第四章 にわか勇者、父になる

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 二番目の鍵は、南の火山地帯にあるらしい。

 一行はしばらく街道沿いに旅を続け、途中の街で宿をとった。

「おや、ゼノ。ゼノじゃないか」

 一階の食堂で三人そろって夕食を堪能していると、聞き覚えのある声に呼びかけられた。

 上の階から下りてきた男が、階段の途中でこちらに向かって手を上げている。栗色の髪と口ひげを丁寧に撫でつけた、すかした印象の壮年の男だ。

「カーネフ……珍しいところで会ったな」

「最近見ないと思ったら、こんなところまで足を延ばしていたのか。なんだ、いい儲け話でもあったか?」

 カーネフは近づいてきて、ゼノの連れをじろじろと眺めた。

 クレシュはあいかわらずの、見た目は剣も抜けなさそうな可憐な美少女ぶり。ユァンのほうは、筋骨隆々とした初老の男に化けており、引退した元戦士がお嬢様の用心棒をしている──という設定らしい。

 ともあれカーネフには効果があったようで、二人に声をかけようとはせず、すぐまたゼノに視線を戻した。

「で、実際のところ、どうなんだ。これから仕事か?」

「いや……じつは、向こうでへまをやってな。しばらくは旅暮らしだ」

 ものすごく省略したが、嘘は言っていない。

 カーネフは元同業者──泥棒で、いまは引退して故買屋をやっている。取引相手の一人ではあるが、ゼノはこの男が苦手だ。腹の内が読めなくて、どうにも信用できないというのが一つ。もう一つは、彼に秘密を握られているかもしれないからだ。

 だいぶ前、仕事の現場で鉢合わせしたことがあった。正確には、ゼノが金庫の解錠をした直後、背後にカーネフがいることに気づいたのだ。一部始終を見聞きされたのではないかと思ったが、カーネフはおくびにも出さず、標的が重なったことを詫びて立ち去った。

 その後、ゼノの呪文について彼が言いふらしている様子はなかったが、いつか悪用されるのではないかというおそれが、頭の隅にしこりのように存在している。

「そうか。そいつは、あいにくだったな」

 カーネフは気の毒がるように顔をしかめてみせた。

「おっと、俺はこれから商談なんだ。それじゃあ、またな」

 なれなれしくゼノの肩を叩いて、宿の外へと向かう。

 その姿が扉の向こうに消えてから、ゼノはほっと息をついた。

「なんじゃ、いまのは。子供のころのいじめっ子か?」

 シチューの残りをパンできれいに拭い取りながら、おやじ姿のユァンが声を潜めて尋ねてきた。

「違うわい」

 ゼノは否定してから、言い得て妙だと思いなおした。カーネフは知らないふりをしながら、無言の圧力をかけて、こちらを思いどおりに操ろうとしているのかもしれない。だから本能的に身構えてしまうのか。

「あいつはただの取引相手だ。だけど、腹に一物ありそうなやつでな」

「ほほう。背中に刃物を隠しながら握手する仲というわけか」

 ──こいつ、言うことがいちいちうまいなあ。

 ユァンの毒舌のおかげで気分が晴れた。だが、つぎの一言でまた曇った。

「あやつには近づかんほうがいい。悪だくみの臭いがぷんぷんしおる」

「そうだな。肝に銘じるよ」


 つぎの宿場町で、ゼノはまたしても知人に出くわした。

 到着した一行を出迎えるように、一人の若い男が、表通りをまっすぐこちらへ向かってくる。

 顔立ちはやさしく、目は湖のような青。長い金髪を横で編んで胸元に垂らしており、立ち居振る舞いは優雅な貴公子然としている。身に着けているのはありふれた旅装束だが、左手に持った黒い杖だけは、年季が入って得体のしれない妖気を漂わせていた。

「やあ、ゼノ。そろそろ着くころだと思っていたよ」

「オリヴィオ? なんでここに? というより、なんでわかった?」

 魔法使いオリヴィオは、ゼノが大人になる前からの知り合いだ。当時からまったく変わっていないので、実際の年齢は見当もつかない。

 ゼノが役人に追われていたところを、オリヴィオがこっそり逃がしてくれたのが、二人の出会いだった。彼の倫理観は常人とは別のところにあるらしく、盗みについて説教するどころか、なんと脱出の裏技を伝授してくれた。

 ゼノに魔力がないことを教えてくれたのも彼だ。彼はゼノの力を、唯一無二のものだと言った。だからなるべく人に知らせず、大事に使うように、と。

 一方で彼は、外見にふさわしい若い感性も持ち合わせていた。先輩風を吹かすようなことはなく、いっしょに泣いたり笑ったり、ときには喧嘩もした。ゼノが少年から青年になり、見た目は彼より上になっても、それは変わらなかった。ゼノにとっては、ただ一人の、気の置けない友人といってもいい。

