第一話 プライベーターたち

“アクトレス”フィスタ①

 文明が成熟した世界でいくつかの争いがあった。当初は「紛争」と位置付けられていたが、次第に世界情勢への影響は大きくなり、やがてそれは、後世の人間から「分断戦争」と呼ばれるようになった。その戦争が通信の分断、物流の分断、そして文化の、文明の分断を起こしたからだ。戦争が終わっても、その分断は埋まることなく、人類は分断されたまま各々の社会を立て直し、より溝は大きく、深くなっていった。


──20XX年


“シャオランド”

都市タイプ─ケイオス─


 周囲が荒野の暗闇ため、文字通り暗闇に姿が浮かんでいるような都市だった。死人の肌のような白い光と、鮮血のような鉄の臭いに包まれている都市、そこを囲む壁のゲートの前には少女・エルが立っていた。ゲートの脇には、彼女の頭ほどの位置にモニターが付いている。

 モニターが突然光った。エルの体がピクリと動く。

『IDをお持ちですか? お持ちではない場合は“はい”とお持ちではない場合は“いいえ”を、また“いいえ”の場合は別の認証を──』

 音声案内が終わるのを待たされて、最後にエルは指紋認証と虹彩認証をセンサーで行った。よそ者だったが、彼女の判定は犯罪履歴がなかったので「C」だった。C判定を受けた者ならば、街のどの場所へでも足を運ぶことはできる。もっとも、それには自己責任を伴うが。 

 ゲートをくぐった少女は多くの人の気配する場所へ向かった。そこは市場いちばのようだった。

 露店の並ぶ商店街に足を運ぶと少女は顔をしかめた。店頭に並べられているのは、果物や動物の干物などではなく、ホルマリン漬けになった人間の臓器といった、体の一部だったからだ。

「じろじろ見てんじゃないよ、嬢ちゃん」

 フードを被った店主の老人が少女を見る。老人の両目にはカメラのレンズのような機械が埋められていた。

 レンズが動き、小さなモーター音がする。少女を凝視しているようだった。

 エルは体をすくめると、無言でその場を去った。

 店主だけではなく、この街にいる人間は体の一部が機械化していた。手先、顔の半分、足、寒くもないのに厚手のコートで体を覆っている者も、体の一部を隠すためだろう。エルは人間の中にいる気がしなかった。全員が鉄の牙を持った猛獣に見えた。

 エルはを見つけては声をかけ、持っていた地図の場所を訊ねる。彼女はよそ者丸出しだった。しかも無防備であることもすぐに分かる。そんな彼女が目をつけられないわけがなく、彼女の後を黒い影がつけていた。


「ちょっと、あなた」


 声をかけられたエルがふり向くと、そこには長身の男が立っていた。少し癖のある白い長髪だったが、顔は若かった。三十代前半くらいだろうか。長く白いコートに身を包んでいるが、見た限りは機械化をされていないようだった。


「……なんです?」


「あなた、プライベーターを探してるって聞いたんですけど?」

 害意のない顔で男は言った。


 少女が目を見開く。

「知ってるんですか?」


「ええ、ぼく、彼らのたむろっている場所を知ってるんですよ。案内しましょうか?」


「お、お願いします」


「こっちですよ」

 目を細めて男は言った。


 男は建物の陰の路地に入っていき、エルは後に続く。ようやく見た生身の人間、しかも好青年だったので、エルは警戒心を解いていた。


「……あの」

 エルは暗闇を先導する男に訊ねる。


「なんだい?」

 ふり向かずに男は言う。


「その……プライベーターってなんですか?」


「あなた、そんなことも知らないで彼らを探してたんですか?」

 男は驚いてふり向いた。顔には少し嘲笑気味の笑顔があった。


「……はい」


「あははっ、いいですよ、教えてあげます。こういった都市タイプが『ケイオス』の街の治安ってのは、街軍と自警団が維持してるんですよ。ただ街軍は大きな犯罪組織相手の時とか、事態が本気でまずくなった時にしか動かないし、自警団は規模が小さい、しかも、有志の暇な方たちがやっているし、あと基本的に彼らって自分から捜査とかはやらないんですよね。で、そんな時にプライベーターがお仕事することになるんですけど、ん~何て言うんだろ……そうですね、彼ら私掠者プライベーターは、行政の後ろ盾のある強盗団ってところですかね」


