3-2
気がつくと、薄暗い部屋の中で、鳥かごのような檻に入れられていた。
(これはお薦めですよ、お客様。健康で、見た目も悪くありません)
どこかで聞いたような台詞に、ゼノは顔をしかめる。
──イタチどもめ……人身売買だと……?
いや、違う。こんなことが前にもあった。子供のころの……記憶……?
違和感を覚えて自分の手を見ると、小さな柔らかい手のひらだった。そう、体もちょうどこのくらいだった。記憶にしてはやけに生々しい。これは悪夢か──それとも幻覚?
(お買い上げだ。さあ小僧、出てくるんだ)
檻の扉が開けられ、毛むくじゃらの太い腕がこちらに伸びてきた。
ゼノはその腕を思い切り噛むと、苦痛の声を上げて怯んだ男を突き飛ばし、無我夢中で逃げ出した。開けられたままの出入口から部屋を飛び出し、狭い通路を一心に走る。
通路は曲がりくねっていて、いくつにも分岐し、どこへ通じているのか皆目わからなかった。
だが逃げなければ。捕まったら、死ぬよりひどい目にあわされる。
──いやだ……いやだ、いやだ、いやだ……!
怒声が飛び交い、あちこちから追っ手の足音が向かってくる。
何度も行き止まりにぶつかり、進路を変え、追っ手の腕をかいくぐって走り続けた。
だが、やっとのことでたどり着いた外への扉は、固く閉ざされ、頑丈で、子供の力ではびくともしない。
──なんでだよ! 頼むよ、開いてよ!
追っ手はすぐそこまで迫っている。
叩いて、揺さぶって、ぶつかって──ゼノは泣きながら扉と格闘を続けた。
──開け、開け、開け……!
『ヒラケ!』
はっと我に返ると、筆舌に尽くしがたい光景が目の前に広がっていた。
──やっちまった……。
ゼノは現実を拒否して目を閉じ、しかたなくもう一度開いた。
自分を中心として円を描くように、あたり一帯の天幕が倒れ、武器や衣類がばらばらになって地面に散らばり、まさしく身ぐるみ剥がれた態の鼬もどきたちが、呆然として突っ立っている。もっとも、自前の毛皮を着ている彼らはまだいい。いちばんの被害者はクレシュだった。
おそらく、救出のためにこちらへ向かってくれている途中だったのだろう。文字通り一糸もまとわない姿で、彼女にしては珍しく驚きの表情を浮かべている。ひきしまった美しい肢体が、場違いなほど神々しく、ゼノは慌てて目をそらした。
解錠の呪文は、じつのところ、錠限定に作用するものではない。いままでの経験でわかったかぎりでは、これはおそらく解放ないし開放の呪文だ。閉ざされたもの、結ばれたもの、締められたもの──ありとあらゆるものをヒラク。留め具や紐はもちろん、衣類の縫い糸もほどける。手で触れて集中すれば一部だけに作用するが、特定しないと暴走して広範囲に影響を及ぼしてしまうこともある。そう、こんなふうに。
ゼノ自身も、着ているものがはだけ、あられもない姿をさらしていた。
だが、いま問題なのはそこではない。この状況で、鼬もどきたちがどう反応してくるか──。
呪術師が声を上げたので、ゼノは思わず身構えたが、つぎに彼らがとった行動はまったくの予想外だった。
鼬もどき全員が地面に膝をつき、こちらに向かって平伏したのだ。
「ワレワレ、アヤマル、カミ」
「…………へ?」
「カミ、シルシ」
呪術師が、ゼノの胸に刻まれた〈連環の祝福〉を指差して言った。
「ワレワレ、カミ、マッテタ。カミ、キタ」
何か誤解があるような気がする。たしかにこれは神の印だとは言われたが、神からもらった印であって、神そのものの証ではない。あるいは、この惨状を神の力と思われたか。片言なので、きちんと意思疎通できているかどうかも怪しいが。
ともあれ、なんとか一触即発の事態は避けられたようだ。
