にわか勇者と連環の魔王

國村青生

第一部

連環の古城

 月明かりの下、山頂に黒々と浮かぶ石造りの古城。

 城壁にも塔にも蔓や木の根が絡みつき、ひび割れて歪んだその姿は、縛められてもがく巨大な獣のようだ。

 朽ちかけたその城内を、松明を掲げた一人の若い男が、警戒しながら奥へと進んでいた。

 後ろで束ねた銀白色の髪に、北方人特有の白い肌、緑の目。顔立ちは中性的だが、動きやすい革鎧の下の体躯はひきしまり、隙のない所作や腰に帯びた剣のなじみ具合から、歴戦のつわものであることが見てとれる。

 勇者イルマラート──〈連環の祝福〉を賜った者。

 封印された魔王ドム・ナ・パラージャの復活を阻む。それが彼の使命だった。

 草木に侵食された中庭を抜け、砂埃の堆積した居館に足を踏み入れる。

 探索するうち、謁見の間と思われる大広間にたどり着いた。風化した細長い絨毯が、入口から奥へと続いており、最奥に空の玉座がある。その背後の壁面に、魔法円に似た精緻な紋様が、まるで城主の紋章であるかのように大きく描かれていた。

 〈連環の祝福〉と呼ばれる、神から下賜された聖なる印。

 イルマラートは無意識に自分の胸元に手をやった。そこには同じ紋様が刻まれている。

 玉座の後ろにまわりこんで壁に手を触れると、胸の刻印が熱くうずき、呼応するように壁の紋様が赤く輝いた。

 地響きとともに壁が中央から分かれ、ゆっくり左右に開きはじめる。その向こうに、別の部屋が現れる。

 やがてさらけ出された異様な光景に、さしもの勇者も息を呑んだ。

 天井から、壁から、床から──人の腕ほどもある太い蔓が中心に向かって身をくねらせ、絡みあいながら、異形の生き物を縛りあげていた。幾重にも巻きついた部分は融合し、中心部はほとんど一体化している。見えるのは、かろうじて胸から上だけ。それはまるで、巨大な蜘蛛の巣と、そこに捕らえられた獲物のようだった。

 ──これが……魔王ドム・ナ・パラージャ。

 赤黒い岩のような肌。うつむいた頭部は蜥蜴に似て、縦一列に四本の角が生え、薄く開いた口には鋭い牙が並んでいる。絡みついた蔓の間から見える上体は、筋肉の発達した男の体に近い。

 と、それが身じろぎし、侵入者に気づいたのか頭をもたげた。

 うつろな二つの目。白目部分のない獣じみた黒い目は濁り、生気も知性も、何の感情も見て取れない。

 近づこうとすると唸り声を上げ、次の瞬間、狂ったように暴れだした。

 絡みついた蔓を引きちぎらんばかりに身をよじり、首を振り立て、咆哮し、口から泡を吹きながら牙を打ち鳴らす。魔王というより、まるで狂犬だ。

 ──復活が始まろうとしているのか。

 ふたたび封印するには、聖なる短剣で胸を刺さなければならない。

 イルマラートは、松明を壁の燭台に挿し、用意していた短剣を握りしめた。

 一気に間合いを詰め、異形の胸に突き立てる。

「……っ!」

 胸の刻印が焼けるように痛み、刺した相手の胸に同じ刻印が浮かび上がるのが見えた。

 ──まさか。

 疑念が形をなすより早く、異形は断末魔の叫びを上げて塵と化し、四散した。

 同時にイルマラートは何かに足をとられ、無様に倒れこんだ。

 その腕に、足に、体に、伸びてきた太い蔓が絡みつき、圧倒的な力で宙に吊り上げる。

 なんとか抜け出そうともがいたが、蔓は鋼の枷のように硬く、びくともしない。抵抗らしい抵抗もできないまま、がんじがらめにされ、身動きひとつできなくなってしまう。

 刻印の痛みが全身に広がり、声を上げようとして体の異変に気づいた。

 きしみながら骨が歪み、皮膚を白い鱗が覆いはじめる。口吻が突き出すとともに歯が尖り、額からは二本の角が生え、手足の爪が鉤爪に変わった。体も手足も変形し、負荷に耐え切れず革鎧が裂けた。喉から出る声は、もはや人のそれではない。

 耐えがたい苦痛。恐怖。屈辱と怒り。

 絶望の淵に落とされながら、イルマラートは残酷なからくりを悟った。

 ──はめられた。

 扉が音を立てて閉まり、松明の炎が消えた。

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