「え?」


「強盗が強盗に遭っても被害を出せないじゃないですか、そこを利用してるんですよ。面白いですよね、大きな力がない場所だから、ならず者はならず者を使って取り締まるしかないんですよ、悪い人たちにお金払って「取り締まってください」って。けど、行政からもらえる報酬と、犯罪者から巻き上げた金品じゃあ割に合わないじゃないから、プラスアルファ依頼人から報酬を受けるわけなんです。まぁ、あなたみたいな依頼者ですよね」


「でも、それって普通の強盗とどう区別するんですか……?」


「彼らは厳しい法律で管理されてるんです。一般人に手を出せば、反逆者レネゲイドとして捕まるし、軽犯罪でも厳罰になるんですよ。……たしか~傷害レベルでも死刑になることがあるそうですよ。死刑にならなくっても、まぁライセンスははく奪ですよね」


 男の説明に驚きを隠せないするエル、倫理観の違いは見た目だけではなかった。


「……ところで、あなたは彼らに払えるくらいの報酬を持ってるんですか? いま言ったように、彼らってお金にシビアだから、払えるものを持っていないと、お話も聞いてもらえませんよ?」


「はい大丈夫です、一応それなりの支払いは……。」


「へ~……。」


 男は立ち止まった。


「……この先ですよ」


 男が視線の先には、右に曲がる角があった。


「あ、ありがとうございます」


 エルは男の前を通り過ぎる。そして角を曲がると、そこはすぐに行き止まりになっていた。


「え?」


──ちょろ過ぎるでしょ、あなた


 男がエルの背後に立っていた。そして少女の口を塞ぐと、男の背中からは白衣を破って触手のような義手が2本、とび出してきた。


「むぐぅ!?」


 エルの体に義手の先端が近づく。先端にはレンズがついていた。レンズは、生き物のように少女の体を観察する。


「へ~、やっぱりナチュラル全身生身なんですね~」


 義手にはセンサーがついていた。


「ん、んんんっ!?」


「心もそうだけど、体も手付かずなんですね。よほど運が良くない限り、ナチュラルってのはないんですけど、もしかしてあなたって、『ロウズ』から来たんですか?」


 男はエルを宙へ放り投げる、きりもみするエル。男は改めて両腕から伸びる太いワイヤーで、空中のエルをキャッチした。


 捕えられたエルは正面の男に訊ねる。

「わ、わたしをどうするつもりっ?」


「そりゃもちろん売りますよ。健康な肉体を欲しがる人間はこの街に大勢いますからね。君の体は髪の毛の一本、五臓六腑の隅々まで使えますから。これだけ健康なら、移植もできるし実験もできます」


「……そんな」


 男は悪意のない顔で笑う。

「頭悪いですよね、あなた。あんなところであなたみたいな娘がうろつくなんて、早い者勝ちで自分を奪ってくださいって言ってるようなもんですよ。頭が悪い人っていうのは、武器を持つとか体を改造して身を守るしかないんですけど、あなたはそれをやっていないわけですよね。だったらこの街で利用されるのは当たり前の結果なんじゃないかなっておいらは思いま~す」


「や、優しい人だと思ったのに……。」


 男は愉快そうに肩を揺らす。

「そんなわけないでしょ~。自分がそう思ってるから相手もそう思ってるって信じるなんてのは、究極のバカがやることですよ」


「う……く……。」


「じゃ、おいら達がここに入ってるのを見られてたら面倒だし生きてたら運びづらいんで、いったんその体バラバラにさせてもらいまー……ごっ!?」


 男は股間をすぼめてうずくまり、伸びていた義手も怯んでエルを放した。


──目立つターゲット選んでるあんたも、そうとう頭悪いけどね


「おぅ……く……。」


 悶絶する男の背後には、女の姿があった。

 三十代前半ほどのセミロングの髪の女だった。髪色はプラチナをベースにターコイズブルーやスカイブルーが混じっている。鋭い顔つきだったが、それ以上に体つきが鋭かった。エメラルドグリーンのタイツが、引き締まった筋肉でまるで甲虫のように輝いていた。背丈は高い方ではなかったが、まっすぐな立ち姿と体つきが、女を実際よりも大きく見せていた。飛翔中のアシナガバチのような、小さいながらも危険さを直感させる女だった。


