息子の部屋
連喜
第1話 ぬいぐるみ
息子が駄菓子屋で古いぬいぐるみを買って来た。駄菓子屋になぜぬいぐるみがと思うのだが、すごく安かったらしい。ビニール袋をかぶせてあったから、古いけど埃で汚れてはいなかった。そいつは茶色く毛深い猿のぬいぐるみで、お店の棚の上にあって長年売れ残っていたらしい。値段は千六百円と手頃な値段だったとか。俺は珍しい物なのかなと思って、タグに書いてあった会社をネットで調べてみ。〇〇社というメーカーはすでに倒産してしまっていたが、その会社の製品はフリマアプリにも出ている。コレクターに売れるのではと思ったけど、人の物だし勝手に売ることなんてできないから諦めた。
そのぬいぐるみが子ども部屋の勉強机の棚に置いてあるのだが、ものすごく不気味だ。混とんとした佇まい。何とも言えずシュールな物悲しい目でこちらを眺めている。うちの子はまだ反抗期ではないから、子どもの部屋にも普通に入る。コンコンとノックしてドアを開けると、一番最初に猿と目が合う。
「何だか気持ち悪いなぁ」
「パパ、そんなこと言ったらサムソンがかわいそうだよ」
息子は怒った。猿はサムソンという名前になっていた。
「ごめん、ごめん。でも、ドアを開けると目が合うんだよね」
まるで入って来るなというオーラを醸し出しているようだ。
しばらくすると、息子が部屋でぶつぶつ何か話していることが増えた。誰と話しているんだろうと思い、ドアをノックして中に入ると息子一人しかいない。机に向かって勉強している。
「今、誰かと喋ってなかった?」
「ううん。独り言だと思う」
「そうか・・・」
「いつも勉強頑張ってて偉いなぁ」
「うん」
息子は頼もしく頷いた。
俺はシングルファザーで息子と二人暮らしだ。妻は二年前に癌で他界している。五年に渡る闘病生活の末に亡くなったのだが、最後まで息子のことを心配していた。
「大丈夫だよ。俺が必ず息子を守るから」
俺は泣きながら妻に誓ったのだが、俺の心配なんて杞憂に過ぎなかったようだ。息子はすごくしっかりしていて、俺に苦労を掛けないつもりなのか、学校の準備は完璧にやって、朝も目覚ましで起きて遅刻せずに学校に行ってくれる。弁当は作り置きのおかずを詰めて、俺の分と二つ作ってくれる。こんな風によくできた自慢の息子なのだ。
そんな息子だが、部屋からぶつぶつ話し声がする。
ああ、あの猿はもしかして妻が乗り移っているんじゃないか。俺はふとそんな気がした。俺は息子が塾に行っている間に、部屋に入った。
***
あの猿が咎めるように俺を見つめている。思春期の息子の部屋に親が入るべきじゃない。
机の引き出しを開けると女の子からの手紙が入っていた。ラブレターか。きっともてるんだろうなと好奇心に駆られて封筒を開けた。まだ子どもだから鉛筆書きだ。便せん二枚に書き綴られていた。
『私も死にたいと思ったことあるよ。だけど、負けないで生きていれば必ずいいことがあるよ。だから優紀君も頑張ろう。前に話したけど、『人生にサヨナラしたい時』っていう本がすごくよかったよ。私は死にたくなったらいつもその本を読むんだ。だから読んでみてね』
そして引き出しには、そのタイトルの本が入っていた。息子が死にたいと思っていたなんてショックだった。俺は息子に無理をさせ過ぎているのかもしれない。家の家事や料理なども息子に頼んでしまっている。恥ずかしながら俺は今仕事を休職して家にいるのだ。妻を失って生きる気力を失ってしまっている。朝、息子を見送ることもできないのだ。俺はどうしたらいいんだろう。
『人生にサヨナラしたい時』
物悲しいタイトルだ。まだ中学生なのにこんな本を読むなんて。俺は息子の悲しみに気付いてやれなかったことを悔いた。
俺は息子のベッドに横になった。そして紙に手の跡が付かないように、慎重に本を捲った。本には主人公が大好きな母親を亡くして、無職の父親と二人で住んでいる様子が書いてあった。父親は酒乱で母親の死亡保険金をすべて競馬につぎ込んでしまったそうだ。家は持ち家だけど、住宅ローンの返済が苦しくなり、そろそろ売りに出さなくてはいけないほど、生活が困窮している。主人公は学年で一番の成績を取っていて、生徒会長もやっている模範的な生徒なのだが、大学進学を諦めようかと考えている。学費は奨学金を借りるとしても、どうしても受験料などの費用がないからだ。新聞配達をやって学費を払ってもらうこともできるけど、父親を一人にしておけないから、遠い大学は無理だ。
そんな頃、彼女が出来て、うかつにもその子を妊娠させてしまう。高校を中退して彼女と子どものために働くことを決める主人公。学校に退学届けを出した一週間後、彼女は将来に絶望して子どもを堕ろしてしまう。
子どもと将来を同時に失った主人公は自暴自棄になる。そして、発作的に自宅でくだを巻いている父親を殺害してしまうのだ。その時の気持ちは、『もうどうにでもなれ、僕は刑務所に入りたい。人に迷惑をかけて死にたい』というものだった。
俺は愕然とした。息子が俺のことをこんな風に思っていたなんて。それに、お父さんを殺すようにと暗に勧める異性の友達がいるとは驚きだった。
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