 そうはいっても、オリヴィオは多忙で留守にしていることが多いので、顔を合わせるのはじつに一年ぶりぐらいだ。

「ふふ。ネストーレ様から聞いてね」

「ネストーレ? ……って、あのタヌキじじいかっ! おまえ、あいつの知り合いだったのか!?」

 大神官ネストーレ。忘れかけていたが、ゼノをこの旅に送り出した張本人だ。

「うん。彼に君のことを紹介したのも、僕だしね」

「…………え?」

 言葉の意味を理解するまでに時間がかかった。

「──てっ……てめえ……」

 じわじわと顔が熱くなり、体が震えだす。

「てめえがすべての元凶かああーっ!!」

 つかみかかろうとすると、オリヴィオはひらりとかわし、すました顔で言った。

「いやあ、だって、君ほどの適任者はいない……っていうか、君にしか無理だろう、あれは」

「おい! こら! いったいどういうつもりだ! 俺にはあの──」

「まあ、立ち話もなんだから、僕が泊まっている宿へ行こう」

 オリヴィオはゼノの口を手でふさいで言った。

「お二人も、どうぞごいっしょに」

 ぼうっとなりゆきを見守っていたクレシュとユァンに声をかけ、ゼノを引きずるようにして歩きだす。

 着いた先は、いかにもオリヴィオが選びそうな小ぎれいな宿だった。

 宿の女将に来客の断りを入れ、オリヴィオは二階の自分の部屋に三人を招き入れた。寝台のほかに小さな机と椅子まであり、なかなか居心地がよさそうだ。

「狭いけど、寝台でもどこでも、適当に座って」

 クレシュとユァンは並んで寝台に腰かけ、ゼノは一脚しかない椅子にふてくされた態度で腰を下ろした。

 その間にオリヴィオは、扉と窓の戸締まりを確認し、部屋の中央に立って、杖の先で床をこつんと打った。

 ぽわわん──と不思議な耳鳴りがして、部屋の空気が変わる。

「結界を張ったから、この部屋の音は外には漏れないよ。これで気兼ねなく話ができる」

「どういうことだよ」

 ゼノはさっそく口を開いた。

「水臭いっていうか……最初から言ってくれればよかったのに」

「だからだよ」

 オリヴィオはにこにこして言った。

「僕が頼んだら、君は断れないだろう? 君には、自分で選んでほしかったんだ」

「選ぶも何も、問答無用だったぞ?」

「でも、君ならいつでも逃げられたはずだ」

「そのことだけど……おまえ、俺には人に言うなとか言っておいて、あいつらに俺のこと話したのかよ」

「君の力のことは教えてないよ。錠破りの天才だと言っただけ」

「そ、そうか……それなら、まあ……」

 裏切られたという気持ちが薄れ、ゼノは少し落ち着きを取り戻した。

「それにしたって、これはちょっとひどくないか? おかげで俺がどんな目にあったか──」

「うん。それは悪かったと思ってる」

 オリヴィオはしおらしく目を伏せた。

「でも、これでもずいぶん悩んだんだよ。君を巻き込みたくなかったけど、君の代わりになれる者がいない。最初のあれは、僕の魔法でも無理だったから」

「おまえの魔法でも?」

 ゼノは心底驚いて目をみはった。

 オリヴィオは名の知られた大魔法使いだ。その力は絶大で、国一つを一瞬で滅ぼせるほどとも言われている。それはさすがに大げさとしても、そのオリヴィオにも不可能なことがあったとは。

「魔法というのはけっこう繊細でね。知識や理解がないと力を発揮できない。異種族の呪術などは、原理がわからないからお手上げだ。その点、君の力は逆なんだよ。原理原則を超越して作用する。それを制御するために、言葉を介しているんじゃないかというのが、僕の推測だ」

「そうじゃろう、そうじゃろう。人族ごときに、我らの呪いが解けるはずもない」

 おやじ姿のユァンが、得意げに口を挟んだ。

「おい、ユァン。俺も人族の一員なんだが」

「おぬしは神じゃからのう。……ちと頼りないにせよ」

「いちいち付け加えるなって」

 そのやりとりを見ていたオリヴィオが、ぷっと噴き出した。

「でも、よかったよ。思いのほか元気そうで安心した。さすがはゼノ」

「さすがって……」

「うん、おにーさんはさすがだよー」

 こんどはクレシュが口を挟む。

「海千山千の猛者がしっぽ巻いて逃げるところでもさー、泣きながらついてくるんだよー」

「おまえら……俺を褒めたいのかけなしたいのか、どっちだ……」

「もちろん、褒めてるんだよ」

 オリヴィオは真顔で言って、寝台の端に腰を下ろした。

「それでね、ゼノ。君は旅を続けてくれるようだから、もう少し説明しておくよ。今回の君の役目は、四つの鍵をすべて集めること。そこまででいい。実際に魔王を封印するのは、別の者が引き継ぐ。なにしろ今回は、鍵のありかが特殊すぎてね……」

「特殊って、まさか……あと三つも、あんな……?」

「いや、僕も聞いた話だけどね、封印ごとの時代によって、そのときの方向性みたいなのが決まってるらしいんだよ。たとえば、四つとも何かの体内にあるとか、海底や火口のような行きにくい場所にあるとか……。今回は最初のがこれだから、残り三つも似たような隠し方をされているだろうと、そう推測されるわけだ」

「ううむ……それで、具体的な場所を知っているのは、クレシュの一族だけ、と。……で、クレシュ、どうなんだ、本当なのか?」

「うん、そうだよー。着いてのお楽しみだよー」

「えええ、せめてどんな感じなのか教えてくれても」

「極秘だから、一つずつしか教えられない決まりなんだよー。情報だけ持って逃げられても困るってねー」

「その妙に秘密主義なところが、どうにもうさんくさいんだよなあ」

 ゼノは眉間にしわを寄せて、一同の顔を順に見た。

「おまえら、俺にまだ隠してることがあるだろう」

 言ってからゼノは、自分で気づいた。

「そうか──オリヴィオ。おまえは、俺の前の勇者だったんだな?」

「隠してはいないけど、うん、そうだよ」

「だから、極秘のはずの内容に、やたら詳しかったのか。あの呪いの塚にも挑戦したって言ってたし。……ってことは、おまえら全員、顔見知りか。俺だけ蚊帳の外かよ」

「拙者は無実じゃ」

 ユァンがさも心外という顔で言った。

「我らが寝ているすきに宝を奪おうとして失敗した阿呆など、影も見ておらんわ」

「そのとおりだよ。僕はクレシュに案内してもらって、こっそりあそこまで行った。見事に敗退したけどね」

「てめえら……信じらんねえ」

 ゼノは音を立てて椅子から立ち上がった。

 無性にむかついた。自分だけ何も知らされていなかったこと。オリヴィオが神殿やクレシュとつながっていたこと。彼が説明もなく自分を試すようなまねをしたこと。やはりクレシュに別の顔があったこと……。諸々に腹が立ったが、この怒りは正しくないと諫める自分の理性にも腹が立った。

「ゼノ……」

 オリヴィオの声を振り切るように部屋を横切り、扉の取っ手に手をかけた。

「戻ってくる。頭を冷やしたいだけだ」

 部屋から出て、わざと乱暴に扉を閉める。

 逃げるように階段を下りて宿を飛び出してから、さてどこへ行ったものかと途方に暮れた。すでに日は落ちて、足元は暗く、明かりといえば点在する店の照明ぐらいだ。資金はクレシュが握っているので、金の持ち合わせはない。

 しかたなく表通りをぶらぶら歩いていると、だれかに後をつけられているような気がした。

 ──スリ? 追い剥ぎ?

