第三章 にわか勇者、神になる

3-all

「最初の鍵は、あそこだよー」

 二人はふたたび森の中にいた。

 前回とは異なり、比較的なだらかな地形の大樹海。曲がりくねった川に沿ってさかのぼっていくと、突然目の前に滝が現れた。

 高さはそれほどでもないが、幅は少し広い。苔むした岩肌に水流の幕がかかっているように見える。

「濡れるから思い切って駆け抜けてー」

 そう言ってクレシュが滝めがけて突進した。

 その姿が滝の向こうに消える。どうやら裏に空間があるらしい。

「……まじかよ」

 しかたなくゼノも後に続いた。

 飛び込んだ先はかなり広く、両手を振り回せるほどの余裕があった。岩肌に囲まれた洞窟で、まっすぐ奥へと続いている。水を浴びたのは一瞬だったので、体は思ったより濡れていない。

「この先に鍵が?」

「うん、そうー。この奥に、魔物の村があってねー、その魔物たちが鍵を守ってるんだよー」

「魔物……もしかして、強奪するのか?」

「駄目だよー。やつら、見かけのわりに凶暴だし、強いし、呪術師もいるからねー。正面から突っ込んだ勇者様は死んだよー」

「え……それじゃ、どうすれば」

「寝てる間にこっそりいただくー」

 なるほど、それならゼノの得意分野だ。

「まずは村まで行くよー」

 クレシュの後について、こわごわ洞窟を歩き始めた。

 壁は鍾乳石らしく、ところどころ濡れたような光沢がある。足元は乾いていて、思ったより歩きやすい。充分な広さがあるので閉塞感はないが、進むにつれて肌寒くなり、暗くなってくる。

 どうするのかと思っていると、クレシュの手元がぼんやり明るくなった。魔法の光だ。

 ──便利だな。

 得意ではないというが、クレシュの使える小さな魔法の数々が、ゼノにとってはかなりうらやましい。焚火に火をつけたり、傷を癒したり、こうやって明かりを灯したり──とくに癒しの魔法は格別だ。

 二又に分かれた道を、クレシュは迷わず右へ向かった。これまでに何度も勇者を案内して、順路がしっかり頭に入っているのだろう。その点では安心できる。

 少し広い部屋に入ると、異臭が鼻をついた。動物の小さな糞が床に散らばり、堆積して山になっているところもある。クレシュが指差したので見上げると、天井にびっしり蝙蝠が張りついていた。

 早々に退散し、さらに奥へと進む。自然にできた洞窟は、狭くなったり広くなったりしながら、ゆるやかな曲線を描き、しだいに下へと向かっているようだ。

 やがて唐突に目の前がひらけ、地底湖が現れた。

 泳ぎまわれるほどの広さの、円形の湖。発光しているらしく、水全体が薄青く輝いている。

 ふいに水音がして、何かがこちらに飛び出してきた。

 クレシュの一閃で両断されたそれは、半分ずつになってなお、岩の上で勢いよく跳ね続けた。後ろ足が生えた魚の魔物だ。鋭い牙を噛み鳴らして、隙あらばまだ襲いかかろうという執念をみせている。

 クレシュがそれを湖に蹴り落とすと、たちまち水面がざわつき、同じ魚の魔物が何匹も姿を現した。死にかけた同族の体に、我先にと食らいつき、奪い合いながら水中に戻っていく。赤黒い体液が水面下で煙のように広がって消え、すぐに湖はもとの静けさを取り戻した。

 ──ひいぃ……。

 ゼノは思わず後ずさりし、背後の岩壁に張りついた。

 クレシュに手招きされておっかなびっくり前に出ると、湖の縁に沿って道のような足場があるのが見えた。少し前だったら気にせず歩けただろうが、あれを見てしまっては足を踏み出すのもためらわれる。

