2-5
初めの集落を迂回してしばらく行くと広い街道にぶつかり、こんどはその街道に沿って進む。
往来が盛んらしく、ときどきほかの旅人とすれ違った。進行方向が同じ荷馬車を見かけると、クレシュが引き留めて交渉し、分かれ道まで乗せてもらうこともあった。
日が暮れかけたころ、小さな宿場町にたどり着き、そこで一泊することにする。
寝台が二つある部屋をとり、宿の一階の食堂で夕食をすませた。待望の文明社会のはずが、見知らぬ土地ということもあってか、なんだか落ち着かない。宿の食事としては申し分のない料理なのに、クレシュの魔物料理のあとでは、少し物足りない気がした。とはいえそれは贅沢というものだろう。
旅の汚れを落とし、さあ寝るかという段になって、ゼノは大事なことを思い出した。
──待てよ……逃げるなら今夜が好機。というか、今夜しかないんじゃ?
この近辺は道が多いし、馬を盗むこともできる。明日には、またどんな僻地へ連れていかれるかわかったものではない。つぎの機会がいつになるか……いや、つぎの機会がはたしてあるかどうか。
──やっぱり、今夜決行だ。
先に寝たふりをして、クレシュが寝入るのを待つ。旅の疲れもあり、気を張っていないと本当に寝てしまいそうだ。
クレシュが規則正しい寝息を立て始め、付近一帯が寝静まったのを確認してから、ゼノは静かに起き上がり、まとめてあった最低限の荷物だけ持って部屋を出た。
一階の出入口を開けたままではさすがに不用心かと思い、窓から外に出て、一見わからないように閉めておく。ゼノにできるのは解錠だけで、閉めるほうはできないのが、不便といえば不便だ。
物音を立てたくなかったので、馬は諦め、徒歩で行くことにした。
幸い月は細く、闇に紛れて、だれにも見とがめられることなく町を出ることができた。
道に迷わないよう、夜明けまでは街道を歩いていくのがいいだろう。朝になってクレシュが目覚めるころには、充分な距離を稼げているはずだ。つぎの町なり村なりで、交通手段を手に入れて、行き先を考えればいい。
──といっても、どこへ行ったものか……。
元の都には戻れない。大きな街には神殿があるので、すぐに手配がまわりそうだ。空き巣でもしながら、ほとぼりが冷めるまで町から町へと流れていくか。あるいは、危険を冒して都に戻り、蓄えを回収してから田舎に引っ込むか。
数日前、盗みの片手間に想像したときには魅力的に思えた引退計画が、いまではなんだか色あせて感じられる。元の生活に戻るとしても、はたして前ほど身を入れてできるかどうか、自信がない。この短期間の出来事が、あまりにも刺激的すぎたせいだ。
──うわあああ……血迷うな、俺!
ゼノは心の中で叫んだ。
──絶対、確実に、まともな話じゃないぞ! このまま続けたら後悔するのは目に見えてるだろーっ!?
かといって、このまま逃げても、やはり後悔することになりそうだった。退屈な日々を屍のように送りながら、選ばなかった別の人生を渇望して腐っていく未来の自分が、容易に想像できる。
──くそっ、くそっ、くそっ!
ゼノは足をとめ、頭をかきむしって煩悶した。
──ああああ、俺は馬鹿だ、大馬鹿だっ!
それから大きな溜め息をつき、向きを変えて、来た道を戻り始めた。
町に着き、出たときとは逆に窓から宿に入って、元どおり鍵をかけ──。
部屋に戻ると、クレシュが起き上がって寝台に腰かけていた。
「あれ、逃げるんじゃなかったのー?」
逃亡を黙認していたような口ぶりに、ゼノはまたしても失敗した気持ちになったが、諦めて自分の寝台に体を投げだした。
「なんとでも言ってくれ……俺はもう駄目だ……」
「こっちとしては助かるけどー」
「それはどうかな……戻ってきたって、やり遂げられる気がしないんだが」
「まー、それは、やってみないことにはわからないしー」
「本当は、ここで打ち切るのが最善なのかも……。俺は巻き込まれただけだが、おまえさんたちにとっちゃ大事なことなんだろ? やっぱりやめますとか、できませんでしたじゃ、時間の無駄っていうか……かえって悪いような」
「おにーさん、変なとこでまじめだねー。いーんだよ、そんなことー」
そんなことをくよくよ考えるのは、クレシュを失望させたくないからだ──と、ゼノはいまさらながらに気づいた。友情や愛情とは少し違う。だが惹かれている。出会ってこのかた、彼女には振り回されてばかりだが、同時に彼女は自分の中の何かを揺さぶった。格好よくいえば、忘れていた情熱、人生の醍醐味──おそらくそういったものを。そして、彼女とともにいれば、これからも何かが見つかるような気がする。
もちろんそれは、こちらの勝手な願望、ひとりよがりの思い込みだ。
「こんなひどい旅を続けてみたいだなんて、俺もそうとういかれてるよなあ」
「ふふ。勇者のきらめきだねー」
クレシュの言葉は難しいが、わかったような気もした。
勇者という人種は、どこか壊れているものなのかもしれない。焼け死ぬ危険を顧みず、炎に飛び込む虫のように──。
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