第5話 トランジット

とても長いフライトでした。私が飛行機に乗るのはこれが初めてではありませんが、こんなにも長い時間飛行機に乗り続けたことはありません。

途中でぐっすり眠ってしまったので、今が何時か分かりません。気づいたときには窓の外から見える風景はすっかり変わっていました。

寝る前は見渡す限りの海だったのに、今は真下に南国の木々が広がっているのが見えます。

「よく眠っていたね」

私が起きたのに気付いて、先生が声を掛けてきました。

「朝ご飯が出たんだけど全然起きそうになかったから。ほら、サンドイッチだけ取っておいたよ」

私はちょっとガッカリしました。機内食を楽しみにしていたからです。それでも私はすぐにサンドイッチを平らげてしまいました。

食べ終わってすぐに、シートベルト着用サインが点灯しました。間もなく着陸です。


私は着陸の瞬間まで窓から外を眺めていました。空港の周りは森が広がり、それが徐々に接近してきました。木々に手が届きそうなくらい近付いたと思った直後に、ドーンッという音がして、飛行機の車輪が滑走路に接触しました。その後ゴーッという音がして、飛行機は滑走路を走りながらも、急激に速度を落としました。騒音が収まった頃、機内から大きな拍手がき起こりました。


先生と私は自分の荷物を持って飛行機を降りました。天井の低いこじんまりとした空港でしたが、ターミナルの床は朝日が差し込んでキラキラと輝いています。ところどころに南国の花が生けられており、異国に来た気持ちが高まりました。


入国カウンターに並びました。辺りは混み合っていたものの、検査官の人数は十分で、すぐに自分たちの順番が回ってきました。

先生が二人分のパスポートと入国カードを検査官に渡しました。

「オーブへは観光で来られたのですか?」

検査官が先生に尋ねました。

「いえ、厳密げんみつに言うとパロに来ました。友人の招待で。観光もするかもしれませんが……」

先生は「王子の診断で」とはハッキリ言いませんでした。オーブ共和国では言わない方がいいと、とっさに思ったのかもしれません。

検査官は先生の顔をじっと見つめていましたが、やがてパスポートと入国カードを返してきました。スタンプは押されていませんでした。

検査官は、

「あっちへ行ってください」

と、カウンターの横手よこてにあるドアを指さしました。

「先生、これはどういうこと?」

私は先生に尋ねました。

「『別室送り』というやつさ。これはね……通常良くないことが起こる」

「えぇー! どうしよう?」

私たちは指定されたドアに向かって進みました。

そもそもこんなところにドアがあることに誰が気が付くでしょう。空港は広いですが、飛行機を降りてからの道はびっくりするほど一本道です。だから通常のルートを外れるととても心細く感じました。

私たちはドアの前でふぅと溜め息をつきました。カウンターを抜ければ、あとは荷物を受け取るだけだったのです。ところがこの中に入ると何が起こるのか全く予想ができません。

けどもうここを進むしかありません。私たちはドアを開け、中に入っていきました。


ドアの先は事務所のような部屋でした。それほど大きくはありません。事務用の机と椅子がいくつか置かれ、職員が何人か働いていました。その手前に入国カウンターとそっくりなカウンターがありましたが、カウンターには誰もいませんでした。