 つぎの角を曲がって路地に入ると、やはりだれかが同じように曲がってくる。適当にぐるぐる回って撒いたと思ったら、こんどは前方から向かってくる人影が見えた。同一人物かどうかはわからない。だが、明らかにこちらを注視している。

 ──まずいな。

 首筋の毛がちりちりした。相手の目的はわからないが、土地勘のない場所では圧倒的にこちらが不利だ。

 早く表通りに戻ろうと踵を返したそのとき、目の前にぬっと大きな人影が現れた。

「神よ……」

 心臓が飛び出るところだった。

「ユァン、おまえか……脅かすな」

「ここは危険じゃ。早く戻るぞ」

 ユァンはまたたく間にゼノを表通りに連れ戻した。オリヴィオの宿へ向かいながら言う。

「人族のことはよくわからぬが、クレシュとあの男は、少なくともおぬしの敵ではない。むしろ、おぬしにべた惚れじゃ」

「誤解を招くような表現をするな」

「おぬしを守ろうとするあまり、かえって危険にさらしているのが問題じゃがな」

「クレシュはともかく、オリヴィオの考えていることは想像がつくさ」

 ゼノはすねた子供のように言った。

「知らないほうが安全だ、とか思ったんだろうけどな、いったん巻き込まれたら、状況を把握できないほうが危ないっつーの」

「同感じゃ。──して、さきほどのやつらは何者じゃ?」

「やっぱり複数だったのか……。わからん、追い剥ぎかと思ったがしつこすぎる」

 ユァンが現れたことで諦めたのか、いまは気配を感じない。ゼノは、自衛もできないのに知らない土地で夜歩きした自分を反省し、ユァンに感謝した。


「神が、不審な輩に狙われておった」

 宿の部屋に戻ると、ユァンがさっそく報告した。

「なんだって?」

 オリヴィオが顔色を変えて腰を浮かせる。

「どんなやつだ? ゼノ、怪我はないか?」

「何か起こる前に、ユァンが来てくれたから」

 先ほどの態度について謝る雰囲気でもなくなってしまった。外での出来事を話すと、オリヴィオも首をかしげた。

「それは確かに君を狙っていたようだね。だけど、君に心当たりがないとなると、いったい何者だろう?」

「勇者がらみじゃないのか?」

「いや……いままで、そんな話は聞いたこともなかったけど」

「勇者の敵といえば、魔王復活をもくろむ連中とか」

「うーん」

 オリヴィオは納得しかねるという顔をしていたが、すっと立ち上がった。

「ちょっと見てくる」

 たちまちその姿が掻き消え、取り残されたゼノは所在なく椅子に腰を下ろした。

 こんなすごいことができるのに、鼬もどきの呪いは解けないという理屈が、いまだよくわからない。そもそも、オリヴィオの力が魔法で、自分の力は魔法ではないというのも、彼に言われたからそういうものかと思っているだけで、実感したことはついぞなかった。魔法を使える者は魔力の有無を感じ取れるらしい。もともと魔力を持っていない身には雲をつかむような話だ。

「駄目だった」

 オリヴィオはすぐ戻ってきた。

「君の跡をたどってみたんだけどね。確かに尾行の痕跡はあったけど、薄くなっていて追跡しきれなかった」

「まあいいさ。どうせ明日には発つんだし」

「こっちでも調べてみるけど、くれぐれも気をつけて」

「ああ、うん……えーと、あのさ」

 ゼノは恐る恐る切り出した。

「ものすごーくいまさらなんだけど……おまえがかかわってるってことは、この、鍵探しの一件って、けっこう真剣な話?」

「えっ?」

 オリヴィオは鳩が豆鉄砲を食ったような顔をした。

「いやー、だってさ。タヌキ神官はうさんくさいし、途中で逃げるつもりだったから、話もろくに聞いてなくて。いまひとつ現実味がなかったんだよな」

「君は、それなのにこの旅を続けていたのか?」

「それはまあ、あれだよ、なんかその場の勢い? あまりにもぶっ飛びすぎてて、この旅自体が刺激的というか、楽しいというか──」

「ぶっ……あはははは……!」

 オリヴィオは急に大声で笑いだした。文字どおり腹を抱えて笑い、目尻に涙までにじませている。

「ちょっと、何がそんなにおかしいんだよ」

「だって……ゼノ……君って……」

「ねー、勇者でしょー」

 それまで黙っていたクレシュも口を挟む。

「うん、本当に君は勇者だ!」

 笑いながらオリヴィオはゼノを椅子ごと抱きしめた。

「君は最高だよ! ありがとう、おかげで僕も気が楽になったよ!」

「いや、あの、さっぱりわからないんだけど……俺のほうが、他人事みたいで申し訳ないっていうか……」

「君はそれでいいんだ。僕のほうこそ、巻き込んでしまって申し訳ない」

「そのことはもういいよ。やり方は気に入らないけど、それも許すよ」

 ゼノはオリヴィオの腕から身をもぎ離しながら言った。オリヴィオに子犬のような目で見つめられて調子が狂う。

「えーと、だからさ。もうちょっと詳しい説明というか、おまえたちが真剣な理由を知っておきたいんだけど」

「そうか……そうだよね。うん」

 オリヴィオはゼノから離れ、寝台のいちばん近い端に腰を下ろした。

「といっても、どこから話せばいいか。そうだな──君も、魔物の動きが活発化しているという話は聞いただろう? 各地で小競り合いが頻発しているのは、魔王たちが群雄割拠しているからだ。魔王といっても〈連環の魔王〉じゃない、もっと小物たちのことなんだけどね」

