優しさに溺れて死ぬ前に
籾ヶ谷榴萩
第1話 餌やり
「ユキくんまたお昼ご飯焼きそばパン一個なの?」
「別に何だっていいでしょ」
「よくないよ、でっかいんだからさぁ。ほら、あーん」
半ば無理やり彼の口に卵焼きをぶち込む。一口大よりも少し大きかったからか、無言で頬を膨らませながら咀嚼する様子を見て、子供みたいだなぁなんて思う。まあおれも子供だけれど。
「おいしい?」
「うん」
「よかった。母さんも喜ぶよ」
この間もうちで夕飯を食べてもらった。自分の子供においしいと思ってもらえるのが一番だけれども、それでも他の家の子にもおいしいと言ってもらえるのも、自信がつくと母さんが笑っていた。
「そうだ、ユキくんまたうちに夕飯食べに来なよ。どうせ帰ったところでコンビニ飯なんだろ?」
「悪いだろ、食べるのにもお金かかるんだし」
「気にしないで、どうせ姉ちゃん彼氏の家で食べてくるくせに連絡よこさないからさ。余っちゃうより食べてもらったほうがいいよ」
・・・・・・
最初は、ただの体育サボり仲間だった。皆がグラウンドでサッカーをやっている声を聞きながら、持病で動き回れないおれと、洗濯を回せていないだとか、殴られた跡がある、だとかそんな理由で体育をサボるユキくん。うちの学校は、体育を休むときは基本図書室で自習することになっていて、最初は本を枕にして寝ている彼を罰当たりだなぁという目で見ていた。けれど、あまりにもスヤスヤと気持ちよさそうに寝ているものだから、起こすのもどんどん申し訳なくなってきて、最近はおれの全く使っていない体操着がパンパンに入った袋を枕代わりに使わせている。
(今日も随分とよく寝てるなぁ)
本音を言えば、もうちょっとこっちに構ってほしい。どうやら彼にとっておれは眼中にないらしく、確かに声をかけるのは何時もおれの方だった。だけど、別に嫌われているわけでもないらしく、ただただ他人に興味がないだけなのだと思う。ハーフだってのは本当なのか、それなら名前が日本人なのはどうしてかとか色々聞いてみたいことはあるのだけれど、流石にまだそこまで仲良くなっていないので聞くのも気が引けるのだ。でも、二人きりで45分間過ごさなくてはいけないので、ひとことも喋らないというのもなかなかに気まずい。
「なんでオレに構うの」
「……だっておれたちしかいないじゃん。話さないのも気まずくない?」
「……去年のクラスじゃそんな人、いなかったけど」
「そうなの?」
「というか、オレと一緒にいないほうがいい。汚いし」
「どこが?ユキくん綺麗じゃん」
金色の少しツンツンとした硬そうな髪と、宝石のようにきれいなマゼンタ色の瞳。目鼻立ちもくっきりしていて、子供特有の細さもあいまってまるでドールかなにかのようだ。
「……昨日風呂はいれなかったから。汚い」
「そんな日もあるよ。おれもそう。入院してると三日に一度くらいしか入れないし、夜中にゲロ吐いてそのまま疲れて寝ちゃうときもあるし。嫌だよね、ベタベタして」
まあ、病院の中だと相当熱でも出さない限り汗をかくこともないから、そこまで気にすることでもないんだろうけれど。
「家に帰ってきて、母さんと湯船浸かってるときが一番いい風呂だな……あ」
思わずまだ母親と二人で風呂に入っていることを滑らせてしまった。小6にもなって?と笑われるだろうか。別に毎日じゃないのだけれど、体調が悪いときは心配して親が勝手についてくるのだが。
「?」
「な、なんでもない……」
聞こえていなかったのかなんなのか、気にもとめていなさそうだったのではぐらかす。多分彼は本当に気にしていないのだろうが、頭の中で末っ子男児だから甘やかされているんだ、とか持病もちだからなんだ、という言葉が反響する。
「……まあ、それならいいんだけど。公園のトイレで体は拭いてきたんだけどさ」
「風邪ひいちゃうよ?」
「別に、病気したことないから」
「丈夫なのは羨ましいけどさ〜……」
なんともまあ自分でも彼とは随分と対称的だと思う。丈夫なユキくんと、弱っちいおれ。親が過保護なおれと、これっぽっちも構ってくれないユキくん。
「もーちょっとさぁ。自分のことを大事にしなさいっていうか、そのさぁ。うーん……」
そんなことを言われても困る、というのがおれの本音なのでこれを人にいってもいいものかと思うが、どうにもおれが彼にかけられる言葉はこれくらいしかない。
自分の場合は自分よりも親がおれのことを随分と大切にしてくれている、と思う。なんならおれが申し訳なくなるくらいだ。子供なんだから、自分たちが産んだんだから、多分そんなことを考えていると思うのだけれど、そんな責任を取るほどのことでもないというか、親と子なんて言ったって結局は他人でいつかはおれもこの家を出るのだ。もちろん法的責任とかもあるのだろうけれど、それにしてもおれに親の愛情は少々重たかった。これを素直に伝えてしまうと、今度は育て方を間違えた?と親が不安になる。違うんだよ、これはおれの問題で、母さんに何かを求めてるわけじゃないんだ。だから、しっかりしなきゃと子供っぽいことはやめようと自制するのだけれど、それに親はまるで気がついていなくて、偶に茶化してくるくらいで。まるで、何もできないと言われているような、けれどそれは半分事実のような。