先生が、

「すいません、こちらに行くように言われたのですが」

と、事務所の奥まで聞こえるように声を上げると、奥の方から職員が一人やってきました。

「どうしましたか?」

「検査官の方から、こちらに来るように言われたのです」

先生はもう一度繰り返しました。

職員は私たちのパスポートと入国カードを確認しました。

「チケットも見せてもらえますか?」

先生は職員に航空チケットを渡しました。

職員はそれを見て言いました。

「あぁ、パロへ行かれるのですね? それならこれを着けてください」

そう言うと職員は大きくて美しい色合いの羽根を二つ取り出しました。

「これを頭に飾るんです」

先生も私もキョトンとした顔になりました。

「えぇーと、どうしてこれを?」

「オーブ共和国に入国される方とパロ王国に行かれる方を区別するためです。パロ王国に行くにはオーブ共和国の中を通っていかないと行けませんから」

「なるほど……」

先生が渡された羽根は真っ赤な色で先の方だけ青くなっていました。私のは青と緑のグラデーションでした。

「あの、この子たちは?」

と私がメティスとピッコロを指さすと、

「お連れの方は結構です。もう鳥ですから」

と言われました。

私たちは言われたとおり、頭の後ろに貰った羽根をくくりつけました。


「それではあちらのドアからどうぞ」

職員は入ってきたときとは別の方向にあるドアを指し示しました。

私たちはまたもやキョトンとしました。

先生が尋ねました。

「あのー、これで終わりですか?」

「そうですよ。ごきげんよう。パロは良い国ですよ。特に鳥たちには」

職員は笑顔で答えました。

何を言われるのかと緊張してこの部屋に入ったのに、まったく肩すかしをくらいました。

事務所を出ると、そこは預け荷物の受け取り口でした。先生の荷物はすぐに見つかりました。オーブ共和国の荷物検査では何も言われることはありませんでした。


オーブ共和国に空港は一つしかありません。オーブタウン国際空港と言います。オーブタウンはこの国の首都の名前です。

首都といってもそれほど大都市というわけではなく、街は南国の緑にあふれ、建物もこじんまりとした可愛いらしいものばかりです。この街並みが見たくてやって来る旅行者も多いそうです。


「確かこっちの方だと思うけど」

先生はキョロキョロしながらコンコースの案内板を確かめていました。

ペリカーノ卿からは、空港からパロ王国に直行できるバスをチャーターしておくと伝えられているそうです。

「あれじゃないでしょうか?」

メティスが一つの案内板に気付きました。そこには頭は鳥、胴体はバスの形をしたアイコンが描かれていました。

「トリバスか。行ってみよう」

私たちは案内板に従ってコンコースの中を進み、その先の出口から外に出ました。まぶしい光が目を刺しました。気温も建物の中より遥かに暑い。私たちは飛行機の中で着ていた上着をあわてて脱ぎました。


するとそこに一台のバスがやって来ました。10人くらいしか乗れないような小さなバスです。

ただこのバスは普通ではありませんでした。まず車の車体が葉っぱにおおわれていました。そしてよく見ると、ボディー自体が木の枝やつるでできています。窓とヘッドライトの部分だけ、草木が邪魔にならないようくりぬかれていました。

そしてたくさんの鳥が車体の枝と枝の中に入って、美しい声で鳴いています。鳥はずっとその場所にいるわけではなく、時折ときおり飛び立ってしまうものもいれば、飛んできた鳥が仲間に加わり、その歌声を披露ひろうすることもありました。

「ジョン先生ですね?」

バスの中の運転手に声を掛けられました。運転手はさすがに鳥ではなく人間でした。

「そうです。このバスはパロ王国行きですか?」

「ええ、王様のご依頼を承っています。今日はどこへも立ち寄らず真っ直ぐ王宮の森へご案内しますよ」

私たちは荷物ごとバスに乗り込みました。乗客は誰もいませんでしたので、荷物を自由に置いても何にも文句は言われません。先生も私も、自分の好きな位置の席に腰掛けました。メティスやピッコロは当然座席には座らず、バスを形作る木の枝の中から好きな場所を選んでそこにとまりました。


「それでは出発します」

運転手はエンジンをかけると、空港から外に出る道路に合流しました。

「パロに行くにはオーブタウンの中心部を突き抜けていくことになります。折角せっかくですから、窓からの眺めをお楽しみください」

私はオーブタウンの観光ができないことがとても残念でした。

「遊びで来たわけじゃないんだからしょうがない」

それでも窓から街の風景が見られると分かったので、窓際の席に陣取ってずっと外を見つめていました。


車はしばらく幹線かんせん道路を走り、やがてオーブタウンに入りました。

「ここがオーブタウンの目抜き通りですよ」

道の両側が、淡い水色、淡い緑、黄色など、柔らかい色に塗り分けられた建物に囲まれていました。

道を歩く観光客たちがウィンドーショッピングをしたり、建物を背景に写真を撮ったりしています。

やがて街の中心部と思われる一画に入りましたが、ここにもそれほど大きな建物はありませんでした。3階建てや4階建てよりも高いビルはこの街にはないようです。


そしてこの街はどこでも花と緑にあふれていました。

「道路沿いは建物が並んでいますが、その後ろには共同の庭があるんですよ。そこには様々な木々が植えられていて、一年中花が咲いています。毎朝鳥が飛んできます。多分パロからもね」

と、運転手が教えてくれました。


しばらく進むと、すぐにオーブタウンの市街地を抜けてしまいました。ここからはまた幹線道路が続いています。

「パロ王国へはどれくらいかかるんですか?」

と、先生が運転手に尋ねました。

「結構かかりますよ。長時間のフライトで疲れたでしょう。お休みになってください」

けど私は少しでもこの国の風景が見ていたかったので眠るつもりはありませんでした。

ところがしばらくすると、強烈な眠気におそわれました。振り返ると先生もグーグー眠っています。

「時差ボケかな? それにしても眠い……」

私は耐えきれず、深い眠りに落ちてしまいました。

目が覚めると、バスはホテルの前で停まっていました。

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