「えっ? 魔王って、一人だけじゃなかったのか」

「うん。まあ簡単にいえば、魔王というのは、魔物の群れの統率者という程度の呼び名なんだよ。本来、知能の高い魔物は、独立独歩の傾向が強くて群れることはないんだけど、たまに強い個体が現れて群れで行動するようになる。群れの大小にかかわらず、その指導者を魔王と呼んでいるんだ。僕たち人間だけじゃなく、彼ら自身もね」

「へえー、知らなかった。……ん? ということは、ユァンも魔王なのか?」

「失敬な。拙者は魔王などという俗物ではない。一族を率いる長にして、宝の守護者。もう長は引退したから、いまは神の守護者じゃ」

「そ、そうか……」

 よくわからないが、自称はそれぞれの自由ということなのだろう。

「それで、オリヴィオ、その魔王たちがどうしたんだ?」

「魔王台頭の原因は、世界の魔力量の爆発的な増加だ。魔物の数が増えて力も強くなり、比例するように魔王も増えて集団化している。やがては魔王の中に第二の〈連環の魔王〉が生まれるか、あるいは〈連環の魔王〉そのものが復活して、人間が滅ぼされるのではないか……というのが、神殿が心配していることだけど」

「そうじゃないと?」

「もちろんそういう心配もあると思う。でも僕は、魔力量の増加そのもののほうが、より深刻だと考えている。──ええと、そもそも魔力が多い少ないというのは、それぞれの体に蓄えられる魔力の総量だと思ってもらえばいいかな。魔力が強いとか弱いとかいうのは、その魔力を魔法として使いこなす能力の差だ。──うーん、こんな説明で、なんとなく想像できる?」

「つまり、俺には魔力を蓄える入れ物が、最初からないってことか」

「そうそう、そんな感じ。それで、蓄えられた魔力を燃料にして魔法を行い、減った分は周囲に漂っている魔力を吸収してまた蓄える。ふつうなら、漂っている魔力量なんて微々たるものだから、回復にはそれなりの時間がかかるんだ。ところがいまや、その魔力量が増えて、補充も速くなっている。人間も含め、魔力を持つあらゆるものが影響を受けているはずだ。魔力が多いものは暴走の危険性もある。魔法だけでなく、精神面でもね」

「拙者はいつもと何も変わらぬが」

 ユァンが得心のいかない顔で言った。

「あなたの種族は、生活の基盤を魔力に頼っていないからじゃないかな。あの呪術も、魔法とは系統が違うようだし。──クレシュも魔力は少ないし、ゼノはその点では無敵だね」

「おぬしのほうが、よほど危なそうじゃのう」

「うん。いまは魔力が増えて快適なぐらいだけど、このまま増え続ければ、やがては制御しきれなくなるかも……」

「おいおい、物騒なことを言わないでくれよ」

 国を滅ぼせる大魔法使いが暴走したら、世界が滅びるのではないか。

「ああ、そうか、それで今回の話につながるわけか。だからおまえたちは、焦って鍵を手に入れようとしてるんだな?」

「大雑把に言うと、そういうことかな」

 オリヴィオは歯切れの悪い言い方をした。

「実際のところ、〈連環の魔王〉を封印したからといって、魔力量の増加がとまるという保証はない。〈連環の魔王〉が元凶かどうかも、本当はわかっていないんだ。ただ、状況的には、その可能性は高いと思う。事態の悪化を傍観しているよりは、できることをやってみようと……そんなところかな」

「なんか急に……重い話に聞こえてきたんだけど」

 ゼノは居心地が悪くなって椅子の上で姿勢を変えた。

「まるでこの世の終わりが近づいてるみたいな……。俺って責任重大?」

 神殿で聞いたときには眉唾だと思っていたが、オリヴィオの口から聞くと、がぜん真実味を帯びてくる。

「ああ、ごめん、ごめん。脅すつもりはなかったんだ」

 オリヴィオは慌てたように言った。

「じつをいえば、鍵探しについては、それほど心配はしてないんだよ。現地に着きさえすれば、まあ、多少の面倒はともかく、君に開けられないものはないと思う。……問題は道中だ。日増しに治安が悪くなって、街道や町も安全とはいえない。むしろ、魔物より人間のほうが危険かもしれない。僕はそれが心配だ」


 その晩は同じ宿に部屋を借りてもらい、翌朝三人は南への旅を再開した。

「僕はまだやることが残っているから、今回はここでお別れだ。手があいたら、また様子を見に行くよ。三人とも道中気をつけて」

 オリヴィオは、各地で起こった紛争の火消しに奔走しているらしい。以前から自発的に動いていたが、最近では国からの依頼も多いという。彼がほとんど自宅にいない理由が、いまにしてわかったような気がした。

 ──俺の知らない間に、オリヴィオのおかげで平和が守られていたとは。

 ゼノは新鮮な気持ちで長年の友人の横顔を盗み見た。とはいえ、意外な驚きというほどでもない。彼にはそれができる力があるし、人格的にもうなずける。

 ──英雄ってのは、こういうやつのことをいうんだろうなあ。

 完全に他人事としてそう思いながら、慌ててクレシュとユァンの後を追う。

「おにーさん、きびきび歩かないと置いてくよー」

「神を置いていっては旅の意味がないのじゃ」

「あー、それもそうかー」

 二人の掛け合いは絶好調。

 護衛としても一流で、ユァンの耳と鼻が相手より先に向こうの存在を察知し、余裕があれば衝突を避けて迂回路をとる。いざ戦闘となればクレシュの剣は容赦なく、ユァンの膂力は猛獣並みだ。敵が人間なら、ユァンが恐ろしげな幻術をかけてその場に放置していくこともある。もっとも、考えなしに道端で襲ってくるような輩は、二人が身構えただけで力量を悟って遁走することも多かった。

 そんなわけで、日々の旅路は安全このうえなく、ゼノの仕事といえば歩くことだけだ。とはいえ、その歩くだけがなかなかの重労働だった。身軽な野生児と疲れを知らない魔獣の足に合わせるのは並大抵でなく、ゼノだけが一人汗まみれになっている。

 ──わざとだ……絶対こいつら、わざとだ……。

 ゼノのために多少は速度を落としているのだろうが、完全に合わせてくれているわけではない。気を抜くとすぐ引き離され、小走りで追いつかなくてはならなくなる。はぐれていないか確認するため振り返る二人の目に、意地悪な笑いの色が見えるのは、きっと気のせいではないだろう。

 ──くそう、人をおもちゃにしやがって……!

