5-4
「──たしの足を撫でまわすようなヘンタイなのよ。それなのに、二人もいて、どうして落とせないわけ?」
「だって、修行僧なみにお堅いんですもの。魅了も効かないし──」
「あまりにもまずくて、わたくしのほうが萎えてしまったわ──」
かまびすしい声に意識を取り戻すと、室内にもう一人増えていた。
新たな一人は、先の二人よりもっと魔物らしく見えた。顔立ちは整った女のものだが、目に白目部分がなく、黄色い虹彩と大きな黒い瞳孔が猛禽類を彷彿とさせる。頭髪の代わりに黒い羽毛が生えており、裸の体の肩口や背中、腰のあたりも羽毛で覆われている。
聞き覚えのある声から察するに、ゼノをさらったあの巨鳥だ。鳥が本来の姿なのか、いまが本来の姿なのかはわからないが、いずれにしても鳥の魔物というわけだ。
「あら、気がついたわね、ヘンタイ」
鳥女はゼノをじろりと睨んで言った。
「ヘンタイのうえに軟弱だなんて、とんだ勇者だこと」
「ヘンタイって……」
「あたしの足をあれだけ触りまくっておいて、いまさら否定?」
「いや……否定も何も、あれは、寒かったから温まろうと思って……」
「温まろうと? 温まるだけのために、あんな触り方をするっていうの? このドヘンタイ!」
「あんな触り方って、どんなだよ? 食われると思ったし、寒くてそれどころじゃ──」
「食う? 食うですって? あんたみたいな鶏ガラ男の、どこに食う肉があるっていうのよ? そんなに飢えちゃいないわよ!」
「いや、そういう話じゃ──」
言いかけてゼノは口を閉じた。
これは何を言っても無駄だ。こちらの話を聞くつもりがない。
──もう、帰りたい……。
「あっ、そういえば!」
大事なことを聞くのを忘れていた。
「俺の連れはどうなった? あの黒い鳥たちは、あんたのお仲間なんだろう?」
鳥女はさらに不機嫌な顔になった。
「知らないわよ! 本当は全員まとめて連れてくる手筈だったのに、まだ来てないわ!」
「それは──」
やはりというべきか、これはむしろ鳥たちの心配をしたほうがよさそうだ。考えてみれば、足を触られたぐらいで動揺して墜落するような魔物が、クレシュやユァンに太刀打ちできるはずもない。
──まさか、殺したりは……してないよな?
あのときのユァンは少々気が立っていたので、ありえない話ではない。とはいえ、三人の中でもっとも経験豊富で賢いのもユァンだ。ゼノの行方の手がかりをみずから断ってしまうようなことはしないだろう。
とにもかくにも、初めての情報らしい情報だった。三人と合流できる希望が見えて、少し気持ちが落ち着いた。
──ここでおとなしく待っていたほうがいいか。
へたに逃げ出して、行き違いになっても困る。会話の成り立たない魔物たちといっしょにいるのはつらいが、しばらくの辛抱だ。
しぶしぶ覚悟を決めたそのとき、部屋の奥の扉が開いた。
「何を騒いでおる」
重々しい声が響き、闇が入ってきた。
闇──いや、男の姿をした魔物だ。
床にひきずるほど長い、まっすぐな漆黒の髪。ほとんど黒に見える黒褐色の肌。額に着けられた宝冠も、まとった長衣も黒ずくめだが、よく見ると黒い宝石や黒糸の刺繍で贅沢に飾られている。
完璧に左右対称の整った顔は、一歩進むごとに、少年のようにも老人のようにも見えた。だが、もっとも異質なのは、その目だった。一見ふつうの人の目だが、黒目部分には虹彩も瞳孔もない。均一に輝く無機質な黒。たとえるなら、黒曜石の瞳だ。
表情の読めないその目をまっすぐ向けられて、ゼノはぞくりとした。
恐ろしい。
存在そのものの禍々しさに、体がすくんで動けなくなる。
「我が君」
「バルデルト様」
「王子殿下」
女たちが口々に声を上げ、脇に退いて平伏した。
「どういうことだ」
男の魔物──バルデルト王子は、彼女らに向かって言った。
「勇者殿のもてなしができておらぬようだが」
「恐れながら、バルデルト様」
鳥女が頭を下げたまま言った。
「このような不埒者を、なぜもてなしてやる必要があるのでしょうか」
「拷問では、真の協力は得られぬからだ」
さらりと怖いことを言う。
「協力?」
「さよう。余はこの者の心からの協力を必要としておる」
──心からの、協力って……?
ゼノは唾を飲みこもうとして、口の中がからからに乾いていることに気づいた。協力といえば聞こえはいいが、とんでもないことを要求される予感しかしない。
「おもてなししようとはしたのですが、あたくしたちはお好みに合わなかったようですの」
アリエラが事情を説明した。
「魅了も効果がなく……」
「わたくしも、血を吸ってしもべにしようとしたのですが、人の血とは思えない味で……」
ミローデも口を添えた。
「ふむ」
バルデルトはゼノに顔を向け、黒曜石の目でじっと覗きこむような仕草をした。
「ほう、これは……二人の手に負える相手ではなかったようだ」
「こんな鶏ガラでも、勇者は勇者ということですか?」
鳥女が顔を上げ、納得できない様子で問いかけた。
「いや、この者は魔力が欠落しておる。だから幻惑の力が通用しないのだ」
「どういうことでしょう?」
「他者を操る魔力は、相手の魔力に干渉することによって、その精神に働きかける仕組みだ。相手に魔力がなければ、干渉のしようがない。血がまずいのも、魔力が含まれていないせいだろう」
「では、この者……無敵ということ……?」
「いや……そうだな、鈍感というほうが近いだろう」
「なるほど」
鳥女はしたり顔でうなずいた。
「二人の力不足というわけではなく、この者が下等すぎたということなのですね」
「言葉が過ぎるぞ、ガレア」
バルデルトは無表情にたしなめた。
「これでも勇者として選ばれた者だ。何かしらのとりえはあるのだろう」
ひどい言われようだが、いっそ下等な役立たずとして放り出してもらいたい。いますぐこの男の前から逃げ出したい。
だが当然そんなことが許されるはずもなく、許されたとしてもできそうになかった。腰が抜けたようになって、息をするのも忘れそうな有様だ。
「ところでガレア、ほかの者の到着はまだか」
「はい、申し訳ございません。すぐに確認してまいります」
鳥女──ガレアが一礼して部屋を出ていくと、バルデルトは残った二人に向かって言った。
「場所を変えるとしよう。勇者殿に着るものを。そして外の東屋へ」
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