自己言及パレイドリア

許してほしかった


黒くて深い湖にその体を浸してみたかった どこまで行けるのか試してみたかった

底まで沈む覚悟もせずに


愉快な遊びのような生を楽しみたかった


一度きりの遊園地の夕方は目に見えるものすべてが貴重でかけがえのないものだった


夢を求める人間の欲望をもとに得た豊かさの結果 また夢を求める


そこに存在しないものを存在させることがぼくらの本性だった



真理を探究していくことは真理を作り出すことに他ならない そんなことはどうでもいいと笑う少年


「君たちは何もわかっていない」


困った顔の大人はへらへら笑いながら 自分たちの方がものを知っているのを確信している それは確かに正しいのだ


夢の中の存在を言及することはナンセンスなのだ 心の豊かさを表現して見せたとしても その豊かさは受け取れるものではないのだ


人は現実化させることによってしか自らの精神的世界を他者に認めさせることができない 言葉もその一手段であると少年は語った


「では、壊れた世界をそこに映し出したとして、狂った人間がそこに映し出されたとして、そこにあるものはいったい何だろうか」


老人は問うた。少年は話にならないと言ったような顔で手を広げて宙に浮かび上がった。緩やかだが高い山を背に、その背後にある夕日を背に、説いた。


「壊れたものなんて何ひとつない。壊れるのは道具だけであり、人間を壊れると表現するのは、その人間を道具として見ている証拠。生命にあるのは生と死だけ」


「では病気はどうだろうか」


老人の背は曲がっていた。


「病は定義だよ」


少年は老人の背中をさすった。


「それがあなたの現実なんだ」



何もない世界を見渡すと まずはじめに太陽があった


白く何もない空間に足を持った生命がひとつ それがぼくらだった


手はなくとも足はあった 手より先に足があり ものを持つより先に大地を踏みしめた


それより前にあったものは目であり 目より先にあったのは意識だった


なぜ在るのか なぜ在ることがわかるのか


ぼくらは存在しないのに 存在しないはずなのに


「教えてくれよ」


青年が嘆いた


「なんのために生まれたのか なにをすればよいのか やりたいことなんてない 好きなものなんてない すべてがまやかしであるように感じる 一時の夢のようだと思う 生きることは難しい 苦しくてつらくて悲しい それなのになぜよりよい生をみな求めているのか 狂っているのはぼくなのか それとも皆の方なのか 教えてくれ」


答えるものは誰もいなかった 誰も青年を狂っているとは思わなかった 青年の方も 口を閉ざした人々が狂っていないのはよくわかった 導いてくれる人を探していた 見つからなかった


彼の死体が海を漂っている 彼は死んでしまった 死んだ理由を答えるものもいない ただそこにあるのは 存在が終わったのだという証拠だけ 死体は自分が存在していないことを肯定していない 否定もしていない そこには何もない ただ生命の痕跡だけが残る


そこで燃えていた火があった その理由は様々かもしれない あるいはまったくの無かもしれない 

彼に教える者があればよかったのに 生命は火であると 火がなんのためにそこにあるのか 火が何をやりたがるというのか 


火はただ己の在り方に従うだけ 木々を燃やし尽くすこともあれば 凍えた誰かを慰めることもある

火は火の存在だけで成立しない 依り代を必要とする いや すべてのものが火の変容なのかもしれない


火を用いるようになってから 人は自らを用いるようになった 人は唯一 自らが火であることを知る者 だから悩み 苦しみ

その様はまるで 火が火自身を燃やして灰になっていくさまのよう


私は存在していないと証明したがる少女に


暗闇の中を揺らめている一本のろうそくにたとえる


あなたはそれなのだと 私もそれなのだと

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