「悪いね、金玉大切な生身の部分を潰しちまった。でもまぁ、片方はスペアだって言うしさ」

 女は首を傾けて笑う。


「うごぉ……お……。」

 股間を抑えて男は女を睨む。


「あんたの選択肢はふたつ。大人しくして酷い目にあうか、抵抗して酷い目にあうかだ」

 女は右手でちょいちょいと手招きをする。


「ちょ、ちょっと待ってくださいよ、何で突然こんなことするんです? こんなことしてもお互いにメリットなくないですか? ぼくはもうをやられて動けませんから、これ以上はやりたくないですよ。あなただって、無駄に戦いたくないでしょ? ぼくはここで帰りますから、これで終わりにしましょう。その子はあなたに差し上げます、それでウィンウィンにしましょうよ」

 男は両手を前に出して、取りつくろった笑いを浮かべる。


「そうはいかない、あたしの獲物はあんたなんだからね」


「……まさか」

 男の顔から笑みが消えた。


「察したかい? ご紹介いただいたプライベーターだよ、これよりあんたを。あたしの生活費になってちょうだいな」


 女は構える。右拳を前に、左拳は顎に、右足は前に、後ろに下げた左足はつま先立ちだった。

 男は動かなかったが女を警戒していた。

 女が前に出している右手を少し下げた。

 男の眼の光、口から発する呼吸、顔の皮膚が微動した。

 その刹那──

 

 たぁんっ!


「あ、う、うぎゃぁあああ!」


 エルがコンクリートの地面を打つ音を聞いた次の瞬間には、片目を抑えて転げまわる男の姿があった。抑えている手の間からは血が流れている。

 女は男の左目へを貫手ぬきてを打ち、さらに眼球をえぐり取っていた。


「目ん玉も生身だったみたいだね。で、これであんたは玉ふたつ失ったってわけだ。考えて動きなよ、次は最後のタマを失うぜ」


 女は目玉を放り投げた。少女はその光景から顔を背ける。


「う、ぐ……ちきしょう!」

 男は体から突き出る義手を、四肢のように使い立ち上がる。そして体勢を立て直そうとするが……。


たぁん! たたぁん!


 女が強くステップを踏みながら右側に回り込んだ次の瞬間、男は時間が止まったようにぴたりと動かなくなった。そしてがくりと膝をついて倒れた。


「……え?」


 女が行ったのは、右のストレートリード※で喉への、左のボディブローで脇腹への、そして男の右側へ回り込みながらの右ストレートでの首筋への攻撃だった。

 女は三つもの攻撃を加えていたが、少女に見えていたのは女が細かくステップを踏んで男の背後に回ったところだけだった。

(ストレートリード:ジークンドーの技法。半身に構え、前に出した方の拳を縦にして打つ。敵に拳が届いてから全自重を乗せる。初速とリーチに優れる)


「あ……く……」


 男の背中から出ているワイヤー状の義手がうねうねと動いていた。弱った男は右手一本で立ち上がろうとする。


「な、なにが……ん?」


 女は立ち上がろうとしている男の横に立ち、そして内回りで足をふり上げた。上げられた女の足の先は、頭の上どころか肩よりも後ろにあった。

 そして女は足を振り下ろし、かかとを男の後頭部に叩き落とした。


ごっ!

 

 男は完全に動かなくなった。


「さぁてと……。」


 女は動かなくなった男の両腕を後ろに回すと、手錠を取り出して両手にはめた。


「あ、あの……。」

 エルは言った。


「ん? なにさ?」


「た、助けてくれて……ありがとうございました」


「助ける? か~ん違いしないでよ。こいつがカモだったから跡をつけただけだよ」


「カモ?」


「そ、カモを追いかけるカモ。獲物狙ってる動物は、当の自分が一番無防備だからね。馬鹿な奴だよ」


(カモってわたしのことか……。)


 女はてきぱきと男を拘束していく。


「その人、死んだんです?」


「いんや、見た目は優男だけど、けっこう丈夫な奴だよ。見えてるところ以外は機械みたいだ。脳は生きてるし、生きているなら裁ける」


「裁く?」


 女が親指を立てる。上空にはドローンがあった。


「信号を送ったんで、あのままほっとけば街軍の奴らが捕まえに来てくれる。あいつがあんたを襲ったところと、あたしにのされた・・・・ところの映像もが撮ってるから、それが証拠になるんだよ」


──もしかして、わたしが襲われるまで待ってたの?


