8.白雪

耳が凍りつくほどの不気味な閑寂さで支配された鮮血の街は、カラッと晴れた朝方の空とは対照に、陰鬱で血なまぐさい空気を地上に漂わせている。

うっすらと霧が立ち込める街は、森で目を覚ました時の状況と酷似している。

赤や橙のレンガ屋根が連なる景色は徐々に霧でぼやけ、遠くの時計塔の影が朧気に見えたかと思うと、それもすぐに視界から消えていく。

空は晴れているのに、遠くの景色は霧で霞んでいくという不思議な感覚は、幻想的、神秘的とも言えるかもしれない。

しかしそれが幻想的で終われないのは、辺りが重苦しい違和感に包まれているからだ。


寒気。

心臓の鼓動は早く、息は震えているかもしれない。そして口から吐き出された息は白い霞となって広がっていく。

寒い。

緊張と寒さが相まって、自分が鼓動していたことに気付く。

太陽は出ているはずなのに、陽光の温かさを全く感じることが出来ない。もう少し時間が経てば暖かくなるだろうか。


突然の出来事に驚き取り乱してしまったが、人を探してがむしゃらに叫んだり走り回ったりすること数分後、うっかり段差につまづいたところではっと我に返った。

全く恥ずかしい限りだ。

少し落ち着こう。


「.........ふぅ...【ウォーター】」


魔力を多めに使って、大きめのコップを生成し、水を一気に飲み干す。

空になって放り投げたコップは、空中で光の粒子となって消滅する。

また1人になってしまったか。

状況を把握するため、街を探索する事にした。


コツコツと、石畳を歩く音だけが通りに響く。

昨日の大通りの賑わいが、はるか遠く、懐かしいものに思えてくる。

大きな音を立てて走る馬車も、冒険者が歩く事で鳴る鎧の金属同士が擦れ合う音も、人々の話し声や笑い声も一切無い。

隣で張り切った顔をして、ご主人様をお守りしますと言っていたホタルも居ない。

そして俺によく微笑みかけてくれたカナタも.....

何故俺だけが1人残されたのだろうか。

俺はとうとう世界からも見放されてしまったのだろうか。

誰からも必要とされず、世界に孤立し、ついには自分自身を見限ってしまいたくなる。


1人というのは、自身を悪い方向へ際限なく沈ませるには格好のシチュエーションで、偶然ほかの刺激が干渉してくれるまで永遠に否定の底なし沼にハマっていってしまう。

1度ハマったら抜け出せない沼に落ちないように、いつも橋をかけて渡らせてくれていたのがカナタだったのかもしれない。

明るく和やかで、チャーミングな笑顔が素敵で、少し天然な人だった。

静寂に包まれた街の様子は、そんな大切な人を無くした事で空いた俺の心の穴を如実に表しているようだった。




◆◆◆




「すみませーん......って誰も居る訳無いよな。」


腹が減ったので、無人の店に入り込んだ。

がらんとした店内。食料品はもちろん、生活用品や魔道具なども取り揃えているよろづ屋的な印象をもつ店で、見た事無い大きな水晶が入口に置いてあるのが目を引いた。

何か空腹を満たすものでも無いかと奥に入った。

別に物を盗もうとは思っていない。

なにかパンでも見つかれば、それ相応のお金をカウンターに置いて出ていくつもりだった。

あ、でもよく考えたら、お金はホタルに預けていて持ってなかった。事態が収拾したらつけを払いに戻ろうか。


「ん.....?無くなっている...?」


ここには、確かに「パン」と異世界語で書かれた名札がぶら下がっているのだが、食料が並ぶはずの場所を見ると、そこだけぽっかりと物が無くなっていた。

周りを見渡すと、食料が入っていたと見られるカゴは全て空になっていて、雑貨が売られているところも、よく見たらほとんど無くなっていた。

蝋燭やマッチ、消耗品らしき魔道具などは一切置いていなかった。というか無くなっていた。

入口にも元は食料が置いてあったようだが、すっからかんの状態だったので気付かなかった。

一体どういうことだろうか。

街の人全員が、必要な物を持ってどこかに避難したのだろうか。


仕方なく店を出て、【アイス】でソーダ味の氷菓を生成して腹の足しにする。

外側はサクサクとした硬めの氷がコーティングされており、中にザクザクとしたかき氷状の氷が入っているようで、なかなか美味しい。

子供の頃よく食べた懐かしい味がする。

毎回食べ終わって口からだしたアイスの棒に文字がついてないかで一喜一憂するのが楽しかった。

結局当時は当たりが出たことは1度もなかったが。

まさか将来魔力が尽きるまでアイスが食べ放題になるとは思ってもないだろう。


続いて冒険者ギルドに向かった。

もし非常事態で街の人全員が避難しなければならない状況になれば、ギルドの掲示板に何かしらの勧告が出ているはずだと考えたからだ。

そして運が良ければ、この異様な違和感の収拾に当たっている冒険者達に遭遇することが出来るかもしれない。

道中も店に入ってはめぼしい物や情報がないかこっそり物色していたのだが、ほとんどもぬけの殻で、見つかった書面にも、昨日までの通常営業の痕跡をたどることしかできなかった。


「おーい、誰か居ないのか?」


一応呼びかけてみるが、返事がない。

あれだけ賑わい活気で溢れていたギルドも、人が居なくなり静かで暗いと、昨日とは全く違う建物のように見える。


奥に進みギルドの掲示板を眺める。

装備点検のお知らせ.....薬草採取.....ブラッディボアの討伐....ドラゴンの調査.....鮮血山脈の水源調査....