──それにしても、いまのはいったい……。
思い出したくもない、いやな記憶だった。奥深くにしまいこんでほとんど存在すら忘れていたというのに、当時の感情や五感までよみがえって、胃がむかむかする。
呪術師が何かやったせいにちがいない。気分が落ち着くにつれ、反動で怒りがこみあげてきた。
「おい、いまのはなんだ。俺に何をした?」
強気で問い詰めたが、呪術師はさからわず、平伏したまま縮こまって答えた。
「ナニモノ、ホンシツ、ミタ」
それから上目遣いで付け加えた。
「カミ、チョット、ナサケナイ」
「大きなお世話だ! 人の繊細な思い出をほじくりだしやがって!」
正体を探るために、こちらの根源的な記憶を盗み見たということか。
──あれが俺の本質……ねえ。
複雑な気分だが、おおむね間違いではない。あのとき不思議な力が発現し、自分の運命は変わった。いままで生きてこられたのも、この力のおかげだ。
「カミ、タカラ、コッチ」
呪術師が後ずさりしながら立ち上がり、塚の方を示して歩きだした。
──おお、鍵を渡してくれるのか!
クレシュの方を振り向くと、彼女は服より武器のほうが気になるらしく、全裸のまま、ばらばらに分解された剣を拾って、どうにか組み立てようと試行錯誤している。
「あの、その前に……彼女に武器と、何か着る物をくれないか?」
「ワタシ、ウチ、ムコウ」
呪術師は、塚の手前にある立派な天幕を指差した。この呪術師が、この村の長ということで間違いなさそうだ。
ゼノは立ち上がり、衣類の残骸を腰に巻いて体裁をつくろいながら、呪術師の後に続いた。クレシュは裸身を隠そうともせず、近くに落ちていた棒切れを拾ってついてきた。あくまでも武器優先で感心する。
呪術師は自分の天幕に二人を招き入れた。中はかなり広く、奥に円形の寝床があり、左右には蔓で編んだ四角い籠が整然と積み重ねられている。下の方から二つの籠を引っ張り出し、蓋を開けて中身を見せた。
「アゲル。エランデ」
「おおー」
クレシュの口から感嘆の声が出たのも無理はない。大きなほうの籠には、種々雑多な武器が無造作に詰めこまれていた。剣、小刀、斧、槍、弓、杖、戦鎚、棍棒──。装飾性の高いものから、実用本位のものまで、まさしくよりどりみどりだ。もう一方の籠には、これまた雑多な、統一性のない衣類が入っていた。
──これってもしかして……倒した人間から奪った戦利品?
そう考えれば、この適当な品揃えも腑に落ちる。
──ま、まあ……使う本人が気にしてないなら、いいか……。
クレシュは嬉々として籠の中を漁っていたが、最終的に、飾り気のない長剣と、無難な男物の服を選んだ。ゼノも結局、背に腹は代えられないと観念し、服をひとそろいもらった。きちんと洗濯はしてあるようで、汚れも臭いもない。
呪術師もいつのまにか、新しい上着と首飾りと杖を身に着けている。
「ありがとー、イタチのひとー」
「ヒトノコ、オレイ、イイヒト」
二人──一人と一匹?──は、何やら和気あいあい手を取り合っている。一歩間違えば殺し合っていた間柄とは思えない。
「カミ、コッチ」
呪術師は、いよいよ塚の前へとゼノたちを導いた。
至近距離まで近づいても、塚は塚にしか見えなかった。頭頂部はゼノの身長より少し高い。ぐるっと周りを回ってみたが、蓋や扉のようなものは見当たらない。正真正銘の盛り土だ。
「神の宝とやらは、この土の下にあるのか?」
「ソウ、ダイジ、ウメタ」
──やれやれ、土掘りか……。
ゼノは肉体労働を覚悟した。
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