夜行図書館(退館)
翌日のシゴトは、豊中大学文学部の期末試験の解答を回収する内容だった。アルバイトの休憩時間を使い、変装して持ち前のステルス能力を活かしてあっさりシゴトを達成する。
大学を出て、大通りに停まっていたタクシーに乗り込む。初老の運転手ーーブローカーが半身になって手を出してきた。当然、彼も変装している。本当の顔は知らない。
千鳥は解凍の入った茶封筒をブローカーに渡す。彼は中身を確かめながら話しかけてきた。
「最近、シゴト人やらブローカーやらヤクザやら、『ご近所さん』が消えちょる」
『ご近所さん』とは、いわゆる裏社会の人々の隠語だ。
千鳥はブローカーの横顔に注視する。
「消えてるって、存在がですか」
「そうっちゃ。どうも化物がこの街におるらしいなぁ。でなけりゃ、オメェみたいな三流にシゴトを回さんよ」
さらっと失礼なことを言われたが、同時に最近シゴトが好調だった理由も発覚する。
「化物って、腕の立つ殺し屋という意味の?それとも最近流行りのクレーターマン?」
「何を言いよるんか。化物といったら化物よ。人間に化けちょるが、見た目で化物と分かるけ。そうは言うても奴さん、獲物以外の人間には見えんらしい。オメェは大丈夫やろうけど、一応気ぃつけぇな」
『ご近所さん』が化物に消されている。化物は明らかに人間ではない存在である。
最近23時によく会う紳士は、本当にフクロウの被り物をしているだけなのだろうか。
ブローカーと別れ、アパートで休息を取ってから23時に公園へ行った。定位置に停まる特殊車両を見て、前提の不審点に今更気づく。
「……そもそもこの公園、自動車入れないじゃんか」
今までで最も夜行図書館に近づきたくない心境だった。だが、借りた本を返さなかったときのことを考えると、行かないわけにはいかなかった。
トランクから車内の一本道を覗く。当然、他の客はいない。今までも千鳥だけだった。
今日の本棚は、ホラー小説ばかりだった。ブローカーから話を聞いた後に「化物なんてホラーっぽいな」と考えたが、獲物の興味を引きつけるためにセッティングする能力を備えているのだろうか。
トン、と肩を優しく叩かれた。「うぉぅぅうぅ」とまたもや奇声を上げてしまう。振り返ると、フクロウ面の男がいた。
「こんばんは。今日もありがとうございます。本棚はご覧になりましたか?」
「え、ええ。はい。見ましたよ。ホラーものばっかりで、ちょうど読みたかったんです」
「それは何よりでございます。ただ、今日は私からオススメもご紹介したいのです」
初めてのパターンだった。相手の流れに飲み込まれるのはまずいと考えた千鳥は、「その前に!」と烏丸を手で制する。
「確認させてほしいことがあります。聞いてもらえますか?」
「ええ。何でございましょう」
千鳥は一瞬だけ言葉を詰まらせたが、勢いに任せることにした。
「烏丸さんにとって私は、ただの客ですか?それとも、獲物ですか?」
烏丸の表情に変化はない。ただ、千鳥は彼から後ずさった。彼から放たれる雰囲気に、若干の獣臭が混じった気がしたからだ。
やがて、烏丸の嘴が開閉する。
「フクロウの主食をご存知でしょうか。ネズミやモグラ、昆虫類を食します」
急に何を言い出したのか、と千鳥は訝しげに目を細める。烏丸は言葉を続けた。
「先日、夜行図書館は利益を出しているのかと聞かれました。私は家族を養うための大切な仕事とお答えしました。養うとは、生活させること。生活させるとは、食うこと」
千鳥はふと視線を僅かに落とした。烏丸の両手は、普段白手に覆われている。だが、今は爪先が鋭利に伸び、白手を突き破っていた。
「実は、私の話と被っているのです。オススメしたい物は、こちらです」
烏丸は人を簡単に突き刺せそうな細長い爪で、スーツの内側から数枚の原稿用紙を取り出した。それを千鳥に差し出す。
「この仕事には、私の趣味も3割含まれていると申し上げました。つまり、こちらです。私が千鳥さんの物語を原稿用紙に書かせていただきます。しかし、それにはインクが必要です」
千鳥は、巷で噂の化物から目を離せなかった。フクロウの目は血走り、スーツを突き破って大きな翼が背中から伸びていた。
「社会活動の裏側でコソコソと動き回るネズミが、息子と妻の好物でございます。ついでにその血を使って、物語を書いて差し上げましょう。きっと今の千鳥さんよりも素敵な千鳥さんが書けますので」
フクロウを突き飛ばし、千鳥は駆け出す。後ろは振り返らなかった。とにかく出口を目指す。
公園を抜ける直前、腹部に熱い痛みを感じる。手を当てると、ドロリとした感触と耐え難い痛覚が生じた。フクロウの爪が刺さったのだ。
化物の淡々とした声が脳に直接響く。
「息をするように窃盗を繰り返すドブネズミは、私も好物でございます」
必死に走った。後ろからの気配はよく分からない。だが、走り続けている限り、生を実感できた。
フクロウは夜行性だ。もし、フクロウから逃れられるとしたら、陽が上がるまで逃げ続けなければならない。
考えるまでもなかった。たとえ現実は借金まみれで、クズの代名詞のような生き方をしていたとしても、フクロウの家族に喰われるよりはずっとマシだった。
*****
「……結局、オメェは根性で走り続けたんか。世の中、こういうクズが無駄に図太く生き延びるっちゃけん、理不尽よな」
ブローカーがタクシーの車内で苦笑いする。千鳥は後方座席から、入院していた病院を見上げた。
フクロウが正体を現した夜、どうにか逃げきった。千鳥は背もたれにゆっくりと寄りかかる。
「あのフクロウ、やけに大柄だと思ったらスーツの内側に翼を収納してたんですよ。飛んで追っかけてきたじゃんか。脇腹に右肩、右腕を刺されて、背中を引っ掻かれて入院代はまた借金……臓器売った方が早いじゃんか」
「生きても死んでもゲームオーバーたぁ、ご愁傷様なこっちゃ。どうすんよ、これから」
「選択肢はもう限られてるじゃないですか」
千鳥はiPhoneの地図アプリを開き、検索フォームに『ハローワーク』と打ち込む。指定した場所が呆気なく表示され、ブローカーに示した。
小さな一歩をコツコツと積み上げて、清算するしかない。借金取りには今後も睨まれ蹴られ脅される日々だが、少なくとも人喰いフクロウよりは怖くないだろう。
千鳥は「その前に」と慌てて地図アプリに別の単語を入力した。ブローカーに見せると、彼は悪戯っぽく笑う。
「図書館ね。フクロウに捕まるなよ」
「市の図書館だから大丈夫に決まってるじゃんか。久々に読んだら思った以上に面白かったんですよ、本」
タクシーが、病院のロータリーを軽やかに出発する。
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