「ここを行くしか……ないんだよな?」

「魚は任せてー」

 いつもながら頼もしい。

 その言葉を信じて、及び腰ながら歩き始めた。幸い、道は平坦で乾いており、よほどのことがなければ足を滑らせる心配はない。凶暴な魚が何度か襲いかかってきたが、すべてクレシュによって切り捨てられた。

 無事に湖を通過し、また細い通路に入った。

 どれくらい進んだころか──クレシュが足をとめ、静かにするようにと合図してきた。

 明かりを消し、息を殺して忍び足で進む。

 やがて道が終わり、目の前に広がった光景に、ゼノは思わず息を呑んだ。

 驚くほど広い大空洞。天井からはつらら石が垂れ下がり、床には石筍が生え、ところどころつながって柱になっている。中央付近は窪地になっていて、縁のある平たい皿のような区画が段状に広がり、その一つひとつに簡素な天幕が張られている。

 集落──これがクレシュの言っていた、魔物の村のようだ。周りを囲むようにかがり火が焚かれているおかげで、ぼんやりと全体が見渡せる。

 いちばん高い土地にある天幕は、ほかのものより少し立派で、地位のある者の住まいだと思われる。それよりさらに高所に、何やら巨大な盛り土のような、おそらく人工物と思われるものが鎮座していた。

「あの中だよー」

 クレシュが、まさしくその塚を指差して、囁き声で言った。

 ──あの中って……あれが入れ物???

 謎の物体だが、近づけばわかるのかもしれない。この空洞の外周に沿って移動すれば、そこまではなんとか到達できそうだ。

 気配はするが、出歩いている魔物の姿はなかった。耳をすませると、寝息に混じって、ちらほらいびきのような音も聞こえてくる。ここにいると昼も夜もわからないが、彼らにとっては睡眠の時間帯なのだろう。

 ふいに天幕の一つが揺れ、黒い影がのそのそと這い出してきた。

 丸い頭部に、細長い体、長い尾。全身が黒っぽい毛に覆われているようだが、衣類を身に着け、腰に剣を提げて二本足で歩いている。

 ──イタ……チ……?

 ゼノはその魔物をまじまじと眺めた。

 やはりどう見ても鼬だ。遠くなので大きさまではわからないが、鼬が服を着て歩いているようで、珍妙というか、なんともほほえましい。

 ──いやいや、鼬が二本足で歩いてる時点で、充分魔物だから!

 そうは思うものの、化け物じみた姿をしていないおかげで、少し気が楽になった。

 鼬もどきは、寝ぼけているような足取りで、ゼノたちがいるのとは別の方角へ歩いていき、かがり火の向こうの暗がりに消えた。しばらくすると戻ってきて、また天幕に潜りこんだ。用足しにでも行っていたらしい。

 安全を確認して、クレシュがまた移動を始める。

 ついていこうとしたゼノは、数歩進んで足を下ろした瞬間、足元の異状に気づいた。気づいたときには遅かった。

 足場が崩れ、集落に向かって滑落する。

 ──しまった!

 手がかりも足がかりもなくて、とまれない。派手な音を立てながら、天幕のすぐ近くに転げ落ちた。

 天幕という天幕が開かれ、きいきいぎゃあぎゃあという騒がしい声とともに、鼬もどきたちが集まってくる。

 ──でかい……。

 姿かたちこそ鼬だが、直立した状態で、クレシュと同じぐらい背丈があった。さすがにこの大きさは怖い。口元から覗く牙は鋭く、しかもそれぞれ剣や斧や棍棒といった武器を持っている。どう見ても勝てる気がしない。

 刺激したらいっせいに飛びかかってこられるのではないかと思い、ゼノはぴくりとも動けなかった。

 鼬もどきたちのほうは、口々に何かしゃべっているだけで、それ以上近づいてこようとしない。しばらくすると輪の外側から鋭い声が響き、彼らはすばやく左右に分かれて道をあけた。