 女は少女の表情から胸中を察した。

「仕方ないだろ、こちとら仕事だ。それであんたも助かったんだからウィンウィンじゃないのさ。……さて、あんたを泳がせてれば、こいつみたいな馬鹿がまた釣れるかもしれないけど、あたしはもう店じまいだ。こっから先は大人の世界だよ、色んな意味でね。大人しくお家に帰んなお嬢ちゃん」


「帰るところが……ないんです」


「同情を引こうったって無駄だよ」


「お願いします」

 エルは両手を合わせて女に頭を下げる。


「……プライベーターを探してるんだって?」


「え?」


「ついてきな」

 女は歩き出した。


──もしかして、優しい人?


 エルは、さっき男に言われたことを思い出して首をふった。


「あんた、プライベーターに仕事を依頼するってんなら、相応のもんは持ってんでしょうね?」


「相応のものって?」


「金だよか~ね~」 女はふり向くなり、少女の目の前で指をパチパチ鳴らした。「現行犯じゃないなら依頼がないと動かないようちらは」



「あ、あては……あります……。」


「ふぅん……。まぁ、持たない奴は持たない奴なりのものを持ってるからね。この街じゃあ、なんだって取引の材料になる。金は当たり前、体どころか精神こころだって取引される。あんたのそんな仕草だって換金できるさ」


「そんな、仕草だなんて……。」


 困惑するエル、女はそんな少女を意味深な顔で見る。


「……なんです?」


「……いや。ところで名乗ってなかったね。あたしの名前はフィスタ、『アクトレス』の名前で通ってる。『フレッシュ』っていのもあるけど、それを使う奴はだいたい敵だ」


 女優アクトレスフレッシュ、本人とはあまり想像つかない通り名に、エルは顔をしかめる。


「で、あんたは?」


「あ、え……エルですっ」


「ふぅん、良い名前だね」


 フィスタのその言葉の意味を、エルは測りかねた。少女は街に入っただけでもう疑心暗鬼になっていた。


 そこは薄汚れた建物だった。外からは廃ビルにも見えた。建物の塗装は剥がれ、天井は穴が開いて電気のケーブルが見えていた。フロアに並んでいる長椅子は、破けてスプリングがむき出しになっている。フロアには、プライベーターなのか浮浪者なのか判断しづらい人間がちらほらいた。


「ホームレスの避難所と変わりないだろ。似たようなもんさ。よぉじいさん、寝てるの死んでるの?」

 フィスタは長椅子に座っている、サングラスをかけた老人に訊ねる。


「あうあうあ~」

 老人はあいまいに答えた。


「ちょっと大丈夫?」

 フィスタが老人を抱きかかえる。


「あ~え~わ~、さすがの『フレッシュ』じゃのう、若返るわ~」

 老人はフィスタの体に抱きつくと尻に手を回した。


 フィスタは一本拳いっぽんけん※で老人の眉間を叩いた。

(一本拳:空手などの技法。拳を作る際に、人差し指の第二関節が突き出るように握り、突き出た人差し指の第二関節で相手の急所を叩く)


「ぎゃぁ!」

 老人は眉間を掌で覆いつつうずくまる。


「じじい、寿命を待たずに死にてぇか」


 フィスタは「ろくでなしばかりだろ?」と言うと、エルを連れて

受け付けを案内した。受付にはロボットの係員がいた。


「アイビー、おつかれさん」


 丸い頭と単眼モノアイ、足は車輪という旧式のタイプの受付のロボットは、

「ええ、ほんとうにつかれることばかりだわ……。」

 と、機械音声で答える。機械音声だというのに、その声は物憂げだった。


「いったいどうしたのさ?」


「このしょくば、おとこばかりでしょ? れいせつをわきまえてないのばかりで、いつもしつれいなたいどをわたしにとってくるのよ。おんなをきゅうじみたいなものとしかかんがえてないんだわ……。それにね、たまに、わたしをむさぼるようないやらしいめつきでみてくるの……まるでけだものよ」


