7-5
結局、決心がついたのはトアルのおかげだった。それまでつかんでいたゼノの服を、トアルが送り出すようにそっと離した。危険を感じていないということだ。
「わかった。ユァン、やってくれ」
球体までの道筋を頭の中で試行錯誤しながら言うと、ユァンはにんまりうなずき、勇者たちに向かってふっと息を吹きつけるようなしぐさをした。
とたんに勇者たちの挙動がおかしくなった。
何もない空間を攻撃したり、焦って身を伏せたり、かってに転倒したりと、てんでばらばらな行動をとりはじめる。三人の視線がそろって向こうを向き、完全にこちらが死角になると、ユァンが合図した。
「いまじゃ」
ゼノはそろそろと移動を開始した。
勇者たちが見えない敵と戦っているので、氷の戦士たちは壊されることもなく、思い思いの姿勢でかたまったまま微動だにしない。なるべく広いところを探し、戦士と戦士の間に体を滑りこませる。衣服がこすれてひやひやしたが、戦士たちに傷がつくことはなく、無事に通過することができた。
凍った球面に手を触れてみても、戦士たちに変化はない。
──これをヒラいたら、どうなるんだ? いきなり水になったりして? 砕けるとか? ヒラいたとたんに襲われたらどうしよう? ……まあ、やるしかないか。
『ヒラケ』
意を決して唱えると、手の下の球面がぷるんと震えた。
凍っていたのが溶けた──のだろうか。表面の霜が消えて限りなく透明になったが、球体そのものの形は崩れなかった。押すとわずかに弾力がある。たとえるなら煮凝りのようだ。巨大な球状の透明な煮凝りが、泰然自若として宙に浮かんでいる。
当惑して振り返ると、クレシュが球体を指さして口をぱくぱくさせていた。
視線を戻す。球体の中心に黒っぽいものが見える。
──あれが鍵か。
球面をもう少し強く押してみた。押し返してくる力が消え、ずぶりと手が球体の内部に沈む。すばやく周囲に視線を走らせたが、氷の戦士たちが反応する様子はない。さらに押すと、肩口まで簡単に呑みこまれた。球体が大きいので、中心にはまだ届かない。
──うへえ、しかたない。
ゼノは大きく深呼吸し、息をとめて前進した。煮凝りの中に頭から潜り、目をつむったまま手探りすると、硬いものが指先に触れた。それをつかむや、球体から飛び出して大急ぎで息をする。
ふたたび慎重に戦士たちの間を抜け、仲間のもとに戻ってから、手を開いて中を見た。
鋭く半円を描いた──黒い鉤爪。
不思議なことに、腕も頭も濡れてはいなかった。球体の内部に潜ったのではなく、ものすごく伸縮性に富んだ表面を、中心まで押しこんだだけだったのかもしれない。
クレシュが鉤爪を懐にしまいこむのを見届けてから、ユァンが肩をすくめて言った。
「そろそろ阿呆どもを助けてやるか」
勇者三人は、見えない敵とまだ戦いつづけている。
「おおい、あんたら!」
ユァンが声をかけると、めくらましの術が解けたらしく、夢から覚めたようにあたりを見回した。
「その氷の像を引きつけながら、なるべく隅の方へ逃げるんじゃ。遠くへ引き離してしまえば、玉に近づけるんじゃないかね?」
「なるほど! かたじけない!」
剣士はすぐに意図を理解し、大剣を振り回して届くかぎりの戦士たちを薙ぎ倒した。復活する前に急いで離れ、復活してきた戦士たちをまた倒す。それをくりかえして数人を壁際まで誘導すると、残りの戦士たちも同様にして集めはじめる。
魔法使いと神官は、広範囲の魔法が邪魔になるとわかったらしく、隅に寄って見学に徹した。そのおかげもあり、まもなく氷の戦士たちは一か所にまとまって動かなくなった。
「はあ、はあ……助かりました。旅のお方」
戦士たちの包囲から脱出してきた剣士が、肩で息をしながらユァンに礼を言った。
「お互い様じゃ。こっちはあとで道を教えてもらえると助かるのでな。ささ、早く用をすませてくだされ」
促されて中央に集まった勇者一行は、球体の様子が一変していることに気づいて息を呑んだ。
「これは……!?」
「どういうわけ? 守っていた像が離れたから?」
実際にはゼノがヒラいたからだが、四人そろって素知らぬ顔を決めこんだ。
「わからないが……ともかく、これで鍵が取れる」
剣士はためらうことなく球体に手を突き入れた。そのまま中をかきまわすように探ったが、当然のことながら手ごたえはない。
「外から見えるか?」
「いや」
「何も見えない」
凍っていたときと違い、いまの球体はほとんど透明だ。中に入れた剣士の腕の動きは、指先まではっきり見える。
「もしかして……」
「ない!?」
「ええっ!?」
剣士は頭から球体に突っ込み、中でやみくもに両手を振り回した。魔法使いと神官もそれに続き、三人は球体の中でひとしきり奇妙な踊りを披露したあと、諦めて外に出て床に座りこんだ。
「やられた……!」
「また先を越されたのか!」
「もう、またぁ!?」
悔しがる彼らの言葉が気になって、ゼノはつい口を挟んだ。
「あのう……また、って?」
剣士がはっと我に返り、醜態をごまかすように咳払いした。
「わ、我々は、太陽の女神からじきじきに任命された、正統な勇者なのだよ。魔王討伐のため、魔王城の四つの鍵を集めているのだが……勇者を騙る偽者がいて、我々の先回りをしているらしい」
「勇者の偽者?」
「うむ。最初は、鼬の魔物の村だった」
「ほほう、そんな魔物が?」
鼬と聞いて、ユァンが首を突っ込んできた。
「まさしく。服を着て二本足で歩く、大きな鼬どもだった」
「そいつらと戦ったのか?」
「戦おうとしたが、ものすごく強くて……恥ずかしながらまったく歯が立たなかった。そのうえ、鍵はもう勇者が持っていったと言われて……相手にもされず放り出されたしだい」
「それはそれは、災難じゃったのう」
ユァンがしらじらしく相槌を打ったが、剣士は気づくはずもなく話を続けた。
「つぎは大蜘蛛の住む洞窟だったが、そこでもまた、鍵は勇者が持っていったと言われた。食われそうになったので、命からがら逃げ出して……三番目のここでもまた……! くそっ、こんな調子では、とうてい魔王討伐など……!」
──うん、無理だろうなあ。
ゼノは胸の内で同意した。
素人目に見ても、この三人が魔王に太刀打ちできるとは思えない。だがそんなことより、この微妙にずれた話は、いったい何なのか。
「女神に任命されて勇者になったって言ってたよねー」
それまで黙っていたクレシュが、我慢しきれなくなったように口を開いた。
「鍵の場所も、女神が教えてくれたのー?」
「そうだ」
剣士はうなずいた。
「夢のお告げで、女神が指示を出してくださる。我々は、それに従って旅をしているのだ」
「そうかー。すごいねー」
それ以上言葉が続かず、話は尻すぼみに終わった。
「さて、もうここにいても意味がない。出口まで案内しよう」
剣士が吹っ切るように両膝を叩き、そう言って立ち上がった。
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