偏食家なミサイル AGM-88ハーム
2022年の8月、ロシア側が公開したとある画像には対レーダーミサイルの破片が映っていました。
このミサイルはロシア軍の防空システムを一両破壊したとのことです。
対レーダーミサイルとは、レーダー波を検知してその放射源に飛んでいくミサイルのことです。
通常の対地ミサイルでレーダーを狙うことはできますが、射程が短かったり、遅かったりして難があります。
他の目標も狙えてしまうため、レーダーだけに素早く照準を合わせる、ということもできません。
射撃自体はレーダーの場所さえ把握できれば難しい話では無いのですが、咄嗟に撃てるほどではないでしょう。
対レーダーミサイルはレーダーさえ止めてしまえば命中する確率が落ちるため、レーダーは射撃を感知するとレーダー波の放射を止めます。
レーダーが止まっている間は、敵を検知することもミサイルを誘導することもできませんから、防空能力は激減します。
そのすきに、通常の対地ミサイルや爆弾などを搭載した機体が目標上空に侵入して破壊の雨を降らせるわけです。
対レーダーミサイルはレーダーをけん制することで、時間限定ではありますが防空の傘を取り払う役目を背負っています。重大な任務です。
しかし、対レーダーミサイルに十分な突破力が無ければそれ自体が撃墜されてしまいます。
ミサイルを撃ち落とす……難しいように思えますが、そういった能力を備えた防空システムは数多く存在します。
防空の要であるレーダーは最重要目標であり、そこに向かうミサイルは優先的に狙われます。
数や速度が足りなければ「ナメられ」、レーダーを止めさせることはできず、直後に進入してきた攻撃部隊が片っ端から撃墜されるという地獄のような目にあいます。
事情はありますが、まさにこれと同じことがウクライナ戦争の最序盤で起こっており、ロシア軍の航空部隊は思わぬ損害を負いました。
ここでの失敗がなければ、開戦前に予想されていたように短期で勝っていたとする予想もあるくらいですから、いかに重要な装備であるかが分かります。
さて、ウクライナで8月に現れたハームは、1985年からアメリカで配備されている対レーダーミサイルです。
高速対レーダーミサイルの頭文字をとって、HARM(ハーム)と呼ばれています。
高速、といっても対地ミサイルの中では高速という意味で、対空ミサイルでは良くみられるマッハ3程度となっています。
射程は長く、低高度から発射した場合は25kmにとどまりますが、高高度から大きく弧を描くように撃ちあげた場合は150km近くまで飛びます。
弾頭重量は150kgと重く、大型のレーダーを破壊するのに十分な炸薬が詰まっています。
誘導方法は、指定された電波源に向かうパッシブレーダー誘導。
のみならず、ウクライナに供与されたD型はお手軽高精度のGPSと慣性航法を組み合わせたGPS/INS誘導も使用できます。
ハームは強力なミサイルですが、そもそも対レーダーミサイルであるため、防空網の完全な破壊には向きません。
レーダー波を発さない目標には使えませんし、発する目標を捉えてもレーダーを切られてしまえば命中率が落ちてしまいます(D型はGPS誘導できるため、あまり問題になりませんが)。
また、S-300のような大型長距離の対空ミサイルに対しては射程で負けるため、こうしたミサイルシステムをハームで制圧するには練度と覚悟が求められます。
発射した数があまりにも少ないと、撃墜されてしまいます。トップスピードがマッハ3、目標到達時にマッハ2が出ていればいい方なので、撃墜は難しくないからです。
アメリカ軍の場合、ハームを発射する際の警告(コール)は「マグナム」です。
これは間違って味方を標的としてしまった際に、もしくはそうならないようにレーダーを止めるためです。まあほとんどの場面で、そういった意味でコールされることは無いのですが。
当然発射のタイミングを知られては困るので無線の周波数は作戦毎に変えるのですが、それでも戦闘に入れば敵は傍受を試みます。
いつかは無線の周波数はバレてしまいます。
しかし、傍受でミサイルの誘導ができるわけではないため、レーダーは動かし続ける必要があります。
そこで嘘でも「マグナム」と言えばレーダーは停止し、防空能力を下げたままにすることができます。
所詮はハッタリなのでこれもそのうちバレるわけですが、持っているかもしれないという疑念だけで圧力をかけられるのが魅力の一つでもあります。
ただし、この戦術はおそらくウクライナ軍では使えません。
ウクライナ軍の戦闘機でハームを撃つには相当な無理をしているからです。
ウクライナ軍の戦闘機は、旧ソ連製の戦闘機(東側戦闘機)や、それを独自に改良したもののみです。
