⑥野営
西日がさらに傾き、オレンジの夕陽に変わる頃―――、
イハナ隊の一行は予定していた野営地に辿りついた。
それは旅人たちのために作られた、野宿の拠点だ。
草木は刈り取られ、石組みのかまどが設置され、以前利用した者が不用品を残してくれたりしている。
近くに泉もあるため、水にも困らない。
隊商の一行は、手慣れた様子で騎鳥を木に繋ぎ止め、野宿の用意を始めた。
焚き木を集める者、食事の用意に取り掛かるもの、天幕を設置して回るもの、それぞれ実に手際よく作業をこなしていく。
「あー、やっぱこの時期は生木が多いっすねー」
「文句言うな。雨でしけってないだけマシだろ」
「焚木班は少し多めにとって乾かしとけよ。次ここ来た奴が使うからな」
「うーん、次の街までまだあるよなー。このへんの芋とかどうする。まだとっとくか」
「入れちまえ、入れちまえ。今夜はココハちゃんの歓迎日でもあるからな」
「男ども、もちっとぱぱっと水汲めないのかい。足りないよ」
隊商たちの交わす怒声にも似た会話がにぎにぎしい。
そんななか、ココハはというと、
「たびたびご迷惑をおかけします……」
隊商が張ってくれた天幕の一つの中で、へばっていた。
あおむけにだらりと手足を投げて、寝転がる。
慣れてきたとはいえ、騎鳥に乗っている間、実は完全に緊張が解けたわけではなかった。
自分でも気づかないまま身体がこわばっていて、ふだん使わない筋肉を使ったせいもあって、騎鳥から降りた途端、全身の節々がずきずき痛んだ。
とてもじゃないけど、しばらく動けそうになかった。
「なぁに、しばらくゆっくりしてな。すぐに痛むってのは若い証拠だ」
「そうそう。俺なんてそういう時は、三日後になって全身痛くなったりするからなぁ」
天幕の外でそう言って、隊商たちは気さくに笑った。
なんとなくだけど、騎鳥をまがりなりにも乗りこなしたことで、イハナ以外の隊員たちとも一歩距離が近くなったみたいに、ココハは感じていた。
「ちなみに隊長は何日後くらい?」
「あ? なぁんでそこであたしに振るかなぁ? あたしが若くないっていいたいのかなぁ?」
イハナは相変わらずのにこにこ笑顔だったが、その目線だけが凍てつくほど冷たい。
はたで見てるココハすら、ぞっと背筋が震えるほどだった。
「ちょ、言ってないですって、隊長。軽く聞いてみただけじゃないっすか」
「うふふふふ~。フィト。夕飯の後、あなただけ突然お腹痛くなったりするかもね~」
「飯になに混ぜる気ですか!? そういう陰険なのマジやめてくださいよ!」
軽口を叩きながらも、隊員たちは実に手際よく野宿の用意を終えた。
そんな外の喧騒を聞きながら、
「うぅ……。まさかこんなに早く使うことになるなんて……」
ココハは天幕の中でなんとか上体を起こし、自分の荷袋をごそごそやった。
取り出したのはいくつかの薬草、小瓶に入った不思議な色の液体、それに携帯用の乳鉢とすりこぎだった。
「えっと、橙の葉と紫のエキスが二対一と、それと……」
ぶつぶつつぶやきながら手のひらで薬草の分量を量り、乳鉢ですりつぶし、液体を垂らし混ぜ合わせていく。
小さく呪文を唱え、アルケの精度を確認したのち、調合を完了した。
「うん、こんなものかな」
できあがったばかりの魔法薬を、ココハは鼻をつまんでぐいと飲みこんだ。
ココハが作ったのは、肉体の疲労回復の薬だ。
飲んですぐに、痛みが我慢できる程度まで引いていく。
「うん」
効果は上々だった。
この分なら明日には完全回復できているだろう。
けど、まだストックはあるとはいえ、携行してきた魔法薬の材料を初日から使う羽目になってしまったことは、先が思いやられた。
「はあ~」
ココハが軽く落ち込んでいると、
「ココちゃーん、ご飯の支度できたよー。起きれるー?」
イハナの呼び声が外から聞こえてきた。
「は、はーい。いま行きます」
ココハはまだ残る痛みをこらえて天幕を這い出た。
外はもう宵闇が迫っていた。
焚火を囲み、石や丸太に座るイハナ隊一同の姿が黒いシルエットになって見えた。
「ココちゃん、ここ、ここ」
イハナがぽんぽんと自分の横のスペースを叩き、ココハはイハナの座る丸太の隣りに腰かけた。
「ココちゃんってお酒飲めない子だっけ?」
「あ、できればお茶がいいです」
「あいよー」
ココハはお茶のカップを受け取った。火で沸かしたお湯で作ったから、熱々だった。
「それでは、遅れながらココちゃんの魔法使い学校卒業と、故郷への旅立ち一日目を祝しまして―――」
「えっ、ちょ、わたしはおまけでついてきてるだけで……」
ココハが謙遜している間にも隊員たちはコップをかかげ、
「かんぱーい!」
「乾杯!!」
高らかに打ちつけあった。
焚火の上には大きな鍋が吊るされ、その中身がぐつぐつと煮え立っていた。
隊員たちは深皿にそれぞれの分をよそおい、回していく。