 そこを通ってゼノの前までやってきたのは、やはり鼬もどきだ。

 薄茶色の被毛に、黒い目と桃色の鼻。顎から下の腹側は白い。粗布の短い上着をはおって、杖を持ち、小さな骨片がたくさんぶらさがった首飾りをつけている。おそらくこれが、クレシュの言っていた呪術師だろう。

「オマエ、ナニモノ」

 鼬もどきの呪術師が、片言で言った。

 まさか、泥棒とは言えまい。黙っていると、呪術師は片手を伸ばし、ゼノの額に触れてきた。

 とたんにめまいがして、ゼノは暗闇に引きずりこまれた。


 気がつくと、薄暗い部屋の中で、鳥かごのような檻に入れられていた。

(これはお薦めですよ、お客様。健康で、見た目も悪くありません)

 どこかで聞いたような台詞に、ゼノは顔をしかめる。

 ──イタチどもめ……人身売買だと……?

 いや、違う。こんなことが前にもあった。子供のころの……記憶……?

 違和感を覚えて自分の手を見ると、小さな柔らかい手のひらだった。そう、体もちょうどこのくらいだった。記憶にしてはやけに生々しい。これは悪夢か──それとも幻覚?

(お買い上げだ。さあ小僧、出てくるんだ)

 檻の扉が開けられ、毛むくじゃらの太い腕がこちらに伸びてきた。

 ゼノはその腕を思い切り噛むと、苦痛の声を上げて怯んだ男を突き飛ばし、無我夢中で逃げ出した。開けられたままの出入口から部屋を飛び出し、狭い通路を一心に走る。

 通路は曲がりくねっていて、いくつにも分岐し、どこへ通じているのか皆目わからなかった。

 だが逃げなければ。捕まったら、死ぬよりひどい目にあわされる。

 ──いやだ……いやだ、いやだ、いやだ……!

 怒声が飛び交い、あちこちから追っ手の足音が向かってくる。

 何度も行き止まりにぶつかり、進路を変え、追っ手の腕をかいくぐって走り続けた。

 だが、やっとのことでたどり着いた外への扉は、固く閉ざされ、頑丈で、子供の力ではびくともしない。

 ──なんでだよ! 頼むよ、開いてよ!

 追っ手はすぐそこまで迫っている。

 叩いて、揺さぶって、ぶつかって──ゼノは泣きながら扉と格闘を続けた。

 ──開け、開け、開け……!

『ヒラケ!』


 はっと我に返ると、筆舌に尽くしがたい光景が目の前に広がっていた。

 ──やっちまった……。

 ゼノは現実を拒否して目を閉じ、しかたなくもう一度開いた。

 自分を中心として円を描くように、あたり一帯の天幕が倒れ、武器や衣類がばらばらになって地面に散らばり、まさしく身ぐるみ剥がれた態の鼬もどきたちが、呆然として突っ立っている。もっとも、自前の毛皮を着ている彼らはまだいい。いちばんの被害者はクレシュだった。

 おそらく、救出のためにこちらへ向かってくれている途中だったのだろう。文字通り一糸もまとわない姿で、彼女にしては珍しく驚きの表情を浮かべている。ひきしまった美しい肢体が、場違いなほど神々しく、ゼノは慌てて目をそらした。

 解錠の呪文は、じつのところ、錠限定に作用するものではない。いままでの経験でわかったかぎりでは、これはおそらく解放ないし開放の呪文だ。閉ざされたもの、結ばれたもの、締められたもの──ありとあらゆるものをヒラク。留め具や紐はもちろん、衣類の縫い糸もほどける。手で触れて集中すれば一部だけに作用するが、特定しないと暴走して広範囲に影響を及ぼしてしまうこともある。そう、こんなふうに。