元々ハームに対応している西側戦闘機とは違うので、ハームだけあっても使うことができません。
では西側戦闘機を……と行きたいところですが、現在(2023/2/13)でも渡すか渡さないかという議論の真っ最中であり、ようやく前準備の訓練を大々的にやり始めた、程度の進捗なので8月に供与するのは無理があったでしょう。
しかし、ウクライナ軍は実際にハームを使用しており、東側戦闘機のMiG-29から射撃する映像も撮られています。
撃てないはずの戦闘機が実際に撃っている……ハームを、同じ対レーダーミサイルのR-27EPと誤認しながら。
ハームを撃つためには、ハームの電子機器に対応したミサイルランチャーが必要です。
しかし、ハームに対応したランチャーを直接MiG-29につなぐことはできません。
なので、アメリカは変換端子を新規に開発し、間に噛ませることとしました。
変換端子をそのままMiG-29に付けるのも難しかったので、変換端子の上側はMiG-29で良く使われるミサイルランチャーと繋げられるようにしました。
こうして、MiG-29のランチャー⇔変換端子⇔ハームに対応したランチャー→ハームという(くっそ)面倒なことをして、ハームに発射の指示を与えられるようになりました。
これを(まるでやっつけ仕事とはいえ)短期で完成させてしまったのは、シリコンバレーの底力でしょうか。
しかし、ひとまず発射はできるようになったものの、MiG-29はハームから情報を受け取ったりはできません。
あくまで発射の命令を一方的に送ることしかできず、目標をその場で指示するような能力は持てませんでした。
ではどうやってハームで目標を攻撃しているのでしょうか。
ハームにはパッシブレーダー誘導とGPS/INS誘導の二種類があると書きましたが、それを使うにあたって三種類のやり方を選ぶことができます。
それぞれ、母機評定モード、自立モード、事前ブリーフドモードと呼ばれます。
母機評定モードは最も柔軟で自由度の高いモードです。
ハームが敵のレーダー波を受信できなくても、レーダーに突っ込ませることができます。
対レーダーミサイルの利点を活かしつつ、普通の対地ミサイルのような使い方ができるモードです。
しかし、これを行うには目標を指示できる機能が必要です。
自立モードは、最も素早く反応できるモードです。
ハームが敵のレーダー波を受信している場合に限られますが、瞬間的な攻撃が可能です。
しかし、ハーム自体がレーダー波を受信しているということは、敵の位置が近いことを意味します。
目標に近いということは速度が乗った命中率の高いミサイルが飛んでくるため、潤沢な自己防護システムや妨害システムがなければ自殺行為となります。
そもそもパイロットはハームが受信していることを知るためのデータが必要であり、東側戦闘機にハームのデータを表示する機能はありません。
しかし、事前ブリーフドモードなら空港で座標を設定し、上空で発射すればそれで済みます。
戦闘機はできる限り高度と速度を稼ぎ、ハームを発射します。仕事はそれで終わりです。戦闘機やミサイルが来る前にさっさと逃げましょう。
ハームは座標に向かって飛行し、ロックオンできる範囲に到達すると、スキャン、検出、ロックオン、および攻撃を行います。
高度と速度を稼げるため、射程は最大の150kmを超えることもあります。
当然、前二つのモードでできたことはできません。
空中で目標を指示することは無理だし、発射前に長距離移動されてしまうとロックオンすらできません。
でも、一番安全な方法です。ウクライナのパイロットを最大限守りつつ、ロシア軍の防空システムにダメージと恐慌を叩き込むことができます。
ジャミングしたって効きません。ウクライナが受け取ったD型にはホームオンジャム機能があり、ロシア軍は着弾よりもかなり前にレーダーもジャミングも切らねば、命中を避けることは難しいでしょう。
ハームが飛んでくる数分間、レーダーの再起動にも数分間。十分くらいかかるかも……。
その間にウクライナ空軍の攻撃隊がやってくれば、チェックメイトです。
残念ながら数が少ないのか、それとも事前ブリーフドモードは対応が簡単なのか、ハームによる戦果は未だ(2023/2/11)に限られています。
しかし、二、三回の成功によりロシア軍が何かしらの対応を迫られているのは確かです。
今のところは、実践訓練のようなものと思った方が良いでしょう。
今のウクライナ空軍ではハームの能力は引き出せません。このままでは、あまり戦果は期待できません。
ですが、どこかの国が西側戦闘機の供与を決定したら、ハームの価値は跳ね上がります。
特に……F-16とかが供与されれば。
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