ココハも一つ受け取り中を覗きこんだ。
乳白色のスープみたいだった。ベースになっているのは山羊のミルクだろうか。
「ささ、ココちゃん、遠慮せず食べて食べて。お代わりもあるからね~」
イハナに促されるままに、ココハはそれをスプーンですくい、口に運んだ。
「んん、おいしい!」
思わずそう口に出さずにはいられなかった。
濃厚なスープの味が疲れた身体に染み渡るようだ。
それにぶつ切りの野菜や肉がごろごろ入っていて、ココハが野宿の食事として想像していたより、ずっと豪華だった。
ココハは夢中になってスプーンを動かし続けた。
「へへっ、どうやらイハナ隊名物、謎肉たっぷりの山賊シチューは気に入ってもらえたみたいだな」
ココハの食べっぷりを見た、若い隊員がそう言った。たしか、フィトと呼ばれていた。
「謎肉、ってなんですか……?」
ココハはスプーンを繰る手を止めて訊いた。
確かに、その肉は味も触感もココハが口にしたことのある肉とは、どれも微妙に違っていた。
「謎肉は謎肉さ。謎だからな」
「な、なんの答えにもなってませんよ」
「ココハさん」
渋い声で副隊長のエステバンがココハの名を呼んだ。
「探求心旺盛な魔導士の貴女にこのようなことを申し上げるのは心苦しいのですが……。世の中には”知らない方が幸福なこと”も存在するのですよ」
「エステバンさんがマジメな顔で言うとめちゃくちゃ怖いんですけど……。これ、そんな真剣な話じゃないですよね……」
「…………」
エステバンは無言で肩をすくめ、それ以上何も言わなかった。
「こーら、あんたたち、ココちゃんをおどかすんじゃないわよ。この子はうちの新入りじゃないんだから」
イハナがココハをかばうように、その肩を抱いた。
隊長に叱られ、隊員たちはそろっていたずらっぽく笑った。
エステバンすら、どこか少年めいた微笑を浮かべていた。
どうやら「山賊シチューの謎肉」とやらでおどされるのが、イハナ隊新入りの通過儀礼のようだ。
たっぷりと口にしてしまった後でそんな意味ありげに言うのだからタチが悪い。
「で、イハナさん、結局謎肉ってなんのお肉なんですか。わたしはイハナ隊じゃないから、教えてもらってもいいんですよね?」
「えー、あー、うん……」
とたん、イハナの歯切れが悪くなった。つい、と目をそらしながら、
「まあ、うん、安心して。ちゃんと食べられるモンだから。その……サラマンドラの市場に出回るようなものじゃないけどね」
「どういうことですか。こっち見て話してくださいよ、イハナさん!」
結局、誰にどう聞いても答えは得られなかった。
謎肉の正体は謎のままだ。
「おいしい……。おいしいけど、とっても不可解……」
そうつぶやきながらも、食欲には勝てなかった。
ココハはお代わりまでして、山賊シチューを堪能した。
腹の心地が落ち着いた後は、改めて簡単に自己紹介をして、隊員たちにもそれぞれ名前を教えてもらった。
いきなり十人全員の顔と名前を覚えるのは難しかったけど、旅に同行する身としてなるべく早く覚えたかった。
そんなこんなで夕食の席は楽しく過ぎていった。
けれど、隊商にとって旅は日常だ。無駄に夜更かししたりはしない。
明日に備えて体力を温存するため、交代の火の番を除いて早々に就寝する。
ある者は天幕の中へ、ある者は馬車の中へと引っ込んでいく。
最初に見張りの役を担ったのは副隊長のエステバンだった。
今日一日足を引っ張ってばかりで何の役にも立てなかった……。
そんな思いにとらわれていたココハは、思わずエステバンに声をかけた。
「あ、あの……、火の番くらいならわたしもできると思います!」
エステバンは静かに笑って、首を振った。
「我々の旅は長い。いつかココハさんに頼る時もやってきます。その時はよろしくお願いします」
焚火の炎が陰影をつくり、昼間見るより一層ニヒルなカッコ良さを際立たせていた。
ココハは一瞬―――、ほんとうにごく一瞬、ぼ~っとその顔に見とれた。
「ココちゃん、なにしてるのー。早く寝よー」
「あ、は、はい」
天幕のなかからイハナに呼びかけられ、ココハは慌てて返事をした。
慌てたわけは、自分でもよく分からなかった。
エステバンにぺこりとお辞儀して、イハナの待つ天幕に入る。
「あれ、ココちゃん、なんか顔赤い? やっぱり疲れてるっぽい?」
「だ、大丈夫です」
エステバンの言葉も考えてみればもっともだった。
筋肉痛で寝込んでいたというのに、ここで変にはりきって翌日も迷惑をかけたのでは、本末転倒だ。
それに自分が思った以上に疲れていたようで、横になるなり、一気に眠気が押し寄せてきた。
節々の痛みも気にならないくらいだ。
―――明日こそがんばろう。
夢うつつにそう思いながら、ココハの意識は深い眠りのふちに沈んでいった。
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