 意地でも弱音を吐くものかとがんばりすぎた結果、宿でクレシュに介抱されるはめになった。

「いやー、今日もよくがんばったねー」

 癒しの魔法で夢心地になっていると、ふいに視界が揺らぎ、目の前にクレシュの裸体が迫ってきた。

「うわああああっ!?」

 飛び起きると、きちんと服を着たままのクレシュが、ゼノの足に魔法を施しながら怪訝な顔を向けてくる。

「おまえか、イタチ!」

 ゼノは、鼬もどきに戻って隣の寝台で毛づくろいしているユァンに、枕を投げつけた。

「俺に変な幻術をかけるな!」

「何ー? 何をかけたのー?」

「カミ、チョット、ホウシ」

「そんな奉仕はいらん!」

 言い捨ててゼノはふたたび寝台に倒れ伏した。

 ──まいったな……。

 このところ、ユァンがちょくちょく同じようないたずらを仕掛けてくる。正確には、オリヴィオと別れた日以来、だ。

 理由はなんとなく察しがついていた。自分が一方的に、クレシュと距離をおくようになってしまったからだ。距離といっても、あからさまではないし、意識的でもない。ただなんとなく、オリヴィオに真相を聞いてから、自分の心が少しだけ離れてしまったという感じだろうか。

 クレシュが悪いわけではない。当然あってしかるべき彼女の過去──それも、別に隠してもいない、知ったからといってどうということもない、些細な片鱗を覗いただけのことなのに、抜けない棘のように頭から離れない。

 実際には、ゼノがいまだに根に持っているのは、オリヴィオの行いのほうだった。許すとは言ったが、きれいさっぱり忘れられるものでもない。彼が進んで話そうとしなかった事柄に、たまたまクレシュがかかわっていた。それだけで、クレシュをオリヴィオの共犯者のように受け止めてしまっている。彼女にとっては理不尽なとばっちり、ただの八つ当たりだ。

 肝心のオリヴィオに対しても、恨んでいるとか、縁を切りたいとか、そういう悪感情はいっさいない。彼が自分を、本当の意味で裏切ることはないと信じている。だが、彼はまだ何か隠している。それが苦しい。

 そうしたこもごもの思いを、おそらくユァンには見透かされている。少なくとも、三人だけで旅をしていたころとは変わってしまったと、気づかれている。だから、クレシュとゼノの間を取り持とうと、あるいはゼノの気持ちをほぐそうと、ああやってちょっかいをかけてくるのだ。

 ──魔物のくせに、生意気な。

 ゼノは温かい気持ちになって、もぞもぞ動く薄茶色の毛の塊を横目で見やった。

 ──だけど、礼なんて絶対言ってやらないからな。


 火山地帯といっても、現在噴火が続いているわけではなく、大昔に火山が活動していた名残のような土地だ。大小の山々が山脈を形成し、裾野にはなだらかな丘と平原が広がっている。ほとんど草木に覆われているが、木々はまだ若く、見通しがいい。

 そのなかでも、ひときわ大きく、露出した岩肌の目立つごつごつした山に、一行は足を踏み入れた。

 ふだん人が立ち入るところではないとみえ、道のようなものはいっさいない。遠くからだとごつごつしているように見えた岩は、溶岩が固まったものらしく、意外にもなめらかだ。ゼノにとってはかえって歩きにくい。

 クレシュは言わずもがな、ユァンは本来の姿に戻り四つ足で駆けていくので、いちばん快適そうだ。

 それでも、旅の最初に越えた山ほどの難所はなく、ゼノもどうにかついていくことができた。

 山腹を螺旋状に回りながら徐々に登り、隣の山との間の少し急な斜面を、こんどは斜めに伝い下りる。まもなく、三人がそろって立てるほどの足場が見え、そこまで下りて初めてゼノは、その壁面に大きな横穴があいていることに気づいた。

「蜘蛛の巣穴だよー」

「蜘蛛?」

 火山地帯というので火竜でもいるのかと思ったら、予想がはずれた。

「大きな蜘蛛がねー、ここで鍵を守ってるんだよー」

「大きなって……どのくらい?」

「んー……」

 クレシュは少しだけ考えるそぶりをみせた。

「まー、見てのお楽しみー」

 いまの反応でだいたいわかった。おそらく、かなり大きい。

「そ、それで……鍵を手に入れるのは、どうやって?」

「大丈夫だよー。話せば渡してくれるよー」

 本当だろうか。一抹の──いや、かなり不安はあるが、ここまで来たら行くしかあるまい。

 横穴は掘って作られたものらしく、土壁の通路が一定の広さでまっすぐ続いていた。

 ゼノが飛び上がっても天井に届かないほど高さがある。横幅も同じぐらいだ。全体が丁寧に固められており、障害物は何もない。これまでの旅の中でも屈指の歩きやすい道で、いささか拍子抜けするほどだった。

 奥へ進んで外の光が届かなくなると、クレシュが魔法の光を灯した。途中途中の枝道は無視して直進を続け、やがて大きな広間に出た。

 通路と同じ土壁に囲まれた部屋で、がらんとして何もない。

 ゼノがきょろきょろあたりを見回していると、ふいに声が聞こえた。

「おお、勇者か」

 やや硬質な女の声だが、何重にも反響して、どこから聞こえてくるのかわからない。

「ようやく来たな。待ちくたびれたぞ」

 後ろかと思って振り返ったが、だれもいない。クレシュとユァンの視線をたどって上を向くと──。

「ひ──」

 ゼノは慌てて両手で口をふさいだ。

 いた。

 大広間の天井いっぱいに見事な蜘蛛の巣がかけられ、その中心に、巨大な蜘蛛が背を下に向けて取りついている。天井が高いので黒い影のようにしか見えないが、丸い腹部だけは下からの光に照らされて、黒地に赤の髑髏に似た模様が見て取れる。

