勇者は代替わり以外に召喚されないって言ってたのにどうして儀式が行われているの!答えて!!」


声の主はあらんかぎりの大声で捲し立てる。


「うるさい、話してやるから声を小さくしろ。耳が痛くて仕方無い」


そうアレイドが言うとむすっとしながらも声を小さくする。それでもまだ大きいが。余程腹に据えかねているらしい。


「アレイド。私はまだまだ戦える。何故わざわざ危険な場所に人を……勇者を送ろうとするの……」

「お前の同胞がこの世界に来るのは嫌か?」

「うん。この世界は危険が多い。少しの油断で死ぬ。私は既にこの世界に慣れたし戻れたとしても居心地も大して良くない。だから別に良い。だけど私以外の人が私のようであるとは限らない」

「だろうな。そもそも早い段階で慣れたお前のような者の方がおかしいのだ」

「分かっていてどうして!」


また興奮してきたのか声が大きくなってくる。


「人類のためだ。この世界に生きる全ての生命のためだ。少数の犠牲でそれらを救えるというのならば私はお前の同胞を……お前でさえも使い潰すことになろうとも止まることはない」


はっきりとアレイドは言う。


「それにお前が今来たところでもう遅い。既に儀式は半ばまで終わっている。今やめれば力も持たぬ者が召喚されお前の言うように命を失うであろう」


そうアレイドが言うと声の主は悔しげに歯を噛み締める。


「だからお前が助けてやれば良い」


その言葉に疑問を浮かべるよりも前にアレイドは続ける。


「勇者召喚の儀式では最後の段階でどれだけの魔力が費やされたかで勇者の内包する力が決まる。だからお前の魔力を使えば良い。賢者にも既に声をかけた。賢者、いやお前の先代勇者、勇者のお前、そして我が国が誇る魔導師団による儀式で最高の力を勇者にやれば良い。そうすればそこらの魔物にやられるようなことだけはないだろう?」

「……それが狙いか……だけど分かった」

「ならば私のところに来るのではなく勇者のところへと行ってやると良い。あと全ての魔力はやるなよ?どうせ今回も勇者は死にかけているだろうからな」

「どういうこと?死にかけている?」

「言葉のままの意味だ。勇者召喚によって呼び出された者は例外なく死にかけているのだ。ああ、勘違いするなよ?儀式のせいで死にそうなのではなく呼び出される以前に何らかの要因で死にかけているのだ。お前もそうであったように」

「……そういった者を選んで召喚している?」

「恐らくな。何故そうなのかまでは知らないが」

「貴方達が選んでる訳じゃないの……?」

「いや、勇者召喚の儀式は神代の時代の遺物だ。私達では干渉すら出来んよ」

「……?」


何かの違和感を感じたのか勇者は何かを言おうとして口をつぐむ。


「分かったならさっさと行け。私はまだ忙しいんでな。あと再度言うが魔力はそうだな……一割は残しておけ。死にかけのやつを治すのは苦労するからな」

「……分かった。だけど後で良い。一発殴らせて」

「断る。首から上を無くしたくないんでな。代わりに新勇者の為の装備ぐらいは用意してやる」

「……分かった」

「なら行け。勇者」

「勇者と呼ばないで」

「……はぁ、行け。ミオ」


そう言われ勇者――双葉未央ふたばみお――は少しだけ満足そうに部屋を飛び出していく。



未央は部屋を飛び出して一直線に儀式の間へと走っていく。その途中で髪色の豊かなメイド達を見掛けるが未央はそれらを不気味そうな目で通り過ぎていく。

あのメイド達が実は人ではなくアーティファクトの一種であると知っているからだ。それなのにまるで人のように過ごすそれを不気味に思うのは仕方無いだろう。

あのメイド達は正式名称"天楽てんらく群命ぐんめいアイリス"。総計二百体からなるメイド集団だ。その効果は今も見たメイドとしての働き、主の危険に対して命を賭けて(厳密に生きているというかは分からないが)助けるというものだ。その効果ゆえかこのメイド達は精強な兵士達二十人に囲まれたところで一体で切り抜けられる程の実力がある。ただし、あくまでそれに主の危険があれば戦うだけであり、無いなら一切戦わないが。

そんなことを考えていたら儀式の間へと到着する。未央が中に入ると未だ儀式の最終段階にはなってはいないようだ。まあアレイドと別れてまだ五分くらいしか経っていないから当たり前と言えば当たり前だが。


