Immortals~陰モゥの支配者

テラステラス

使命

 プチっと引き抜く。部位にもよるがこの作業はそれなりの痛みを伴う。だがしかし、私には使命があるのだ――。


 普段、どんなに気を使っていても部屋は汚れてしまう。外へ出れば当然、雨や泥や砂など様々な要因で汚れる。


 だがしかし!なぜ陰毛は部屋に落ちているのだろう?そう、思ったことはないだろうか?パンツを常に履いているのにもかかわらず陰毛は落ちている。時には玄関に落ちていることだってある。果たして諸君はこの理不尽な現象に納得がいくだろうか?


 もし私が諸君の立場なら納得できない。あまりにも理不尽だ。あの太く縮れた醜いバネはあまりにも目立つ。もし、そのバネが玄関に落ちているのを異性に見られたら、なんていう想像をしただけ全身が震え上がってしまう、そうだろう?


 だがしかし!!諸君らに言っておかなければならないことがある。この神をも呪うほどのこの理不尽を引き起こしているのは他でもないこの私だ。


 諸君らには私の使命のために犠牲になってもらわなければならない。諸君らが被害を被っていることは重々承知している。だがしかし、私は世界の平等のためにこの鬼畜の所業を涙ながら行っていることをどうか理解してほしい。


 私は神を呪う。世界はあまりに理不尽で不平等だ。私をこんな体に、こんな全身陰毛男に生んだ世界に、私は一石をいや、一本を投じる。



 ■




「痛っ。ったく、抜いても抜いても生えてきやがる。陰毛だけにインモータル、なんつってな。ははははは!はぁ〜」


 思わずため息をついてしまった。


 私はこの体にうんざりしていた。思春期を迎えたあたりから全身の体毛は濃くなり始め、気が付いた時には全身を陰毛のような縮れて艶のある毛で覆われていた。


 そのころにはすでに私の苗字に合わせて菊チン毛などという不名誉なあだ名で呼ばれていた。


 菊とチン毛、完全な偶然だが私の苗字である菊池が、菊チン毛というあだ名によって菊門、要するに肛門の毛そして性器の毛を兼ね備えてしまった。思春期の青少年はこの手のくだらないものが大好物なのだ。


 ──要するにこの不名誉なあだ名は飽きられることなくいつまでも続いた。


 学生生活という青春は陰毛とともに風に吹かれてどこか遠くへと飛んで行ってしまった。他の生徒が女性との甘酸っぱい恋、男同士の熱い友情、そして楽しい学校行事、卒業までのカウントダウンをする日々を送る。対して私は、毎日抜けていった陰毛を数えあげるだけの日々を無為に過ごした。


 教室に縮れた毛が落ちていれば全て私の所為になる、女生徒は私が触れたものは泣きながらゴミ箱へと棄てる。虐められていたのかは正直わからない、しかし精神的には常に限界だった。


 高校を卒業後は家にこもってただダラダラと平穏な日常を満喫していた。両親の目が、私をかわいそうなものをみるような目が、私には耐えられずほとんど会話をすることもなく部屋にこもってただただ養われていた。


 冬になれば外出する機会は増える。全身を隠すように服を着込めば私の特異な体質は隠せる。その時だけは気分がよかった。誰も私を菊チン毛と呼ばない、軽蔑の視線も感じない。一生冬ならいいのに、そう思ったことが何度もあった。そして私の人生が変わったのもそんな、ある寒い冬の日だった。


 私はいつも通り厚着をして散歩をしていた。そんなとき不意に後ろから声をかけられた。


「君、落とし物だよ」


 優しい口調。今まで誰かにこんな風に話しかけられたことがなかった。しかも落とし物を拾ってくれるだなんて。


 こんな親切、生まれて初めてだ。そう思いながらにやけそうになる顔をどうにか平然を装いながら振り向いた。


「あ、ありがとうございま…」


 ──チン毛だった。


 私に声をかけた紳士は陰毛を親指と人差し指でつまみながらこちらを向いていた。


 状況を理解するのに時間がかかった。私は服を着こんでいる、体毛を見られたわけではないはずだ。


 そもそも私はこの男のことを知らない。当然、この男は私のことを知らないはずだし、初対面の人間に向かってチン毛をつまみながら落とし物ですよと言うようなおかしな人間には見えない。