 ゼノ自身も、着ているものがはだけ、あられもない姿をさらしていた。

 だが、いま問題なのはそこではない。この状況で、鼬もどきたちがどう反応してくるか──。

 呪術師が声を上げたので、ゼノは思わず身構えたが、つぎに彼らがとった行動はまったくの予想外だった。

 鼬もどき全員が地面に膝をつき、こちらに向かって平伏したのだ。

「ワレワレ、アヤマル、カミ」

「…………へ?」

「カミ、シルシ」

 呪術師が、ゼノの胸に刻まれた〈連環の祝福〉を指差して言った。

「ワレワレ、カミ、マッテタ。カミ、キタ」

 何か誤解があるような気がする。たしかにこれは神の印だとは言われたが、神からもらった印であって、神そのものの証ではない。あるいは、この惨状を神の力と思われたか。片言なので、きちんと意思疎通できているかどうかも怪しいが。

 ともあれ、なんとか一触即発の事態は避けられたようだ。

 ──それにしても、いまのはいったい……。

 思い出したくもない、いやな記憶だった。奥深くにしまいこんでほとんど存在すら忘れていたというのに、当時の感情や五感までよみがえって、胃がむかむかする。

 呪術師が何かやったせいにちがいない。気分が落ち着くにつれ、反動で怒りがこみあげてきた。

「おい、いまのはなんだ。俺に何をした?」

 強気で問い詰めたが、呪術師はさからわず、平伏したまま縮こまって答えた。

「ナニモノ、ホンシツ、ミタ」

 それから上目遣いで付け加えた。

「カミ、チョット、ナサケナイ」

「大きなお世話だ! 人の繊細な思い出をほじくりだしやがって!」

 正体を探るために、こちらの根源的な記憶を盗み見たということか。

 ──あれが俺の本質……ねえ。

 複雑な気分だが、おおむね間違いではない。あのとき不思議な力が発現し、自分の運命は変わった。いままで生きてこられたのも、この力のおかげだ。

「カミ、タカラ、コッチ」

 呪術師が後ずさりしながら立ち上がり、塚の方を示して歩きだした。

 ──おお、鍵を渡してくれるのか!

 クレシュの方を振り向くと、彼女は服より武器のほうが気になるらしく、全裸のまま、ばらばらに分解された剣を拾って、どうにか組み立てようと試行錯誤している。

「あの、その前に……彼女に武器と、何か着る物をくれないか?」

「ワタシ、ウチ、ムコウ」

 呪術師は、塚の手前にある立派な天幕を指差した。この呪術師が、この村の長ということで間違いなさそうだ。

 ゼノは立ち上がり、衣類の残骸を腰に巻いて体裁をつくろいながら、呪術師の後に続いた。クレシュは裸身を隠そうともせず、近くに落ちていた棒切れを拾ってついてきた。あくまでも武器優先で感心する。

 呪術師は自分の天幕に二人を招き入れた。中はかなり広く、奥に円形の寝床があり、左右には蔓で編んだ四角い籠が整然と積み重ねられている。下の方から二つの籠を引っ張り出し、蓋を開けて中身を見せた。

「アゲル。エランデ」

「おおー」

 クレシュの口から感嘆の声が出たのも無理はない。大きなほうの籠には、種々雑多な武器が無造作に詰めこまれていた。剣、小刀、斧、槍、弓、杖、戦鎚、棍棒──。装飾性の高いものから、実用本位のものまで、まさしくよりどりみどりだ。もう一方の籠には、これまた雑多な、統一性のない衣類が入っていた。

 ──これってもしかして……倒した人間から奪った戦利品?

