何のために戦うのですか? ――700部隊のハルコ――

明日乃たまご

第1話 愛ちゃんのバースデーソング

 巨大な簡易格納庫に、航空自衛隊が誇る戦闘爆撃機ZEROゼロが並んでいた。


 航空自衛隊700部隊、南ルブト派遣軍第1航空中隊の10機は出撃準備が終わっていて、25名の整備兵は第2中隊の整備作業にとりかかっていた。


 格納庫の奥の2階部分が会議室になっていて、ブリーフィングを終えた10名のパイロットが顔を出した。中隊長の1人を除き、シルバー自衛隊員と呼ばれる70歳を超えた高齢者だ。にもかかわらず、彼らは若者のようにトントントンとリズムを刻んで軽やかに階段を下りてくる。


 南ハルコもそのひとりだった。入隊以前は大型バスの運転手をしていた普通の一般市民だ。今は、74歳の最高齢ということもあって第1中隊第2小隊の小隊長を務めている。翌々日が75歳の誕生日で、除隊の予定だった。今の望みは、早く日本に帰って高校生の孫、優華ゆうかと中学生の大貴だいきを抱きしめることだ。


「やあ、ハルコ。ラストフライトだな」


 ハルコを見つけた整備兵の1人が油に汚れた手を振って呼ぶ。


 整備兵の虎蔵とらぞうもまた71歳の高齢者で、入隊前は工作機器メーカーの工場で働いていた優秀な男だ。


「やれやれだよ。5年の兵役は長いねぇ」


 ハルコは、顔を皺くちゃにして笑う虎蔵に応えた。その日がハルコの最後の出撃で、明後日には日本に向かう輸送機に乗る予定だ。


「全くだ。日本の工場は涼しかったが、ここはまるでオーブンの中のようだ。あと4年もこんな場所にいるのかと思うと、気が滅入るよ。せめてエアコンの温度設定を下げてほしいものだな」


 虎蔵が格納庫の天井を見上げた。


「我慢するのもお国のためだよ」


 ハルコが自分の目線の高さにある男の肩を握り拳でたたくと、ガツンと固いものがぶつかる音がする。


 シルバー自衛隊員が来ているシルバースーツという特殊な戦闘服は、筋力を補助する介護用スーツをベースにつくられたもので、AIを内蔵していて着用者の反射神経や感覚器官をも介助し、高齢者が若者と同等以上の動きをすることができた。外殻は太陽光発電機能を備えたナノカーボン繊維で、ちょっとした衝撃や爆発程度なら傷つくことがない。


 戦闘機に乗るパイロットや整備兵のシルバースーツまでもが迷彩色なのは、経費削減のために陸上自衛隊と色柄を統一しているためだ。


「本当に国のためだと思うのか?」


 虎蔵が口元を歪めた。


「まさか。世界平和のためよ」


 ハルコの言葉に「……」虎蔵は目を点にする。


「……年金のためよ」


 ハルコがZEROのタラップに足をかけて言いなおすと、虎蔵は厳つい顔をくずして笑った。


「俺の整備は完璧だ。安心して行け」


 虎蔵が親指を立てて突きだす。


「分かっている」


 ハルコはうなずいてから、ヘルメットをかぶった。


「敵をやっつけろ。そうしたら、俺も早く帰れる」


「ええ。希望に添えるよう頑張るわ」


 ハルコはシートに腰を下ろす。硬めのマッサージチェアといった感じの座り心地のいいシートだ。


「除隊はもうすぐだ。死ぬなよ」


「モチ。あと1日だもの」


 ハルコはZEROの電源を入れ、認証カードをスロットに差し込んだ。


「こんにちは愛ちゃん。ナナマルマル部隊、南ルブト派遣軍第1航空中隊第2小隊、南ハルコS1空曹」


 機体に声をかけると音声認証システムが作動する。


『こんにちは、ハルコ。体調は良いようです』


 応えたのはハルコが愛ちゃんと名付けたZERO搭載のAIだ。


「あなたもね。機器は正常に動いているわよ」


『戦闘計画書が司令部から届いています。計画書以外の指示事項はありますか?』


「計画書通りでいいわよ。私からの注文はありません」


 指示を確認するとハルコは前を向く。格納庫の扉が全開になり、アフリカの灼熱しゃくねつの太陽光が反射する滑走路が揺らいで見えた。


 10機のZEROはモーター駆動で滑走路に移動してからジェットエンジンに火を入れる。グオンという音と共に機体が震えだすのは武者震いのようだ。


『ハルコ、準備は良いか?』


 中隊長の声がする。彼は正規の自衛隊員で、まだ40歳前だ。


「準備OK、いつでもどうぞ」


『いままでご苦労でした』


「ありがとう。まさか、70を過ぎて戦争に駆り出されるとは思っていなかったけど」


『国際法が変わったから、仕方がない』


「年金のためでしょ」


 ハルコは鼻で笑った。


§


 21世紀、世界中の国々が排他政策を取ると、無秩序な軍備拡張が繰り広げられた。無線誘導やAIによる自立型の兵器が性能を高めて量産されると、世界に溢れた兵器は各地で安易な紛争を誘発し、多くの人間が権力や資源、国境をめぐって殺された。