「蜘蛛さーん。鍵を受け取りに来たんだけどー」

「待っておれ。いま行く」

 クレシュが声をかけると、蜘蛛は糸を伝って音もなく下りてきた。

 床に下り立ったその全身を見て、ゼノはまた悲鳴を上げそうになった。

 後ろ半分は蜘蛛そのものだが、前半分は人と蜘蛛の混じった異形の姿だ。整った女の顔に、蜘蛛の八つの目。両腕と上半身は女に似ているが、二つの乳房には乳首がない。頭から背中にかけて黒い毛に覆われ、残り六本の蜘蛛の足と腹部は、赤と黒の毛でまだらに色分けされている。

 そして大きさは、人に似た部分だけ比べても、ゼノよりひとまわり大きい。

 蜘蛛の魔物は、固まっているゼノに向かって両腕を伸ばすと、胸元をはだけて〈連環の祝福〉を確認した。

「痩せていて、食い出がなさそうだのう」

 震えあがるゼノの手を引いて、大広間から出る。

 蜘蛛にとっては少々道が窮屈なので、必然的にゼノは抱きすくめられて押される格好になり、生きた心地がしない。されるがままに枝道の一本に入り、さらに何度か曲がってたどり着いた部屋の前で、ようやく解放された。

「ここがわらわの宝物庫だ」

 そこには異様な光景が広がっていた。

 蜘蛛の糸でからめとられ繭のようになった大小の塊が、天井からいくつも糸で吊り下げられている。

「鍵はこの中だ。取っていくがよい」

「この中って……ど、どの?」

「さあな。あまりにも時間がたちすぎたので、わらわにもわからぬ。好きに探してみよ。ついでに、わらわの収集品を楽しむとよい」

「そ、そうですか……」

 ゼノが助けを求めて護衛たちの顔を見ると、ユァンが若い美丈夫に姿を変えて優雅にお辞儀をした。

「麗しき蜘蛛の女王よ。我が神は非力ゆえ、その場で一つひとつ包みを開いてもかまわないでしょうか。床に落としても、女王のお宝は壊れたりしませぬか?」

「なに、多少壊れるぐらいでかまわぬ。わらわは無残を好むゆえに」

「ありがたきお言葉」

 ユァンは蜘蛛の手を取ってその甲に軽く唇を押しあててから、恋する少年のような瞳で女王の顔を見つめた。

「そなた、心得ておるのう」

 蜘蛛はすっかり気をよくしたらしく、ユァンをいとしげに抱き寄せると、ゼノに向かっては犬でも追い払うように手を振った。

「さ。勇者は勇者の仕事をさっさとすませるがよい。──いや、ぞんぶんに時間をかけてもかまわぬ」

「は、はいっ」

 ──ユァン、なんて頼りになるやつ!

 ゼノはなるべく蜘蛛から遠く離れ、どこから手をつけたものかとあたりを見渡した。

 広い。

 案内されたときは緊張のあまりろくに見ていなかったが、最初に蜘蛛がいた大広間よりはるかに広く、薄暗いせいもあって奥の壁まで見通せない。恐ろしげな蜘蛛の糸玉が、どこまでも並んでいるように錯覚してしまう。鼬もどきの呪いの塚とはまた違う果てしなさだ。

 呆然と突っ立っていると、クレシュがそばに来て言った。

「始めないと、帰れないよー」

 ゼノははっと我に返った。さっさと仕事をすませて、一刻も早くここから出たい。

 手近にあった大きな糸玉に手をかけて、いつもの呪文を唱える。

『ヒラケ』

 固く巻きついていた粘着性の糸がふわりとほどけ、がしゃがしゃと騒々しい音を立てて中身もろとも落下した。

「ぎゃーっ!」

 足元に落ちてきたものを見て、ゼノは悲鳴を上げながら飛びすさった。

 錆びた甲冑を身に着けた人間の死体だ。開いた面頬の下から、乾いてミイラ化した茶色い顔が覗いている。

「おお。それは、二十年ほど前、わらわを倒しにやってきた騎士だ。なかなか楽しませてくれたので、収集品に加えておいた」

 ──収集品って……そ、そうか……蜘蛛って肉食だしな……。

 ゼノはうつろな目で、吊り下げられている無数の糸玉を見回した。

 ──ってことは、これは全部……い、いや待てよ。

 少し離れたところにある、小さな糸玉に目をつける。

 ──これならまさか、人の死体が入ってるってことはないだろう。

 最初の鍵が小さな牙だったことを考えれば、ほかの鍵も似たり寄ったりの大きさだと推測するのが妥当だ。

 胸を撫でおろしてその小さな糸玉を開けると、期待どおり、こんどはきれいな模様のついた石が転がり出てきた。

「あ、思い出した」

 ユァンといちゃいちゃしていた蜘蛛が、ふと顔を上げて言った。

「大事なものだから、丁寧に厳重に糸を巻いたのだ。だから、なるべく大きいのを探すとよい」

 考えるところは、鼬もどきと変わらないらしい。

 ──うええ。

 泣きたい気持ちをこらえながら、大きな糸玉を探して歩く。

 つぎに出てきたのは、全身金色の巨大な狼のミイラだった。これはまあ、収集品にしたいと思う気持ちもわからなくはない。見事なまでに美しい毛並みだ。

 そのつぎは、正体不明のばらばらの骨。それから人間の、白骨と、ミイラと、屍蝋化した死体が、それぞれ三、四体。巨人のものとしか思えない、ばかでかい頭蓋骨もあった。かと思えば、精緻な彫刻の施された金属製の杯のように、純粋な芸術品もある。

 もう多少のことでは驚かなくなり、開けて開けて開けまくっていると、巨大な鳥の卵が足の上に落ちてきた。

 ピシッといやな音がして青ざめたが、割れたのは下の方ではなく、中央よりやや上のあたりだった。足を直撃された痛みに悶えるゼノの傍らで、卵はごろんと横向きに転がり、割れたところからさらにひびが広がる。

 中から何かが殻を割っている──孵化が始まったのだ。

 あれよあれよという間に、卵の側面を一周してひび割れがつながり、殻の蓋を押し上げて雛が顔を出した。

 ──雛? ……いや、これは?