「おっとぉ、セクハラですかぁ?」


 受付のロボット、アイビーは小さく首を振って「まったく」と言った。


「アイビー、こういう時は声を上げないと。“私たちは黙らない”その強い意志が必要なんだから。最初は小さな声でも、きっとそれは群衆のシュプレヒコールになっていくんだよ」


「そうね……そのとおりだわ」


ぶってちゃあダメ、そんな態度はクソ男を調子に乗らせるだけなんだから」


「なんだかゆうきがわいてきたわ、ふぃすた」


「そうよ、見せてやりなさい、あなたは“鉄の女”なんだって」


「みためでひとにあだなをつけるのはよくないわ」


「あら、ごめんなさい。素直に謝るよ、あたしの今生のテーマは“誠実さ”だからね。……ところで現行犯をとっ捕まえたんだけど、データ行ってる?」


 アイビーは認証機のパネルを差し出した。フィスタはそれに手をあてる。


「よぉ、フィスタ。なんだその娘、?」


「ん?」


 フィスタが振り向く。彼女に声をかけたのは、長椅子に座って新聞を読んでいる褐色肌の男だった。男の頭部は白いヘルメットで目まで覆われていた。


「おや、チャカじゃん、元気ぃ? あいにく、娘じゃあないよ。この子を襲った男を現行犯で捕まえたのさ」


「お前……また悪い癖が出やがったな。ひとりでやりやがって」

 チャカは小さく首をふる。


「心配しなさんなって、見るからに弱そうな奴だったし、じっさい弱い奴だったんだ」


「こんかいあなたがたいほしたのは、れんぞくさっしょうのようぎがかかっていた、ピエトロ・マサカーよ。ごくろうだったわね……。」

 アイビーは物憂げに話す。


 ロボットのアナウンスを聞いて、チャカが口を歪めた。


「……ラッキー。まぁ、でもこの子は依頼者でもあるんだよ、でしょ?」


「父が失踪したので捜査依頼を……。マイルズっていうブローカーにさらわれたんです。たぶん体を……。」


「マイルズか……違法な人体売買をやってる野郎だ。まぁ悪人には違いないが、ちょっとやそっとの金額で受けるにはコスパが悪いな」


「あてはあるんでしょ?」


「は、はい、父が残したお金です……。」

 エルはポーチから大量の貨幣を取り出した。


「……あちゃ~」

 