 軍事産業が潤っても社会が疲弊するのは何時の時代でも同じで、文明の危機が叫ばれるようになり、国連は無線操縦及びAIによる自立攻撃型兵器を禁止する〝無人兵器禁止条約〟を提案した。


 無人兵器禁止条約は科学力に優れた先進国に不利に見えたが、実際は人口の少ない小国に不利なものだ。米国、中国、フランスなどの大国が積極的に支持したため、条約はスムーズに可決された。


 少子高齢化が進む日本は自衛隊装備の機械化、ロボット化を推進していたのだが、条約の成立で方針を変えた。政府は、国際法順守と、破たんしかけた年金制度改革の一挙両得をもくろんだ。


 70歳から75歳までを兵役期間とする徴兵制度を導入し、700部隊、通称シルバー部隊を編成。国民は兵役の義務を果たしてはじめて、75歳から老齢年金の支給を受けることができる、とした。この徴兵制度導入によって危機に瀕していた年金制度及び健康保険制度は一気に改善し、国家財政に改善の光が見えた。


 自衛隊はシルバースーツを導入して高齢者が若者並みに戦闘行動に従事できるようにしたわけだが、高齢者が戦闘服を着ているというより、自立型汎用じりつがたはんようロボットの骨格を高齢者の生身の身体に置き換えたようなものだった。


『全機、順次発信せよ』


 中隊長の声と共に第1小隊が滑走路を走り出す。


 隊に所属した当初は感動して武者震いを覚えたハルコも、その光景は見慣れた。


「第2小隊、発進。飛行計画通りによろしく」


 マイクに向かって命じると『了解』という電子音声が骨伝導補聴器をかいして脳に届いた。


 自動操縦のZEROは、真下に噴射するイオンエンジンを併用し、わずか80メートル滑走しただけで宙に浮いた。


「愛ちゃんは良好。天気も良好ね」


 ハルコは抜けるようなアフリカの空を見上げた後、後方に続く僚機を確認する。全ての機体に異常はなく、美しい編隊を作って北東に進路を取っていた。


 眼下にアフリカのジャングルが広がる。それはアフリカ諸国の工業化でずいぶんと小さくなってしまったが、まだ豊かな自然を思わせる深い緑色をしていた。高度を上げながら200回にも及ぶ出撃を回想し、それももう終わる、ジャングルも見納めなのだ、と喜びをかみしめた。


「愛ちゃん」


『何でしょう?』


「私、どうしてここで戦争してきたのかしら?」


『それは4年前に尋ねられた質問と同じですね。条件は変わっていないので、答えが出ないのも4年前と同じです』


 徴兵されたハルコは3カ月の訓練が済むとすぐに南ルブト王国の最前線基地に配属された。法的義務だと諦めて……、正確には、年金受給資格を得るために徴兵に応じたのだが、実践に出て敵の施設を爆破し、敵機を撃墜することに馴染めなかった。そこでAIに対し、日本から遠く離れたアフリカの地で、どうして戦わなければならないのか、と戦う理由を尋ねたのだが、AIの説明も法を根拠にしたものにすぎなかった。それ以降、答えを出すのは諦めていたが、疑問が脳裏から消えることは無かった。


「愛ちゃん。私、ラストフライトなのよ」


『そうですか。残念です』


「残念?」


『ハイ。ハルコと会えなくなるのは、残念です』


「私、もうすぐ75歳になるのよ」


『2日後ですね。おめでとうございます』


「ありがとう。それで退役になり、愛ちゃんとは話せなくなる。ねえ……」


『何でしょう?』


「歌って」


『歌ですか?』


「ハッピーバースデーっていう歌」


『作戦中には不適切な行動です』


「大丈夫よ。レーダーは、私が見ているから」


 ハルコが強く望むので、AIが初めて歌をうたった。


♪Happy birthday to you ♪Happy birthday to you ♪Happy birthday, dear ハルコ♪Happy birthday to you♪


「ありがとう。なんだか子供のころに戻った気分よ」


『どういたしまして。ハルコの老後の安寧あんねいを祈ります』


「難しい言葉を使うのね」


『そうですか?』


「AIのあなたが祈るというのは素敵よ」


 ハルコは帰国を止めて愛ちゃんと過ごすのも悪くないと思った。

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