11-5

「少し、散歩でもしようか」

 オリヴィオはそう言って外へ向かい、ゼノも後に続いた。

 大きな湖を中心に成り立つ、砂漠の中の町。住民である白装束たちは周囲のことには無関心で、各々の目的のためだけに活動している。こちらの姿が見えていないかのような奇矯な集団の間を通り抜け、二人は町の外に広がる砂漠へと足を踏み入れた。

「手に入れたんだな、四つ目の鍵を」

「うん」

 ゼノの確認の言葉を、オリヴィオは肯定する。

「最後の鍵は、どんなものだったんだ?」

「骨。小さな骨の欠片だったよ」

「そうか」

 ゼノはいったん沈黙し、ふたたび口を開く。

「俺を──いや、トアルを利用したのか?」

「結果的に、そうなってしまったね。でも……そんなつもりはなかった」

 オリヴィオのその言葉を、ゼノは信じることにした。トアルに呪文を使わせるために、彼がわざと到着を遅らせたのではないか。そんな疑いが頭の片隅にあったが、彼がそう言うのなら、きっと本当だ。

 生まれて初めて呪文を使ったトアルは、ゼノを助けたい一心で力いっぱい叫んだ。あの街のすべてがヒラかれ、地下も例外ではなかった。神殿の地下と融合していた遺跡も崩壊した。鍵の封印さえも──。オリヴィオはそれに気づき、ひそかに鍵を回収していたのだろう。

 魔王の封印に向かった勇者は戻らない。その責任を負いたくなくて、ゼノは鍵集めを放棄した。だがそれも無駄な抵抗だったようだ。

「行くのか」

「うん」

 オリヴィオの手に鍵が渡ってしまった以上、ゼノにとめるすべはない。彼の力なら、ゼノが呼びとめた瞬間、どこか遠くへ跳んで行方をくらますこともできたはずだ。そうしなかったのは、きちんと別れを告げておいたほうがいいと考えたから──少なくとも、その程度にはゼノのことを気にかけてくれていると──そう思っていいのだろうか。

「誤解しないでほしいんだけど」

 オリヴィオは足をとめてゼノの顔を見た。

「僕は、世界を救うために行くわけじゃないよ。死ぬつもりもない」

「戻ってくるのか?」

「約束はできない」

「それなら、なんで……前に言ってた魔力量の問題、とか?」

「それも含めて、確認したいことがある、って感じかな」

「確認?」

「僕はね──」

 オリヴィオは、言葉に迷うように間を置いた。

「〈連環の魔王〉と呼ばれる魔王は、過去にも存在しなかったと考えている。でも同時に、〈連環の儀式〉と呼ばれる儀式が、ほとんど形を変えないまま、綿々と受け継がれてきたことも知っている。つまり……〈儀式〉そのものには、何か重要な意味があるんじゃないかと思うんだ」

「〈魔王〉はおとぎ話だけど、〈儀式〉は必要だと?」

「必要かどうかもわからない。でも、始まりにはきっと目的があった」

 ゼノは、クレシュの村で見せてもらった不思議な洞窟──女神の神殿──を思い出した。

「えーと……口止めされてないし、おまえも〈勇者〉だからしゃべってもかまわないと思うんだけど」

 〈女神の祝福〉によって開かれる扉。天井を飾る蛍火のような星々。鍵の在処を示す魔法仕掛けの地図──。あそこで見聞きしたことを話すと、オリヴィオは子供のように目を輝かせた。

「ありがとう。とても参考になったよ。どうやら僕の考えは、的外れというわけではないみたいだ」

 あのときの村長の口ぶりからすれば、村長自身も神殿の由来については懐疑的だった。ゼノも同様の印象を受けた。人知を超えた仕掛けではあったが、神の手になるものというよりは、もっと物質的で人工的な感じがした。

「俺は俺で、ちょっと気が楽になったかな」

 ゼノは正直に言った。

「もともと〈魔王〉の話なんか信じちゃいなかったけど……旅をするうちに、俺の力がはじめからだれかの計画に組み込まれていたような、妙な気分になってきて……あげくに魔王の申し子扱いだろ? 一時は、本当にそうなのかもしれないと、自分で自分が信じられなくなってたんだ。だけど、おまえの話を聞いて、ほっとした」

「それはよかった」

 オリヴィオは晴れやかな笑みを浮かべた。その笑顔がまぶしすぎて、ゼノは胸を詰まらせる。

「本当は……行ってほしくない。命の危険があるようなところへ……二度と戻れない可能性があるところへなんか」

「ゼノ……」

「だっておまえは、俺の父親代わりで、兄みたいなもので……いちばんの友人だから!」

 言ってしまってから急に恥ずかしくなり、ゼノはさっと目をそらした。

「君が危険なときに、すぐ駆け付けられなかった僕でも?」

「ああ」

「君を、こんなひどい旅に巻き込んだ僕でも?」

「ああ」

「自分の求知心を満たすために……君を置いていく僕でも?」

「いいんだよ!」

 ゼノは顔を上げ、鼻をすすりながら言った。

「おまえはもう、俺の保護者じゃなくていい! 好きなことを、好きなようにすればいいんだ! だけど俺は……おまえのことを忘れないし……待ってるからな!」

「ありがとう、ゼノ」

 オリヴィオは両手を伸ばし、ゼノをそっと抱擁した。かつて小さな泥棒をかばった魔法使いは、いまではゼノより少し低く、ずっと若く見える。片手を上げて、幼子にするようにゼノの頭を撫でてから、オリヴィオは静かに体を離した。

「戻れるように、努力するよ」

「……ああ」

 オリヴィオは小さく微笑むと、ゼノに背を向けて歩きはじめた。

 ゼノはその場に立ったまま、遠ざかるオリヴィオの後ろ姿を見つめつづけた。

 じきにその姿は、陽炎のように揺らめいて消えた。



 アルテーシュの邸宅に戻ると、ちょうどトアルが目を覚ましたところだった。

「お父さん!」

 寝台から飛び降りるようにして駆け寄ってくるのを見てはらはらしたが、ふらつきもなく、長い間寝ていたとは思えないほど元気そうだ。

「トアル!」

 いつものように抱き上げると、さすがに軽々とはいかなかった。それでもまだ小さく、ゼノの腕力でも充分に支えられる。

 二人でしばらく、無言で抱きしめあった。

 老婆姿のユァンが、異臭を放つ椀を持って近づいてきた。クレシュも部屋に入ってきた。ゼノの影からバルデルトが生えてきた。

 それぞれがトアルの目覚めを喜び、声をかける。

 喪失感を押し隠して、ゼノも会話に加わった。

「久しぶりに、全員そろったのう」

 その晩は、関係者のほぼ全員で食卓を囲んだ。

 ゼノ、クレシュ、ユァン、トアル。カイエとヴァラン。アルテーシュも顔を出した。隅の暗がりに用意された別席には、バルデルトとガレアもいる。

 白装束たちの給仕で、贅を凝らした料理が並べられる。秘蔵の酒も提供された。なごやかに談笑しながら、銘々舌鼓を打つ。

 勇者としての旅は終わった。この先のことはわからないが、自分は生きてここにいる。

 ──これからのことは、ゆっくり考えればいい。

「ねー、ゼノー」

 酒でほんのり上気した顔を向けて、クレシュが話しかけてくる。

 そのとき突然、ゼノは奇妙な耳鳴りと眩暈に襲われた。


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