 そう考えれば、この適当な品揃えも腑に落ちる。

 ──ま、まあ……使う本人が気にしてないなら、いいか……。

 クレシュは嬉々として籠の中を漁っていたが、最終的に、飾り気のない長剣と、無難な男物の服を選んだ。ゼノも結局、背に腹は代えられないと観念し、服をひとそろいもらった。きちんと洗濯はしてあるようで、汚れも臭いもない。

 呪術師もいつのまにか、新しい上着と首飾りと杖を身に着けている。

「ありがとー、イタチのひとー」

「ヒトノコ、オレイ、イイヒト」

 二人──一人と一匹?──は、何やら和気あいあい手を取り合っている。一歩間違えば殺し合っていた間柄とは思えない。

「カミ、コッチ」

 呪術師は、いよいよ塚の前へとゼノたちを導いた。

 至近距離まで近づいても、塚は塚にしか見えなかった。頭頂部はゼノの身長より少し高い。ぐるっと周りを回ってみたが、蓋や扉のようなものは見当たらない。正真正銘の盛り土だ。

「神の宝とやらは、この土の下にあるのか?」

「ソウ、ダイジ、ウメタ」

 ──やれやれ、土掘りか……。

 ゼノは肉体労働を覚悟した。

「掘る道具をくれ」

「ナイ、ホレナイ」

「掘れないって……」

「カタメル、ノロイ。タカラ、トル、デキナイ」

「えええ……呪いで固めたと……?」

「ソウ、タカラ、ダイジ」

 呪術師は、本物の鼬そっくりに身をくねらせて言った。

「まさか、触ったら呪われるとか……」

「ダイジョウブ、ノロイ、ナイ」

 そう言われても、すなおに信用はできない。触ったとたん、かけた本人にも予想外の奇天烈な呪いにかかるとか、本当は呪われるのにしらばくれているとか、あるいは神と崇めるふりをしておいて罠だとか──。

 などとゼノが疑心暗鬼に陥っていると、クレシュの無邪気な声が聞こえてきた。

「ねー、おにーさん、これすごいよー」

 見れば、いつのまにか前に出て、塚をぺたぺた触りまくっている。

 ──クレシュよ……おまえのほうが勇者だな……。

「ほらほらー、土っぽいのに、手につかないんだよー」

 言われて観察してみると、なるほどそのとおりだった。見た目は土埃の舞いそうな質感なのに、さんざん触ったクレシュの手には汚れひとつない。砂の一粒も、元の位置から動いていない。何かを塗って固めたというより、まるでそこだけ時間が止まっているかのようだ。

 ──呪われませんように。

 ゼノは勇気を振り絞って塚に指を近づけた。指先でつついて瞬時にひっこめる。何も起こらないので、つぎに手のひらを置いた。おそるおそる撫でてみると、摩訶不思議な手触りだった。触っているのに、触っている感覚がない。軽く叩いたが、空気のように手ごたえがない。

 これでは、切り札の呪文を使っても、効果があるかどうか。

「えーと……また何かすごいことになったら、すまん」

 念のため謝っておいてから、手をあててささやいた。

『ヒラケ』

 ふわりと風のような手ごたえを感じた。成功したかと思いきや、表層の土が震えて、薄衣が剥がれるように崩れ落ちただけだった。

「オオ、カミ、サスガ!」

 それでも呪術師が手を叩いて称賛した。

『ヒラケ』

 もう一度試すと、また表面の土だけが落ちた。

 ──これって、まさか……。

 ものすごくいやな予感がする。

「なあ、これって……もしかして、何度も呪いをかけ直した……とか?」

「ソウ、タカラ、ダイジ。マイトシ、ウメテ、ノロウ」

「毎年って……まさか、百年の間ずっと……?」

「ダイジ、ワレワレ、ヤクメ」

 ゼノは天を、もとい洞窟の天井を仰いで呻いた。

 遠い──あまりにも遠すぎる。

 とはいえ、いまの勢いに乗ってやってしまわないと、休んだら二度と腰が上がらない気がした。覚悟を決め、塚に手をあてて作業にとりかかる。

『ヒラケ』『ヒラケ』『ヒラケ』『ヒラケ』『ヒラケ』

 はじめのうちは、おもしろいほどはかどった。玉ねぎでも剥くように土の層がぺりぺりと剥がれ落ち、周囲からはやんやの喝采が送られた。二十回を超えるころから、崩れた土が邪魔になりはじめ、鼬もどきたちに撤去を頼むにおよんで、しだいに土木作業の様相を帯びてくる。五十回を過ぎると、顎や舌が疲れてろれつが回らなくなり、集中力も切れてきた。

『ヒラ──』

 ──ええと、つぎの音はなんだっけ? ケで合ってたっけ?

