死にそびれな人生を送っている俺が断言する。俺が作家になったら出版不況時代は終焉するはずである。
幸村
持たざる人間の悪あがき
三十代後半で今までスポーツ未経験の人間が今からプロのスポーツ選手を目指すと宣言したら、「できる」と思うだろうか? 普通は思わないだろう。肉体的にも成長は無く衰えていく中でだ。
しかし、出版社の新人賞等や投稿サイトで作品を送るなどの創作においては肉体は衰えていても考える頭があれば割とどの年齢でも挑戦はできる。文章さえある程度書ければ。なので小説を書いて色んな賞に送っている人は「もしかしたら」という期待を多かれ少なかれ抱くと思う。俺のように。
もちろん現実は甘くない。大手の出版社の新人賞の審査員の名前を見ると有名な作家や著名人が並ぶが彼らに審査してもらえるのは一握りの中の一握り。大多数は下読みの連中に振るい落とされる運命だ。せっかく原稿用紙何百枚分の作品を苦労して書いて応募しても最後まで読まれるどころか最初の数枚、酷い場合は一枚にも行かず数行で見限られることも。
この現実を知り、俺は泣きはしなかったが落胆した。落選になるとしても最後まで読んでもらいたかった。もちろん彼らには言い分があり、きっと正しいだろう。
しかし俺はそれから大手の出版社の新人賞に応募しようという意欲が薄れていってしまっていた。
そこから開き直りというよりは負け惜しみ恨み節全開の思考を抱く。
出版不況と言われるこの時代。仮に大手の出版社で新人賞に輝いたとして、そこから作家一筋でやっていける人間はどれだけいるだろうか。そもそも、売れるのか。
僅か数行で見放された作品が実は今の時代の人々の波長にピッタリと合ってベストセラーになる可能性を秘めていたのではないか?
もちろん、今の俺が主張しても単なる負け犬の遠吠えだ。しかし、仮に俺が実現させればこの主張にも説得力は増す。これから俺は大きな博打に出る。
この作品内で俺は仮に作家になったとしたらの計画を記していく。
フィクションであれノンフィクションであれ、作家はもちろん作品で勝負。しかし、作品がより脚光を浴びるために作家が目立つことは罪ではない。
作家だけでなく有名な芸術家は作品や本人が評価されるのが死後になることが多いが、やっぱり生きている間にそういう評価は受けたいものであろう。
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