「うーん」
できることなら、おれの親の愛情をユキくんの親に移植したいくらいだ。
「なんでオレのことでお前が悩むの」
「ユキくんが自分のことで悩まないから!おれが代わりに悩んでるんだろ?」
当の本人はこれなので本当に悩ましい。おれに言われたくはないだろうけど、そんな痩せっぽちの腕でどうするつもりなのだろうか彼は。このままだとせっかく健康なのにおれより先に死んでしまいそうでこわいのだ。
「……だって、オレにとってこれが当たり前だし。悩んだってどうしようもないし」
そうだ。これは彼の家庭の問題で、おれがどうこうできる問題じゃない。
「それに、三年の時の担任の先生……いろいろ動いてくれたんだけどね。結局ダメだった、なんならうちのお母さん暴れて……怪我して」
「え」
「自分の親がおかしいってのは、先生の態度みてれば何となくわかった。だけど……オレのために誰かが怪我をする方がオレはいや。母さんが悪い人ってのはちょっとわかったけど、別に優しいところだってあるよ。大丈夫だから」
「大丈夫、大丈夫って……でもさぁ、ご飯食べさせてもらってないんでしょ?食べなきゃ死んじゃうし」
おれからしたら、自分で子供を産んでおいて特段貧乏とかでもないのにご飯を食べさせないなんて親失格だろうと言いたくなるのだけれど、それはおれがそういう親のもとで生まれなかったからだ。彼の親は、その人しかいない。
「死なないよ」
「ユキくんが死ななくても、おれがユキくんのこと心配するのが嫌なの」
「……」
彼は何を言っているんだ?と言いたげな顔でこっちをみてくる。彼からしたら余計なことを言ってるのかもしれない。それでも、やっぱり不安になるものは不安になるし、おれはその不安を取り除きたい。ただのクラスメイトだけれど、それでも視界に入ってしまったものを不安になりながらみているだけは嫌だ。
「心配されるのが嫌だってのも、ちょっとおれにもあるけれど……昨日何食べた?」
「おにぎり」
「それだけ?」
「しゃけの」
「いや具材は聞いてないから」
姉と比べて少食だと言われるおれですら毎日お茶碗一杯と汁物とおかず一品は確実に食べているというのに彼と言ったら何だ。少ないとかそんな問題じゃない。というかそれしか食べてないというのにこの身長の差はなんだというのだ。彼の方が誕生日だって遅いというのにおれよりだいぶ身長が高い。
「明日、給食お休みでお弁当だけどさ、ユキくん食べるものあるの?」
「……わかんない」
「わかんないって」
「母さんがお金くれたら食べれる。今のところくれなかったってことは一度もないから、多分……大丈夫」
「多分って、てか作ってくれないの?」
「母さんにご飯作ってもらったの……覚えてないくらい、前が最後」
「え?毎日、何食べてるの」
「コンビニで、おにぎり買ってる」
道理でさっきから話が噛み合わないわけだ。作ってもらえるのが当たり前なおれと、彼とじゃ前提条件が違う。
「……明日、おれ二人分弁当持ってくるから食べて」
「いや、それは、悪いって」
「いいの。嫌いなものある?多分卵焼きと、きんぴらとミートボール。ふりかけは鮭わかめ。食べれる?」
「……好き嫌いはあんまりないと思う、多分。というか」
「遠慮しないで。こんなんたったの200円程度だし。それで一回お腹いっぱいになるなら安いものだろ」
「……」
多分彼は金銭面的なことを気にしているのだろう。けれど、そんな200円程度、おれがおやつを食べるのを何回か我慢すればいいだけの話だ。それなら、彼の胃袋になにか入った方がいい。有意義だ。
「余計なお世話だろうけど、これはユキくんがおれを心配させてるからっていう迷惑料だと思って」
「いや迷惑料って」
「勝手に迷惑に思って勝手に世話焼いてるだけだから。ユキくんがごはん一切食べたくないですっていうなら拒否してもいいけど、別にそういうわけじゃないでしょ。貰えるものは貰っておけって」
「……」
多分彼からしたら人からものを受け取りたくない理由でもあるのだろう。まあ、気持ちはわかる。小学生なんて物の貸し借りでもすぐ問題を起こす生き物だから、できることなら貸し借りも譲渡にも関わらないのが無難だ。おれもできることならやりたくない。
「わかった……一回だけだよ」
「だめ。ユキくんのお母さんがちゃんとお金出してくれるようになるまで」
「…………ん……」
彼が困るようなことを言っている自覚はある。それに、下手に手を出していい問題でもないこともまあ分かっている。けれど、それよりも、あの白い壁を一度も見たことがないような子を易々と見殺しにしたくなかった。生きるか死ぬか、なんて思いはおれだけがすればいい。
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