 言い表せない不快感が私のこめかみをくすぐった。


「違いますよ」


 この返答であっているのかわからないが、混乱した私の脳にはこれが限界だった。


「いや、君のだ。君のチン毛だ」


 ──チン毛だった、私のチン毛だった。


 この男が言うには彼がつまんでいる毛は私の陰毛らしい。学生時代のつらい思い出が走馬灯のように私の頭を駆け巡った。


 チン毛だ。菊チン毛だ。私は一生菊チン毛だ。


「君、大丈夫かい?」


 紳士の声で私は走馬灯から現実へと引き戻された。


「…は、はい」


「ふむ、君、人生を変えたくないか?」


 この男の声が私には悪魔の囁きに思えた。普通ならこんなマルチ商法のような言葉には耳を傾けない。だがしかし!打ちのめされて粉々になった私の心を天使たちが拾い上げて一生懸命治そうとするような、そんな優しい響きを感じた。


「ど、どうやって」


 私の言葉に頷くと紳士は自分のズボンの中へと手を入れた。そして手をズボンから引き抜くと私のほうへと差し出す。


「こ、これは?」


 差し出された手へと目を向け、私は男にそう尋ねた。


「チン毛だ、私の」


 ──チン毛だった、この男のチン毛だった。


「こ、これをどうすれば」


「飲み込むんだよ」


 男はさも当然のように真顔でそんな事を言う。


「ほら、早くしないと飛んで行ってしまうよ」


 目の前で起こっている意味の分からない状況に混乱していた私に向かって男はそう言った。


 ──あぁ、飛んで行ってしまう、私の青春と同じように。


 そうだ!たかが、陰毛飲み込むだけだ。騙されていてもいい、もしこの悲惨な人生が変わる可能性が少しでもあるなら。


 紳士の持つそれを受け取る。抜きたてほやほやの陰毛だ。醜く縮れ気持ちが悪いほど艶がある。根元には白い皮脂のようなものが付いていて、じっくり見てしまった私は思わず吐き気を催した。


「うっ!」


 飲み込む決心がつかず、紳士のほうをちらりと見る。紳士はあまり興味なさそうにこちらを見ていた。


「くそがっ!!」


 考えたら終わりなのだ。そう、人生の重要な瞬間は突然訪れる。思いもよらないときに。ひらめきは稲妻に打たれるように一瞬で。積み上げてきた努力も歯が立たないほどの強敵を倒すには考えてはならない、自分を信じて、ただ感じるのだ!


 口に入れた陰毛は中々呑み込めず、のどにひかっかった。口に唾液を溜め、それを飲み込むのと同時に陰毛を嚥下した。


「よくやった」


 私が陰毛を飲み込むのを見届けると男は満足そうに頷いた。


「何も変わらないじゃないか。はぁ、やっぱり嘘だったのかよ…」


 飲み込んだ後と前、何も変わった感じはしない。冷静に考えれば当然だ。陰毛を飲んで人生を変える、バカな話だ。こんな男を信じるなんてどうかしてた。


「そう早まるな、まったく」


 落ち込む私に紳士は呆れた様子で語りかける。


「君は今、透過能力を得た」


「透過?」


「そうだ。ほら、この壁を通り抜けてみなさい」


 そう言って男は近くの民家の塀を指さす。


 私は疑いながらも男の言うように塀に手を伸ばす。すると─


「─うわっ!」


 私の手はぬるりと塀を通り抜けた。指の先には塀の中とは違い外の冷たい空気を感じる。おそらく塀の向こう側まで指先が届いたのだろう。


「ふむ、これで君は人様の家に入り放題だ。だがしかし、透明とは違うことは理解したまえ。君の姿は誰にでも見える。当然侵入しているところを見られる。だから注意したまえ」


「すげー!最強じゃん!」


 男の忠告などまったく耳に入ってこなかった。男の言葉に嘘はなく、文字通り私の人生は変わるだろう。今ならなんだってできる、そんな気がしていた。


「しかし、この能力には制約がある」


 突然男は声色を変えて私の目をまっすぐと見る。


「一日一回、他人の家へ侵入しチン毛をばら撒くのだ、そうしなければその能力は失われる」


「チン毛をばら撒く?」


「そうだ。我々は太古よりこの崇高な使命を全うしている」


「我々?」


「ああ、我々インモータルズ、陰の支配者だ」


「なんで、俺なんかに?」


「君ほどこの使命に適した男は存在しない。全身陰毛男、君は選ばれし人間なのだよ」


 私の人生は不幸だった。普通の人間として普通の幸せを渇望していた。だがしかし、この瞬間私は理解した。大いなる力には責任が伴うのだ。普通ではない人間には普通の幸せは訪れない。


 崇高な使命のため私は人生を捧げるのだ。そして私は陰に魅入られる。


「ああ、そうか。そうだったのか。ははははは!今までの人生は序章だったのか。これからなのか俺の人生は!」


「ああ、そうだ。ようこそ、この世界へ。為すべきことを為せ、インモータル!」


 そう言って紳士はどこかへ飛んで行った。


 そう、風に吹かれた陰毛のように。


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