 呪文の言葉自体が、頭の中でばらばらにほどけ、意味をなさなくなってしまう。

 それでもしだいに塚は小さくなり、終わりが近づいてきたという希望にすがって、ゼノは惰性で唱え続けた。

 そしてとうとう、ついに──土ではないものが現れた。

 ひとかかえほどの大きさの、金属の箱だ。鎖でぐるぐる巻きにされ、錠前で固定されている。

 いよいよご対面かと、安堵と期待の入り混じった気持ちで蓋を開けると、中にまた箱があった。こんどは掛け金に錠前がおろされている。

「ま、まだあるのか……」

 恐るべし、鼬もどき。

 結局、さらに十個ほど箱を開けて、ようやく本体と思われる箱が出てきた。

 片手で包めるほどの小さな赤黒い箱。黒光りした表面に謎の記号がびっしり刻まれていて、見るからに禍々しい。

「これだな? こんどこそ、これだな!?」

「シラナイ。ワタシ、ウマレル、マエ」

 蓋が見当たらないので呪文を唱えると、寄せ木細工のようになっていた蓋が横に滑って開いた。

 中には、丸められた襤褸切れ──いや、襤褸切れに包まれた何かが入っている。

 箱に入ったままの状態で、包みの上だけ慎重に開いてみると、白っぽい骨のようなものが出てきた。

「……牙?」

 クレシュと呪術師の方へ箱ごと差し出すと、二人とも好奇心満々の様子で覗いてきた。

「牙だねー」

「ソレ、マオウ、キバ」

「えっ? 魔王の牙?」

 ゼノは少し拍子抜けした。魔王は大きくて恐ろしいものという漠然とした心象を抱いていたが、この牙が魔王のものだとすると、狼程度の大きさしかない。

 ──いや、そもそも、魔王ってどんな姿なんだ?

 そこまで考えて、ふと気づいた。魔王のもとへ行くための鍵が魔王の牙という、一見矛盾するような仕組みが、なんだか薄気味悪い。

 ──まさか、封印するときに牙を抜いたとか……? うわー、いやだいやだ。

 猟奇的な場面を想像しかけてしまい、慌てて脳裏から振り払う。

「とにかく……これが、一つ目の鍵か」

「そうだねー。おにーさん、やったねー」

「カミ、タカラ、モツ。ワレワレ、アンシン」

 戦闘の専門家が突破できなかったのも納得の、恐ろしい試練だった。魔法使いならできたかもしれないが、どうだろう?

 ともかくいまは、やり遂げた、それだけで充分だ。

「……疲れた」

 いつのまにか周囲は、見物に集まった鼬もどきたちでいっぱいだった。クレシュに小箱を預けると、ゼノはその輪を押し分けてよろよろと歩きだした。

 とうぶん土の山は見たくない。


 客用に用意してくれた天幕で泥のように眠り、目を覚ますと、外では宴会の準備が整っていた。

「カミ、メデタイ、イワイ」

 ゼノは上座を勧められ、両隣にクレシュと呪術師が座った。

「タベル、ノム、タクサン」

 酒らしきものをつがれたが、どろっとした赤い液体で、口にするのがためらわれる。続いて運ばれてきた料理を見て、ゼノは思わず悲鳴を上げそうになった。例の魚の魔物だ。丸焼きにされたものが、皿に山盛りになっている。

「おおー、うまいよー、いけるよー」

 やはりというべきか、クレシュは臆することなく盃を傾け、魚にかぶりついて舌鼓を打っている。

 ゼノはなるべく小さい魚を選び、おそるおそる背中のあたりをかじってみた。くせがなく淡泊で、意外にも上品な味わいだ。見た目の不気味さと、何を食べて育ったかを考えないようにすれば、極上の食材といっても過言ではない。食べているうちにとまらなくなり、つい二匹目に手を出していた。