窓から差し込む心細い光の残りを頼りに依頼を読んでみるが、今の状態を説明してくれるようなものはなかった。


無駄足だったかな。

何も手がかりを掴む事が出来なかった。

今分かっているのは、俺以外の人や生き物がぱったりと姿を消したことと、食料や道具も無くなっていること、全く音が聞こえない静寂に包まれた街で、俺だけがが阻害されたように孤立しているということだ。

違和感の正体は全く分からないし、ホタル達の居場所も検討がつかない。

むしろ俺だけがゴーストタウンに閉じ込められているような状態だ。


そうしてギルドを出ようとした時、入口にあった1枚の張り紙が俺の目に止まった。


─時計塔とワインの街、鮮血の街─


張り紙にはそう書かれていて、端には時計塔とワインの挿絵が、申し訳程度に描かれているだけのものだった。


時計塔.....


そうだ時計塔だ。

思い出した。

俺が目を覚ました時、微かだが確かに時計塔の音が聞こえた。

静謐だった街で、思えば最初に、そして最後に聞いた音だ。

ずっと忘れかけていた何かが、隠れて蓋をされていた何かが、一瞬だけ顔を出したような感覚。

間違いない。

時計塔に何かがある。

俺は確信した。

今すぐ時計塔に向かわなければ。


そして俺は白い息を吐きながら、街の中心に向かって走り出した。




◆◆◆




「ハァ、ハァ、ハァ....」


灰色に染まった空。

太陽は完全に隠れてしまい、辺りには雪が降りはじめた。

時々見える時計塔らしきシルエットを頼りに、凍えながら石畳を走る。

軽装で、明らかに雪の降る大地を走るのには適して居ない。異世界に来る前の日本では季節が夏前だったので、厚着をする必要も無かった。

走るのをやめてしまえば、寒くてたまらなくなるかもしれない。

ストラップの加護のおかげで、普段よりも早く走れているような気がする。

もう時計塔しか思い当たるところがないので、ひたすら目的地に向けて走り続ける。


住宅街らしき狭い路地を抜けて、大通りに出た。

すると通りの脇に、川が流れている事に気がついた。

赤い川だった。

川の色は、森で見た時より遥かにどす黒く、気味の悪い色をしていた。

色が失われはじめた街のなかで、唯一目を引くように赤くうごめいている川は、生き物のようにもみえた。

こんな水を好んで飲んでいる街の人間は、頭がイカれているんじゃないか、と思ってしまった。


赤い川と並んで街を走る。

ここに来て本日最初の動く物と遭遇できたのは幸か不幸か、不思議な違和感は増すばかりだが、俺に少量の安堵をもたらしたのは事実だった。

雪はいっそう強くなっていく。

しんしんと音もなく降る雪の様子は夢の中で子羊と一緒にまどろんでいるようで、俺に死を誘惑してくる。


そしてしばらく進んで、時計塔の実像が目視出来る距離まで来たところだった。

広場の街路樹の傍に、黒い人影が見えた。

人だ。

嬉しさのあまり、すぐに大声で話しかける。


「ハァ、ハァ......おい!....誰かいるのか!?」


視界が狭められ、はっきりとしない雪のカーテンの向こう側にいる人影を見つめる。

すると人影はこちらに気づいたようで、ゆっくりと歩いてくる。

1度足を止めて息を整えていた俺も、急いで広場に走っていく。


「よかった...俺以外にも人が....」


そう言いかけて、人影が近付いて来るにも関わらず、地面の雪を踏みしめる音が聞こえてこないのを不思議に感じて立ち止まる。

おかしい。

そしてその直後、左の脇腹に凄まじい衝撃を受けて、吹っ飛ばされた。


「ぐはぁっ!」


建物壁に叩きつけられ、その場へたり込む。

痛い。

出会ってそうそうに攻撃してくるとは....

人影がゆっくりと近づいてくる。

その手には剣のようなものが握られている。

人影が剣を振りかざすと、こちらに赤黒い斬撃が飛んできた。

やばい!


「魔力しy....」


魔力障壁で斬撃を防ごうとしたが遅かった。


「ガッはぁっ!!」


今の斬撃をもろに食らう。

ものすごい衝撃だ。

腹にバットで殴られたような痛み。

壁にめり込み、血が滲む。

あいつは一体....


その時一瞬だけ雪が晴れて、人影の姿をしっかりと視認することが出来た。

漆黒の鎧を見に纏い、背中にコウモリの羽が生えている騎士。

体から禍々しいしいオーラを出して、鎧の隙間から除く赤い目でこちらを静かに見据えている。

魔物だ。


そして騎士の背後にも、同じような姿の騎士の集団が整列しているのがみえた。

広場に集まる鎧の集団とは別に、街をゆっくりと歩く漆黒の騎士の姿も何体か見られた。


「ははっ.....これは全く.....積みの積みだな....」


時計塔までもうすぐだという所で、めちゃくちゃ強そうな漆黒の騎士の集団に敵対された。

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