②親友たち

 サラマンドラの王立魔導学院の大講堂は、学院の格調にふさわしい瀟洒しょうしゃな建物だった。

 学院の敷地内でも特に威風堂々とした、大きな施設だ。

 ステンドグラスの採光窓や白亜の列柱は教会の聖堂にも似ている。




 けれど、魔導士は偶像をあがめない。

 聖母像の代わりに講堂の壁や床を彩るのは、幾何学的な魔法陣の紋様だった。

 その講堂には、制服姿の男女がひしめきあっていた。

 色やもように違いはあるものの、みな同じような魔道学士の制服だ。

 歳は十代の後半から二十代の半ばくらいまでがほとんど。


 講堂のあちこちでかたまりをつくって、それぞれの友人たちと談笑していた。

 誰もがどこか晴れがましい顔つきだった。

 生徒たちのかもしだす浮き立つ空気は、お祭りのようだ。


 それぞれの専門分野に分かれ、習熟度によって授業の異なる魔導学院において、生徒一同が一つところに集まる機会はきわめて限られている。


 入学式―――そして、卒業式の時くらいだ。


 ―――あ。


 だから、講堂に入ってきたココハが、その光景を前に、入学式のことを思い出したのもある意味当然と言えた。


 ―――これ、絶対ダメなやつだ。


 緊張と不安でがくがく震えながら、おっかなびっくり入学式にのぞんんだ記憶がよみがえった。

 そして同時に、いまから卒業なんだという実感が湧いてくる。

 それだけで胸をきゅっとしめつけられるような想いがあふれかえってきた。


 一度その想いにとらわれはじめると、自分でもどうしようもなく、津波のようにあとからあとから心を揺さぶってくる。

 卒業の時は泣くのはナシで、笑って旅立とう。そう親友たちと約束した。

 早くもその約束を破りそうだった。


 ―――ヤバい、ヤバい。


 こらえようとすると、余計に涙があふれてくる。

 とうとう、ぽろりと雫になって目の端からこぼれた。

 こんなところ友に見られたら絶対怒られる。


 ココハは顔を見られないよううつむいて、生徒たちの中にまぎれこんだ。

 けど、それも無駄だった。


「ん。ココハ……もしかして……泣いている?」

「あー、この裏切り者! 仲間の誓いをさっそく破りましたわね!」


 ココハに呼びかける二つの声。

 講堂にあふれる生徒の中からさっそく友人に見分けられ、泣いていることもそっこうバレた。


「うぅ……だってぇ」


 言い訳しようと顔を上げて友の顔を見て、


「う、ううぅぅぅ」

「ちょ、ちょっとなんでもっと泣いていますの」

「だ、だって……二人の顔もこれでみおさめかと思うと……うぅ、ぐす……」

「まるで……わたしたちが死ぬみたいな……言い方」


 友人たちは一人はポケットからハンカチを取り出し、もう一人はココハの背中をさすった。


「いまからそんな調子でどうしますの、もう」

「ん。……卒業式のあとは……パーティー。ココハ、泣きすぎて……ひからびない?」

「……うん。だいじょうぶ。ありがと、エメリナ、ノエミ」


 ココハはごしごしと袖で顔をぬぐって、これ以上心配させまいと友人たちに笑顔を作ってみせた。

 油断するとまた涙があふれそうだったけど、ぐっとこらえた。


 二人の親友と順番に視線を交わす。

 制服を着ていても育ちの良さが全身から漂うのがエメリナだ。

 艶やかなプラチナブロンドに、まつげのカールした琥珀色の瞳。少し勝気そうな赤い唇。


 誰しもが、一目で彼女が貴族の出自だと分かるだろう。

 彼女は一言で言うと「女子力のかたまり」のような女の子だった。

 学院生では珍しく、ふだんからメイクを欠かさずにいたけど、それが嫌味にならず、ごく自然体でさまになっていた。


 魔術の勉強だけでなく、貴族のたしなみとして詩歌、楽器の演奏にも通じ、乗馬さえもこなせた。

 三人の中では一番社交的で、多忙な学院生活の合間によくお茶会を開いて、学科の違いや先輩、後輩性別に関係なく、様々な生徒を招いていた。


 そんな貴族の令嬢エメリナと自分のような田舎娘が親友と呼びあえるような関係になるなんて、魔導学院以外の場所だったら絶対にありえなかっただろうと、ココハは思う。


 入学した当初は互いの常識があまりに違いすぎてよく喧嘩したものだった。

 いまとなれば、それも笑い話だ。