 フィスタは顔を手で押さえ、チャカは新聞で顔を隠した。


「え? なにか?」


「通貨が違う、それはここじゃあ使えないよ」


「え、そんな……だって、お父さんがマイルズって人の所で働く前金だって……。」


「あんたたち、他所よそから来たんだね。可哀想に、そいつに騙されたんだよ。ここじゃあ使えない通貨を渡されてる」


「しかもそれだと両替してもかなり安いな」

 チャカは言った。


「ああ、あの……だったら……。」


「なんだい?」


「だったら、わたしを売ります! さっきの人が言ってました、わたしなら高く売れるんですよねっ?」


「めったな事を言うもんじゃないよ。一旦そういうことをやり出したら際限がなくなるんだ。あのおっさんを見てみな、酒代ほしさに網膜まで売っちまったんだよ」

 フィスタはさっき体をまさぐってきた老人を指さした。


「余計なもんが見えなくなっててハッピーさ~」

 サングラスをかけた老人は酒の瓶を掲げた。


「……ああはなりたくないだろ? 申し訳ないけど、あんたの親父さんも軽率だよ。そんなやり方で金を作ろうなんざね」


「それは……わたしのためだったんです」


「おい、ちょっと待て、フィスタそいつの前で身の上話はやめろ」

 チャカが割って入る。


「ケチな男だね、身の上話くらいさせてやりなよ。続けなよ、お嬢ちゃん」


「父は、わたしがまだ子供だから、お金さえ用意すればロウズの都市に入れるって……。自分は無理だけどせめて娘のわたしだけはって……悪い人だとは知ってたけれど……」


「まぁ……。」

 フィスタは口に手をあてる。


「もうやがる……。」

 チャカがぼやく。


「それにしてもロウズかぁ……。同調圧力でがっちがち、人に同じロゴをつけて棚に並べてるような、安全と安心しかないようなところだね」


「ここはどうなんです?」


「ここには──」


「お前ら動くんじゃねぇ!」

 そこへ、銃を乱射しながら二人の男が乱入してきた。


「……隠れてな」

 フィスタはそう言うと、エルを柱の陰に隠した。


 銃を構えた男が絶叫する。

「ここがプライベーターの事務所だってのは分かってんだ! だったら金があるってことだろ! 俺たち強盗団から巻き上げた金を返しやがれ!」


「お前さんの目の付け所は悪くはないが、どうにもこうにも頭が悪いようだ」

 新聞を読みながらチャカが言う。


「なんだとぅ」

 強盗がチャカに銃を向ける。


「目の付け所が良いと言ったのは、確かにここには金があるってことだ。……そして頭が悪いと言ったのは──」


 銃声と共にチャカが読んでいる新聞に穴が開いた。

 

「……あ?」


 新聞だけではなかった。銃を向けていた男の眉間にも穴が開いていた。

 チャカが読んでいた新聞がはらりと床に落ちる。ソファに座っていたチャカは銃を構えていた。チャカは新聞を手放した一瞬で銃を取り出し、そして強盗の眉間を打ち抜いたのだった。手を離した新聞が宙で形を崩す前になし終えるほどの早業で。


「ここがプライベーターの集会所だってぇことだ。狩人のど真ん中に獲物が迷い込んでどうしようってんだ? 狩人はしとめる前から取り分の相談を始めるぜ」


「く、くそ」

 もう一人の男は、サングラスをした盲目の老人の首に手をまわし、そのこめかに銃を突きつけた。

「お、おい、黙って俺の言うことを聞けっ! でないとこのジジイの命日が今日になっちまうぜ!」


 フィスタが口に手を当てる。

「マジで? ……チャカ、葬儀屋に連絡してあげて。全部用意してんのに、じいさん死ぬ死ぬ詐欺繰り返してたからさ、これでようやく墓標に命日刻めるのだわ」


「なっ!」


「それに人質にしたいんだったら、もうちょいましなの選びなよぉ」

 フィスタは髪をかき上げる。

「ここにいるでしょ? 全人類が欲情しちゃうような、とびっきりの美女が。人質にすれば、五秒で億の身代金が集まるよ?」

 フィスタは体のラインを手でなぞり腰をくねらせる。

「お~っと、いまメンズたちのズボンがテントを張る音が聞こえたね」


 強盗はさらに強く老人のこめかみに銃を押し付ける。

「くだらねぇおしゃべりに付き合ってる暇はねぇんだ、とっとと金を出せ。そして逃走用の車もだ!」


「わがままな奴だねぇ、次は何を要求する気? 熱々のピザ? 税金の免除? それとも核の廃絶?」


「うるえせぇ! ……ん? 何やってんだジジイ?」


 盲目の老人は右手でピストルの形を作り、人差し指の先端を強盗の下あごに突き付けていた。

「あんさんも、動きなさんな。でねぇとテメェの脳症が飛び散って、天井にユーモラスな柄作ることになるぜ」


 指のピストルを当てられながら強盗が言う。

「……ジジイ、いかれてんのか?」


「そうだよじいさん」

 フィスタがため息交じりに言う。

「それ、セーフティがかかってんじゃん」


「おお、そうじゃった」

 老人はそう言うと、小指をかちりと動かした。

 そして中指を動かすと、老人の指先が爆音と共に火を噴いた。

 強盗の頭のてっぺんは血と脳症を吹き出し、フロアの天井には老人が言ったように血の跡が広がっていた。


「物騒な人体改造しちゃって、それ火葬の時に爆発しないよね?」

 フィスタが言う。

 

「じいさん、掃除するも奴の身にもなってやれよ……まったく」

 チャカはぼやいて穴が開いた新聞をまた読み始めた。

「……ちぇっ、特売日の日付に穴が開いてやがんの」

 チャカは新聞紙を丸めてゴミ箱に投げ捨てた。


「……で、さっきの続きだけど」

 フィスタはエルに言う。

「ここには安全と安心それ以外のすべてがある。……まぁ確かに子供には毒だわさね。親御さんの気持ちも分かるかな。そりゃあたしだって──」


「父はわたしのためにすべてを捧げようとしたんです。今度はわたしが父のために自分を使う番です。わたしはまだ父に何もしてあげてない、わたしの全てを差し出します、どうか、どうか父を……。」