 酒も味は悪くなかった。果実酒のような風味だが、原料を確認するのも恐ろしく、酔ったら寝てしまいそうなので、舐める程度にとどめておく。

 ほかにも、見た目はふつうの肉や、芋や山菜などを使った料理がつぎつぎに供され、その場にいた全員が、味見するだけでやっとという満腹の極みに至った。

「そーいえば、おにーさん。あれはほんとに魔法じゃないのー?」

 ほろ酔いのクレシュが、揚げた芋をつまみながら尋ねてきた。

「ん? まあ、広い意味では魔法かもなあ。みんなが使ってる魔法とは種類が違うみたいだけど」

「便利だよねー。みんなが裸になったのは笑ったけどねー」

 ──怒ってなくてよかった……。

 ゼノは胸を撫でおろした。

「あれは言葉どおり、いろんなものをヒラク呪文……といえばいいのかな。俺にしか使えないけど、俺もこれ一つしか使えないんだ」

「へえー。東方には、言霊って力があるらしいけど、そういうのかなー? おにーさんはそっちの出身とか―?」

「さあ……俺は孤児でね」

 言いかけてゼノは、力が暴走したとき、クレシュだけ蚊帳の外だったことを思い出した。呪術師に知られてしまったのにクレシュに隠しておくのは、なんとなく義理を欠くような気がする。

「子供のころのことは、あまり覚えてないんだ。でも、奴隷として売られそうになったことがあってさ。逃げるときに、突然あの力が使えるようになったってわけ」

「おおー、なんかかっこいい話だねー」

 あいかわらずクレシュの感性はよくわからない。呪術師には情けないと評されたが、まあ、軽く流してくれればこちらも気楽だ。

「おにーさんも、かっこいいよー」

 笑顔で言われて、ゼノはどきりとした。

 ──いや、酔っ払いだしな。鍵を手に入れて、評価が上がったってことだろう、うん。

 妙な期待は禁物だ。と自分に言い聞かせて、はて、期待とは?と逆に問い返す。いったいどんな期待だ? 男として認められたいのか? 有能な勇者として、あるいは忠犬として認められたいのか? それとも、対等の人間として? そのすべてでもあり、どれでもないような気もする。

 ──ま、いいか。

 いまのこの、緩いつながりが心地よくもある。いずれこの旅が終われば、きっと離れ離れだ。深入りしないに越したことはない。

 ──無駄に美人なのが、困るんだよなあ。

 外見に惑わされて、いろいろなことが見えなくなっている可能性はある。現に自分は、彼女のことをほとんど知らない。知らないのに、信頼して、命を預けている。

「また何か来たよー」

 もう充分食べただろうに、近づいてくる皿を見てクレシュがうれしそうに言った。

 最後に出てきた果物は、ある意味この宴会を締めくくるにふさわしい、衝撃的な代物だった。

 小さな桃のような外見なのだが、噛むと悲鳴を上げて真っ赤な汁をしたたらせる。

 初めて聞いたときには、ゼノも驚いていっしょに悲鳴を上げてしまった。

 味は熟れた桃よりもさらに芳醇で、うっとりするほどうまい。だが噛むたびに金切り声で叫ぶため、全員が食べ始めると阿鼻叫喚どころの騒ぎではなくなり、そのうえ手といい口といい真っ赤に染まって、会場はさながら地獄絵図だ。