 もう一人のココハの親友ノエミは、サラマンドラでもまだ珍しい”眼鏡”をかけた、背の低い少女だ。

 白い髪は短髪に切りそろえていて、あまり起伏のない身体のせいもあって、よく男の子に間違えられていた。


 無口で表情にとぼしく、何を考えているのか他人にはよく分からない。

 彼女は学年で常にトップの成績で、魔導学院はじまって以来の秀才と言われていた。

 いつも図書室に大量の魔導書を積み上げ、黙々と勉強していた。

 無口、無表情なのもあって、周りにはどこか近寄りがたく思われがちな生徒でもあった。


 けれど、ココハ達とは不思議と気が合い、だんだんと打ち解けていった。

 本当は心優しく、案外繊細で傷つきやすい心の持ち主だとココハが知ったのは、入学してからしばらく後のことだった。


 身分も成績の優劣の垣根も越えて、三人がお互いを親友とためらいなく呼べるほどの仲になったのはいつの頃からだろう。いつの間にか、二人が傍にいるのが当たり前のようにココハは感じていた。


『えー、間もなく卒業式をはじめまぁす。生徒一同は、各自所定の席に戻ってくださーい』


 壇上からおっとりと呼びかける、少し間延びした女性の声。

 風のアルケを封じた魔道具によって声を拡大しているから、大声を出さなくても講堂中によく響いた。


 栗色の髪を伸ばした若い女性だ。生徒のなかには、彼女より年上の者もいるだろう。

 主に事務仕事を中心に担い、生徒たちの間では”売店のお姉さん”として親しまれている存在だが、学院の卒業生であり、れっきとした魔導士の一人であった。

 その名をサンディー・ユウ教諭といった。ちなみに彼女の専門は、魔道具の取り扱い全般だ。


「あら、もういかないと」

「ん。……またあとで」

「うん、二人ともまたあとでね」


 ココハ達三人はそれぞれの専攻学科ごとに定められた席へと散っていく。

 同い年なこともあり仲良くなった三人だが、専攻している学科はそれぞれ別だ。


 エメリナは女学生に一番人気の学問―――占星術を学んでいた。

 占術系の学部はどれも人気の学科だが、なかでも天文学と結びつく占星術は、もっともロマンチックな学問として憧れの的だった。


 華やかなエメリナの雰囲気にぴったりだったが、その実、彼女は地道な勉強もおこたらなかった。

 星宮図の解読、天球が人の宿世に与える影響、それを魔導学的根拠をもって割り出すアルケ計算法、一見華やかなこの学問にも覚えるべきことは山ほどあった。


 努力している姿を人に見せたがらないエメリナだったが、その裏でどの生徒よりも真摯に占星術に向き合っていたことを、ココハもノエミも知っている。そのおかげもあって、彼女の卒業成績はトップクラスにはやや届かないものの、十分上位のほうだった。


 ノエミの専攻は魔導学院のなかでも、もっとも難解といわれる”数秘学”だった。

 ココハは”数秘学”のなんたるかを何度もノエミにきいていたが、とうとうよく分からずじまいだった。


 かろうじて理解できた範囲を要約すると「わたし達の学んでいる魔術は実はアルケも含めて根源的な部分でまだ分かっていないことがたくさんある。数秘学とは魔術とはなんであるかを解き明かすための論理魔術である」ということだった。

 よく分からないなりに、ストイックに淡々と勉強するノエミに合っている気がした。


 最上級生の頃になると、もはや生徒としてではなく、ほとんど対等な魔導研究者として教師陣と議論しているところを、何度も目にしていた。

 その内容は専門的過ぎてココハにはさっぱり分からなかったが、ふだんの無口な姿からは想像できないほど活発に教師たちと意見をかわすノエミの様子は、ココハの目にはとてもかっこよく映った。


 そしてココハは、魔法医学を専門に学んでいた。

 結局、卒業生のなかでは真ん中より少し下くらいの成績だ。

 けれど、専攻の魔法医学については、特に薬草学を中心にココハなりに真剣に学んできたつもりだった。


 入学当初は最下位争いをしていたこと、そして彼女と底辺の成績にいた者達がみな途中退学してしまったことを考えれば、十分な結果と言えるだろう。


 ココハの目標は、学院で一位を取ることでも、歴史に名を残すような世紀の大魔導士になることでもないのだから……。

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