「どうしようチャカ、あたしのヒューマニズムがぜそう」


「まったく……こんなドブみたいな世界で情に厚いってぇところはお前の美点だよ。だが、もうちょい主義ってやつを持て。俺の主義はシンプルだ。どんな簡単な仕事だろうと誰の紹介だろうと、ただ・・で仕事はしない」


「ちょっと、空気読んで話を進めてよチャカ、トラブルに巻き込まれた少女をアウトローの主人公が助けてあげるってのが第一話の鉄則でしょ」


「何の話をしてんだよ?」


「だいたい、世の中は金がすべてじゃないんだよ、チャカ」


「これはけじめだ」


「そっかぁ、う~ん……ま、あたし独りじゃ無理だねっ。お嬢ちゃん、地道に稼いで、依頼料をつくりなよっ」


「でも、その間にお父さんは……。」


「人生にはもっと大変なことがいっぱいある。親が死ぬってイベントなんて、遅かれ早かれ必ず起こるんだから、前を向いて歩きな。困ったことがあったら何でも言ってよ。あたしにできる事なら、機嫌が良い限りなんだってやるからさ」


「その切り替えが早さもお前の美点だよ」


「お腹すいてるでしょ? 外でハンバーガー売ってるから御馳走するよ」


「……。」


 フィスタはエルの背中に手を添えて、建物の外に連れて行く。


「あたしのおごり、あんたのおかげで収入があったからね。お嬢ちゃん、運が良いよ。この街じゃあ何も知らないとドブネズミの肉を食わされることだってあるんだ。でも、あたしの行きつけの店ならその心配はない。……ほらあの店さ」

 フェスタは屋台を指さす。良い香が漂っていた。


「あの店では何の肉を?」

 エルが訊ねる。


「ファンシーラットさ」


「ドブネズミのことだろ」

 後ろについてきていたチャカが言う。


「何であんたも来てんのさ」


「俺も腹減ったんだよ。大丈夫だよ、嬢ちゃん。ドブネズミでもきれいなところで育てたドブネズミだ。フィスタその女と嬢ちゃんくらい違う」


「あたしだって全身生身ナチュラルだよ」


「俺はって言っただけだぜ?」

 チャカは笑った。


「ふんっ」


 フィスタとチャカは店頭で並び注文を始める。


「今日は何にしようっかなぁ……。」

 フィスタがメニューを眺める。


「おい、とっつぁん、メニューが値上がりしてないか?」

 チャカが言った。


「流通が厳しいんだ。ドブネズミ食いたくなかったら我慢しな」

 店主は言った。


「いったい誰が政治をやっとるんだっ」

 フィスタはカウンターをささやかに叩いた。


「だいたい、ハンバーガーに挟んでる野菜だって、この間食ったやつビニールみたいな味がしたぞ」

 チャカが言う。


「じゃあ緑色のビニールなんだろ。うちじゃあ薄くて緑色なら、そいつは野菜って呼んでいる。本人たちがそう自認してるってんなら、そう扱ってやんのさ。おれは差別主義者じゃねぇ」


「当事者じゃねぇのが人のアイデンティティに口出しすんのが差別主義っていうんだぜ、おっさん」


「部外者じゃねえ、俺が仕込んで客にだしたらもうファミリーさ。俺には素材の声が聞こえる」


「やめときなよチャカ、おっちゃんが正しいよ。見た目とか構成している原子構造とか、そんなので物を判断して良い時代じゃないんだ」


「どんな時代だよまったく……。」


「ねぇ、あんたはどうす──」


 注文していたフィスタたちが振り向くと、エルは大きなドローンに捕まれて空の上にいた。エルが悲鳴を上げる。


「「あ」」

 

 エルをつかんだまま飛び去って行くドローン、それをチャカのヘルメットが機械音を立てた。


「ありゃあ……マイルズんところのドローンだ」

 

「さっすがぁ。で、どうする? 現行犯だよ、これなら報酬確定だ」


「俺は……口にした主義を一日くらいはつらぬく主義だ」


「決まりだね」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る