 なんでもこの果物が、赤い酒の原料らしい。

 気が変になりそうだと思いながらも、味の魅力に負け、しまいにはすっかり聴覚が麻痺した状態で、ゼノは三つ平らげた。

 そのまま雑魚寝で朝?を迎え、一同に見送られていざ出発という段になって、呪術師が旅支度を整えて現れた。

「ワタシ、イッショ、イク」

「え?」

「シゴト、オワッタ。ワタシ、ヒマ」

 鍵を守る仕事がなくなったから、ついてくるということだろうか。

「え、暇って……この村は?」

「ムラ、アトツギ、マカセル。ワタシ、カミ、マモル」

「いや、護衛ならすでにいるんだが……」

「イタチさんが来てくれるなら、心強いよー」

 ゼノが断ろうとすると、クレシュが口を挟んだ。剣をもらって以来、すっかり取り込まれている。

「だけど、その姿で人間の前に出るのはまずいだろう?」

「ワタシ、バケル」

 そう言ったとたん、呪術師の姿が溶けるように揺らぎ、目の前に小さな老婆が立っていた。

「必要なときは、こうして人の姿になるから問題ない。おぬしは少々頼りないから、わしが面倒見てやろうというのじゃ」

「うわわ……! あんたって雌だったのか? ていうか婆さん!? いや、そんなことより、ちゃんとふつうに話せるんじゃねえか!」

「阿呆。あの口で、人族の言葉がまともに発音できるわけがなかろう。それにこれは仮の姿じゃ。必要に応じて何にでも化けられるぞ」

 言ったかと思うと、たちまち豊満な若い美女になり、ついで筋骨たくましい大男になり、さらに犬や猫にもなった。

 ──発音がどうのって、これは幻術じゃないのか? 実際に体のつくりまで変わってるのか?

 聞いてみたい気もしたが、また叱られそうなので黙っておく。

 呪術師はしばらく変幻自在ぶりを見せびらかしてから、元の鼬もどきの姿に戻った。

「フウ。コレ、オチツク」

 ──俺も、このほうが落ち着きます……。

「じゃ、じゃあ……お言葉に甘えて、よろしくお願いします。ええと、なんとお呼びすれば?」

「カミ、テイネイ、フヨウ」

 鼬のときのほうが腰が低い。

「ワタシ、ナマエ、…………」

 ものすごく早口で長い名前を言われたが、まったく聞き取れなかった。

「ワタシ、ユァン」

 どうやら妥協してくれたようだ。

「ユァン……か。よろしく、ユァン」

「ユァン、かわいいねー」

 ふわふわの体に抱きついて、クレシュが頬ずりしながら言った。

「あたしはクレシュだよー。神様はゼノー」

「神様はよせ」

「じゃあ勇者様―」

「頼むから、やめて……」

 先行き不安ながら、とにもかくにも出発にこぎつける。

 教えてもらった近道を三人でたどりながら、ゼノはふと思った。

 魔王退治の旅なのに、魔物に神と崇められて、おまけに護衛として同行までしてもらうとは……。神と魔王と魔物の関係性がまったくもってわからない。魔王は魔物にとっても脅威なのか? それともこの鼬もどきたちが、たまたま神を信仰する善良な魔物なのか? あるいは彼らにとって、何かしらの超越した力を持つ者全般が神なのか?

 ──いや、俺のこの印を見て、鍵を渡してくれたんだしなあ。

 とりあえず、神殿と鼬もどきは同じ側にいると考えてよさそうだ。

 そしてその代表といってもいいクレシュとユァンは、道中何やかやと互いをいたわり、いっしょに狩りをして夕食の材料を調達し、野宿の支度から食事の後片付けまで仲良くこなしたのち、いそいそとよりそって寝る態勢に入った。

 ──ふわふわの抱き枕ができたから、俺はもういらないわけだね。

 一抹の寂しさを覚えながらも、久しぶりの静かな環境で、ゼノはたちまち眠りに落ちていた。


 翌朝──。

 生き埋めにされる悪夢にうなされて目を覚ましたゼノは、クレシュとユァンが折り重なるように自分の上で寝ているのに気づいた。

 悪夢の原因はこれだ。

「おい、おまえら……なんでこんなところにいるんだよ!?」

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