 嘴のようにとがった口吻ではあるが、鳥よりは蜥蜴に近い顔立ちだ。だが、もがくように殻から這い出してきたその姿は、鳥でも蜥蜴でもなかった。全体的に灰色で蜥蜴に似ているが、胴体は丸々として、背中に小さな翼が生えている。

「おや、やっと孵ったか。それは擬態竜の仔だ。あまりにも孵らないので、駄目かと思っていた」

「擬態竜?」

「火竜に近い種だが、托卵して、仔は仮親の種族に擬態して育つ習性があっての。難儀な習性ゆえに数が少ないから、ここで保護していたのだ。……ほれ、おまえを親と認識したようだぞ」

 見れば、ゼノの方へよちよち近づこうとしていた仔竜の輪郭が崩れ、何やら柔らかい肉塊に変化しようとしている。灰色の鱗が消えて肌色の皮膚になり、翼と尾が縮んで消え、丸くなった頭部に黒い和毛が生えた。

 人間の赤ん坊に姿を変えた仔竜は、そのまま這って目的地までたどり着くと、ゼノの足にしがみついた。

 ゼノは恐る恐る赤ん坊を抱き上げた。仮親の種族に擬態というのは、その子供として不自然でない姿かたちに化けるということか。髪の色だけでなく、目まで自分と同じ琥珀色になっており、ゼノはただただ驚いて目の前の不思議な生き物を見つめた。

「そういうわけだから、勇者よ、帰りにそれも連れていけ」

「ええっ!?」

「おまえを親と認識してしまった以上、それはもうおまえにしか育てられぬ。絶滅寸前の希少種だから、巣立つまで責任をもって育てるのだぞ」

「ちょっと待って! 俺、結婚もしてないし、子育てなんかしたことないし! なによりいま、危険な旅の真っ最中なんだけど!」

「心配には及ばぬ。見た目は人間でも、実際には竜だから、難しいことはない。何でも食べるし、どんな過酷な環境でも生き延びる。必要なのは親の愛情だけだ」

「そんなこと言われても、俺、親の愛情がどういうものか──」

「ええい、ごちゃごちゃとうるさいやつだの。おまえは、おまえだけを必要としているよるべない命を、非情にも見捨てるというのか?」

「わ、わかりました……」

 どうしてこんなことになってしまったのか。自分はここに、鍵を探しに来ただけのはずだった……はず。

 途方に暮れるゼノの心中をよそに、赤ん坊は両手でゼノの服をしっかり握り、胸に張りつくようにして落ちにくい体勢をとった。さすがは托卵竜、自分の身の安全は自分で確保できるだけの本能があるらしい。

「めでたく養子縁組ができたところで、勇者の仕事も片づけようかー」

 クレシュに尻を叩かれ、ゼノはしぶしぶ気の遠くなる作業に戻った。

 呪いの塚の恐怖ふたたび。糸玉を開けても開けてもきりがない。

 思わぬ事件もあって疲れてきたゼノは、もっといい方法はないかと考えを巡らせた。

 ──待てよ……丁寧に厳重に、とか言ってたな。なるべく大きいのを探せって。

 いままで開いた糸玉は、大きさこそそれなりだが、糸の巻き具合は似たり寄ったりだった。蜘蛛が自らの収集品より大事だと考えたものなら、大きさや巻き方に明らかな違いがあるのではないか。

「クレシュ。ちょっと手伝ってもらってもいいか?」

「何をー?」

「いままで見たのより、もっと大きくて、もっとしっかり巻いた玉がないか、探してみてくれ」

「わかったー」

 クレシュは面倒くさがる素振りもなく、糸玉の森の奥へと分け入っていく。

 ゼノも、腕の中の熱い重みを抱えなおしながら、クレシュとは別の方へ足を向けた。

 大きいものはある。だが、巻き方に違いがあるものは見当たらない。念のため小さいものにも目を向けてみたが、やはり小さいほうが巻きが緩くてやっつけ仕事の感がある。ふたたび大きいものだけ探して進んだが、ぴんとくるものには出くわさなかった。

 見当違いだったかと諦めかけたそのとき、はるか遠くからクレシュの声がこだましてきた。

「おにーさーんさーんさーん……こっちーちーちーちー……」

 ──ど、どれだけ遠いんだよ……谷でもあるのか?

 結論からいうと、谷はなかった。声が聞こえてきたと思われる方へ進んでいくと、足元が土から岩に変わり、いつのまにか複雑な形をした天然の岩窟に入っていた。そこも大広間並みに広く、天井から無数の糸玉が下がっているのは変わりない。声が妙に反響したのは、おそらく壁や天井の形や材質のせいだ。

 想像するに、蜘蛛の宝物庫はこちらが大本で、土壁の部分はあとから拡張された部分なのかもしれない。

 クレシュの姿を確認するより先に、巨大な白い玉が目に入った。

 大きすぎて、天井から吊るされているのではなく、天井と床の間に挟まっているように見える。近づくと、丁寧に巻きつけられた糸が、組み紐か織物のようにきれいな模様を描いているのがわかった。

「──これだな」

「これだねー」

 ほっとしながらその糸玉に手をあて、呪文を唱えると、表面の糸だけがはらはらと舞い落ちた。

「えええええ」

 ──また呪いの塚かよーっ!