「……ん?未央来たか」


儀式を離れて見ていたらしい六十を越えた辺りの男性に声を掛けられる。


「うん。来たよ。おじさん」

「くっ、俺ももうおじさんかぁ……」

「いや、結構前からおじさんでしょ」

「まだおじいさんではないよな?」

「さあ?というか何?わざわざ幻影使ってまで何でおじさんに見せたの?」


そう未央が言うと六十程に見えていた筈の男性がまるで糸が解けるように消えていきそこにいたのは未央より少し年上に見える二十代後半の男性が立っていた。


「いやあ、この世界が下位世界?だかなんだかで俺達全然成長しないだろ?だからおじさんになってみた」

「まだ成長しないっていうのを実感するほど私はこの世界に居ないけどさ。おじさんになる意味は分かんない」

「良いじゃねぇか。渋いナイスガイに憧れててもよ」

「というか未だに成長しないのはおじさんが変なの取り込んじゃったせいでしょ?自業自得じゃない」


そう未央が言うと男は少し声を潜めて話す。


「いやまあそうなんだがな。人族の神様倒すはめになってその概念とやらを取り込むことになるなんざ誰が想像できるよ?」


つられて未央も声を潜める。


「まあ、確かに想像は出来ないけどね。別におじさんが取り込む必要は無かったんじゃない?」

「こんな馬鹿げた力を何処の誰に預けられるんだよ。≪生命≫だぞ?どんなものかも分からないってのに怖くて誰にも渡せねぇよ」


そう言った男は右の手の平を上にするとそこからまるで滲み出るかのように一つの球体が出現する。魔族以外には知られていないため仕方無いのだが二人が≪概念≫と呼ぶそれは明らかに素因だった。


「これどう使うの?」

「さあな?知らん。取り込んだらやたらと年取るのが遅くなって力が強くなったとしか認識してないな。というか下手に使って取り返しのつかない事態は招きたくない。かといって使い方知ってそうなやつは知らんし居ても隠したいな」


そう言うと男は再び≪生命≫を取り込む。儀式に集中しているのか魔導師達に気付いた様子はない。気付かれないように男がさりげなく認識阻害の魔法を使っていたというのも理由としてあるとは思うが。


「とにかく今は儀式を待つだけだな」

「そう…だね」

「やっぱ嫌か?」

「うん」

「ま、そうだわな。でも俺は良いと思うが」

「どうして?」

「そりゃこうして召喚されなきゃ少なくとも俺は死んでたしな。知ってるか?俺ヤクザにぼこぼこにされて死にかけたんだぜ?そんな死に方認められるかよ」

「……そっか。今から召喚される子も」

「俺みたいに殺されかけた奴かもしれん。……お前みたいに自殺しようとした奴かもしれん。だけどそれなら新しい人生をこっちで過ごすのは悪いことだとは俺は思わないな。結局のところ自己満足なんだけどな」


そう言って男は肩をすくめると儀式の方に目を向ける。


「そろそろ終盤だな。魔力込めに参加するか。未央もするんだろう?」

「うん。せめて魔物に殺されたりしないようにしないと」

「勇者として召喚される以上そこらの魔物には殺されたりはしないと思うけどな」

「それでも、だよ。あきらさんも精一杯魔力送ってね?」

「分かってるよ。というか久し振りに名前呼ばれた気が……もっかい呼んで欲しい」

「やだ。おじさんはおじさんのままで呼ぶ」

「ちくしょう」


そう言って二人は魔法陣に膨大な魔力を送り込んでいく。送れる時間は十分程度しか無いため二人は全力だ。魔導師達も治癒するための魔力以外は全て使い尽くす勢いだ。


「来るぞ!治癒魔法を唱え始めろ!」


魔導師達へ大きな声が響き渡る。いつの間に来たのかアレイドが後ろに立っている。アレイドの年の離れた妹でもあるアーシュも隣に立っていて見守っている。

「≪≪風癒結界フィールドスインドリア≫≫!」

儀式の間に結界内の者を癒す治癒魔法が多重展開される。

神癒コールヒール!」

常癒リジェネレーション!」

賢者である上城かみしろ晃が単体回復魔法の最高位魔法を、未央が自分のみが使える再生回復魔法と呼ばれる特殊魔法を放つ。色鮮やかな光が辺りを煌めかせていく。


「儀式は終わったみたいだな」


晃が魔法陣の方を見て話す。未央は魔法陣に向けて早足で駆けていく。そして未央は絶句する。高位の治癒魔法が大量にかけられたにも関わらずその少女はまだ酷い怪我を負っていたからだ。腹部には複数回刺されたようで見るも無惨な光景になっている。その上喉も切られていて全身が濡れている。


「っ!?もっと治癒魔法を!急いで!」


未央がすぐに周りに居た魔導師達に声を掛ける。急いで高位の治癒魔法を唱える魔導師達とその短い時間を持たせるために低位回復魔法を掛けていく魔導師達。


「助けてあげるから……頑張って」


未央もまた少女に治癒魔法を掛けつつ呼び掛ける。慌ただしくなった儀式の間では召喚されたと同時に何処かへと飛び出していった淡い光については誰も気付かなかった。

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