11-6

「うわわっ!?」

 腰かけていた椅子が消え、ゼノは盛大に尻餅をついた。

 広い食卓も消えた。こちらに身を乗り出していたクレシュも、隣にいたトアルも、ユァンも──部屋にいた全員が消えた。部屋そのものが消えた。明かりも消えた。

 ──な……っ、何だ……!?

 湿った土の匂いが鼻を突く。暗闇に目が慣れるにつれ、周囲に立ち並ぶ黒い木々が見えてきた。空には、真円に近い、錆びたような赤黒い月がかかっている。

 ──……ここは……?

 いまに至ってようやく、部屋が消えたのではなく、自分のほうがどこかへ移動したのだと呑みこめてきた。

「いてて……」

 尾骨の痛みに顔をしかめて立ち上がり、衣服の汚れを払いながらあたりを見回す。

 と、こちらを見て呆然と立ち尽くすオリヴィオと目が合った。

「えっ? オリヴィオ? ……えっ?」

「そんな──〈勇者〉の引継ぎは済ませたのに……」

 絞り出されたような彼の声に、ゼノは何が起こったのかおぼろげに察した。

「あー……じゃあ、ここは──」

 オリヴィオは青い顔をしたままうなずいた。

「……〈封印の地〉だ」

「おまえが移動したときに、俺もひっぱられたってことか?」

「たぶん。でも、ここに来られるのは一人だけのはず……だった」

 オリヴィオは改めて〈勇者〉に任命されたうえで、集めた鍵を使ってこの地に転移した。〈連環の勇者〉になれるのは当代でただ一人。本来なら、オリヴィオが〈勇者〉になった時点でゼノは資格を失い、〈儀式〉とは無関係になる運びだったという。

 だがどういうわけか、オリヴィオとゼノが同時にここにいる。

「すまない、ゼノ……こんなことになるとは……」

 オリヴィオはうなだれ、泣きそうな声で言う。

 これほど動揺しているオリヴィオを見るのは初めてだった。いつも泰然としていた彼の意外な姿に、ゼノはかえって冷静になった。

「いまから引き返す方法はない……ってことだよな?」

「……そうだ。ここは、通常の世界から切り離された空間だといわれている。歩いても元の場所にはたどりつけないし、魔法で帰ることもできない」

「だったら進もう」

 オリヴィオははっと顔を上げた。

「ゼノ……」

「おまえは、戻る努力をするって言ったよな。確認したいことがある、とも」

「うん」

「まず、おまえの目的を果たそう。それから戻る方法を探すんだ。俺まで来てしまったのは予定外だけど、逆に考えれば、いままでの勇者とは条件が違うってことだ。一人より二人のほうが、できることは多くなるだろう?」

「ゼノ、君って」

 オリヴィオは泣き笑いのような表情を浮かべて言った。

「本当に……勇者だね」

「おい、馬鹿にするなよ。そりゃ、たいしたことはできないかもしれないけどさ、俺だって──」

「違う、感心してるんだよ。君は強いよね。けっこうひどい目にあってるのに、へこたれない。こんな状況でも、前を向ける」

「どうせ俺は鈍感だよっ」

「そうじゃない。勇者の心意気があるってことだ」

(おにーさんには、勇者のきらめきがあるよー)

 旅に出たばかりのころ、クレシュから言われた言葉を思い出した。

(なんだろー……しぶとさ?)

「うーん、やっぱり褒められてる気がしない」

 ゼノは渋い顔をして言った。

「俺が平気そうに見えるのは、一人じゃないからだよ。自分では戦えないけど、周りがすごいからさ。だれかがなんとかしてくれると思ってる。いまだって、おまえがいっしょだ。おまえならなんとかするだろうし、おまえに無理ならだれにだって無理だ。まあつまり……そういうことだよ」

 オリヴィオは一瞬ぽかんとした表情を浮かべ、それから微笑んだ。

「そうか……それなら、君の期待に添えるよう努力しないとね」

 いま言ったことは、正真正銘、ゼノの本心だ。幼いころのことは覚えていないが、オリヴィオと出会って以来、自分が孤独だと感じたことはない。年に一回会うかどうかという関係でも、オリヴィオの存在は確かな支えだった。そしていまは、トアルもいる。クレシュも、ユァンもいる。

 トアルがさびしがっているだろうと思うと胸が痛んだが、実力的には彼も他者を守れるほどに強い。ユァンもついている。本当に心配しなければいけないのは、ゼノ自身のことだけだ。ある意味とても気楽だった。

 赤黒い月明かりの下、獣道ともいえないようなかすかな道が上へと続いている。山頂には、歪んだ城の輪郭が黒々と浮かんでいた。そこをめざして二人は歩きはじめる。

「なあ……魔法でぱっとあそこまで行くわけにはいかないのか?」

 早々にうんざりしたゼノが問うと、オリヴィオは前を向いたまま答えた。

「魔法は控えたほうがよさそうだ。ここは魔力の状態がおかしい。魔力量が桁違いだし、すべての魔力があの城へ向かって流れている」

 あいかわらずゼノにはみじんも感じられない。ふと気になった。

「なあ……魔法は、相手の魔力に干渉して発動するとか言ってたよな? 俺には魔法が効きにくいらしいけど、まったく効かないわけじゃない。癒しの魔法は効果があるし、リテルは俺をしゃべれないようにした。それってどういうことなんだ?」

「君に魔力の器がなくても、魔力はどこにでも存在するから、ってことだよ」

「……???」

「たとえば土とか、水とか、空気とか……それ自体に生命のない物質には、魔力を蓄える器はない。だけどその周囲には、魔力がすきまなく存在している。その、周囲に存在する魔力に干渉することによって、間接的に働きかけることができるというわけさ」

「俺って、物と同じ……?」

「いや、物質と違って、君には意思があるからね。意思に反して一方的に力を行使することはできない。害を与えるには、それなりの力が必要だ。逆に癒しの魔法は、受け入れられやすいから比較的効きやすい」

「うーん……なんとなく、わかったような、わからないような……」

「魔力の多さや強さは、利点にもなれば欠点にもなる。リテルは強かったから、君の喉をつぶすことができた。だけどそれゆえに、僕の魔法を防ぎきることができなかった」

「え、えーと……強いほうが弱い……???」

「強者が勝者になれるとはかぎらない。魔法使い同士の戦いは、経験と──運で決まる」

 自戒するように言うオリヴィオの横顔を、ゼノは黙って見つめた。

 理解できたわけではないが、最強といわれるオリヴィオも無敵ではない。おそらくそういうことだろうと思う。

 しばらく黙々と足を運んだ。ずいぶん時間が経過したように感じたが、月や星々の位置は変わらず、空の闇の深さも変わらない。まるでここには、時の流れというものがないかのようだ。いや、実際にそうなのかもしれない。ここは永遠に夜のままで、どれだけ待っても朝は来ない──。

 唐突に視界がひらけた。

 うっそうとした森は終わり、遺跡のように古びた城塞が姿を現した。

 崩れた城壁。荒れ果てた中庭。蔓や木の根に絡みつかれた石造りの城館。人はおろか小動物の気配すらない廃墟は、息絶えて久しい巨大な獣の骸のようにも見える。

 二人は顔を見合わせてうなずきあい、前へと足を踏み出した。


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