 ゼノは倒れそうになったが、ここでくじけてはいままでの苦労が水の泡だ。なんとか気を取り直して、もういいかげん飽きてきた呪文をくりかえす。

 幸いにも四、五回ですべての糸がほどけ、白い糸の山の上に、厳重にしまいこまれていた中身がぽとりと落ちた。

 ゼノの手のひらほどの長さの、赤黒い角。

「これも魔王のものか」

「たぶんねー」

 角を回収して入口の方に戻ると、美丈夫姿のユァンと蜘蛛は、まだなごやかに語り合っていた。

「おや、もう見つけたのか」

 蜘蛛が残念そうに言う。

「えーと、すみません、なんか無駄に散らかしてしまって……」

 ゼノは小さくなって頭を下げた。

 あたり一面、崩れた死体や骨やその他もろもろが散らばって、小さな嵐が過ぎ去ったあとのようだ。もっと早く正解に思い至っていればこんなことにはならなかったのだが、いまさら言ってもしかたない。とはいえ、蜘蛛がここまでの惨状を予想していたかどうか──さすがに怒りだすのではないかと、冷や汗が出る。

「気にすることはない。それぞれの思い出を反芻しながら糸をかけ直すのも、乙というもの」

 だが蜘蛛は寛大に言い、最後にしっかり付け加えた。

「それよりも、仔竜のことを、くれぐれも頼んだぞ」


 蜘蛛の巣穴を出て街道へ戻る途中、美丈夫姿のままのユァンは、後ろを振り返り振り返り溜め息をついた。

「それにしても、あの蜘蛛はじつに惜しいことです。大きさといい、肉付きといい──」

 ああいうのが好みだったのかと、ゼノが内心驚いていると、

「食欲を抑えるのが本当にたいへんでした」

 ──そういえば、こいつら、あのおっかない魚が主食だったしな。

 自分にとっては恐ろしいだけの蜘蛛の魔物も、鼬もどきたちにとっては祭のご馳走のようなものか。

 あの寛容な女王も、まさか我が身にそのような危険が差し迫っていようとは、想像もしなかっただろう。そう考えると、笑いがこみあげてくる。

「何をにやにやしているのですか」

「いやー、ユァンはさすがだと思って」

「当然です。私は神の守護者ですよ」

 役柄によって言葉遣いまで変えているのが、芸が細かいというか、よく頭がこんがらからないものだと感心する。

「おにーさん、名前どうするのー?」

「ん? 名前? 何の?」

「その子の名前だよー」

「ああ、こいつか」

 ゼノは、腕の中の小さな塊を見下ろした。邪魔にならないのですっかり忘れていた。とりあえず外套でくるんであるが、泣きもしないし、ゼノの服にしっかりつかまっているので、重さもほとんど感じない。

「名前……やっぱり、いる?」

「いるよー」

「当然です。名前もつけずに、どうやって育てるおつもりですか」

「いやー……そのまんま竜とか。おいとか、おまえですむかなー……と」

「まったく、これだから、神の無知にも呆れたものです」

 ユァンは端整な顔に思い切り侮蔑の表情を浮かべてゼノを見た。

「擬態竜は、仮親の種族に擬態して成長し、巣立ってからも、身を守るため別のものに擬態して過ごすことが多いのです。必然的に、自分の種族と出会う機会は少なく、異性と出会って子をなす機会はさらにわずか。いまも続いているのが不思議なくらいの種族なのですが、さらに難儀な問題を抱えています。血は傷を癒し、肉は万病に効き、皮は火に強く、骨は宝石のように美しく……などなど、あまたある利用価値のため、他種族にとって垂涎の的なのです」

「え……なにその秘宝級」

「神は無欲だと判断されたから、あっさり帰してもらえたのですよ。さもなければ、擬態竜が無事に巣立つまで、あそこで監禁されていたかもしれません」

「ひええ……もしかして、あの蜘蛛もこいつの何かが目当てだったとか!?」

「いえ。彼女は純粋に、博愛精神で保護していただけのようですね。その点では尊敬すべき蜘蛛です」

「じゃあ、ユァン、おまえはどうなんだ?」

「我々は自立した誇り高き種族です。売られた喧嘩と食糧確保のため以外に、他者の血を流すことをよしとしませぬ」

「なるほど」

 人族よりよほど高潔だ。

「クレシュは……興味なさそうだな」

「うんー」

 彼女が金銀財宝に目の色を変えているところなど、想像もできない。不老不死や世界制覇といった願望とも無縁に見える。

「そういうわけで」

 ユァンが話を続けた。

「この仔竜が無事に巣立つまでは、素性がばれないよう、完璧に人間の子供として育てる必要があるのです。我が神も、体は虚弱な人の身ですからね」

「いや、あの……そ、そんなたいそうなもの……俺に守りきれるのか……?」

「もちろん私たちも手助けいたしますよ。ねえ、クレシュどの」

「うん、子育て楽しそー」

 意外な発言だ。クレシュは戦闘関係にしか興味がないのかと思っていた。

「はあ……とにかく、預かったからには、育てるしかないよなあ」

 ゼノは赤ん坊を両手で抱え、目の高さまで持ち上げた。つぶらな二つの瞳が、何かを期待するようにこちらを見つめてくる。

「うーん……名前……名前か……」

 友人知人とかぶるのは避けたい。有名人も駄目だ。あまり聞かない名前で、発音しやすいもの──と考えているうちに、ふと浮かんだ。

「トアル」

 響きも悪くない。

「トアルってどうかな?」

「いい名前だと思いますよ」

「ねー、もしかして」

 クレシュが、急に思いついたという顔で言った。

「それって、おにーさんの本名―?」

「え?」

「だって、おにーさん、子供のころのこと覚えてないんでしょー? ゼノってなんか通称っぽいしー、本当はトアルって名前だったのかもー」

「さあ、どうなんだろう?」

 ゼノは頭の中でトアルという言葉をくりかえしてみた。

「別に……とくになじみがあるとか、そういう感じでもないなあ。ふいに思い浮かんだだけだし。仮に昔の記憶だとしても、知り合いの名前とか、地名とか、何でもありうるだろ?」

「そっかー」

 クレシュはなんだか不満そうだ。

「なんだよ。俺の過去が何かひっかかる?」

「だってー、おにーさん、謎の人だしー」

「謎ってなんだよ。俺にしてみれば、おまえのほうがよっぽど謎だ」

 子供のころの記憶がないといっても、記憶が欠落しているような違和感はないし、気にしたこともない。ユァンの呪術によって掘り起こされることがなければ、当時のことも思い出さずに暮らしていたはずだ。

 そんなことより、問題は目の前にある。

「よし、トアル」

 ゼノは赤ん坊の目をまっすぐ見つめて言った。

「おまえの名前は、トアルだ」

 赤ん坊が初めて笑い声を立てた。

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