【壱】

 嵐が過ぎ去った。

 深夜の部屋に窓から月光が差し込む。

 耳を澄ますと、せつなの心の声が聞こえてくる。


――苦しい。痛い。辛い。

――何これ。どうなっているの?


 風もないのに、カーテンがなびいている。

 差し込む月光を浴びて、ベッドに横たわる彼女の影が長く伸びる。


――そうか、私死ぬのか

――誰かいないの?

――こんな、こんな終わり方なの

――私、悪いことしてない、のに

――独りで、苦しい思いをして


 彼女の心の呼応するように、不自然に影が波打つ。

 僕は虚空から鎌を取り出し構える。そろそろだろう。


――死神ですら、私を殺してくれない

――嫌だ。嫌だ。いやだ。


 人間が、人生上の「心の危機」を乗り越えたときに獲得した「知恵」を使っても、時として乗り越えられない激情。……絶望。

 その『絶望』が、形を成して溢れ出し、周りの生きた人間や世界に居付こうとすることがある。

 居付く前に『絶望』を蹴散らすのが……。


――――死にたくない。


 ……死神の仕事だ。


 ベッドの下の影が大きく波打ち、激しく動く触手のように部屋中を這い回る。

 僕は鎌を大きく振り上げて切り裂く。

 すかさず別の触手が僕の脇をとらえて横殴りをしてくる。

 反応が遅れた僕はしたたかに壁に打ち付けられる。

 軋む身体を起こしている間にまた別方向からの攻撃が入り、何とか鎌で受けて直撃を避けたものの、大きく体勢を崩してしまう。

 何となく分かっていたけど、この身体……動きにくいぞ!

「作家先生ー、運動してくれー」

 ここにきてそんなことを呟いてもどうしようもないのは分かっているが。

 もたもたしている僕を嘲笑うかのように、触手がベッドに眠るせつなへ伸びていく。

 僕は駆けてそれらを払いのける。

「その人に触るな!」

 たとえ、その『絶望』が、彼女から生み出されたものなのだとしても。

 誰一人として、苛まれていい理由にはならない。

 僕は息を整える。伸びる触手から、彼女の嘆きが聞こえる。

 大丈夫。やれる。僕は……死神だ。

 僕は強く蹴り出して跳躍し、部屋中を這う触手に素早く傷をつける。傷つけられた触手が僕に向かって一斉に反撃をしてくる。

 大振りになった攻撃を一撃、二撃、かわして触手の根元まで走る。

 いくら末端を切っても、コアを破壊しなければ無尽蔵に生えてくる。

 走った勢いのまま根元に身体を滑り込ませ、鎌を大きく振るう。

 切り裂かれた黒い触手の合間から、更に漆黒の根元が見えた。

 僕は間髪入れずに起き上がり、しつこく巻き付く触手ごと根元を引き千切る。

「こ……のっ!」

 触手から引き離されたコアは、四角い石炭のような見た目だった。

 カタカタと震えながらどこかに逃げようとするそれを踏み付け捕らえる。

 鎌を何度も振り下ろして叫ぶ。

「砕けろ!」

 幾度目かの打撃で、硝子片のようにコアが砕けて弾ける。欠片を死神の鎌が吸収していく。

 無事に終わった。

 僕は安堵して、しばらく地べたに座り込んでいた。

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