第4話 旅はまだまだこれから
次の日、私たちは別の場所を探索してみることにした。諦めて都市を去ることも考えたが、昨日の探索で得られたものだけではあまりにも足らない。だが、昨日とは違う。目の前には地上の基盤から少しはみ出るように続く赤茶けた階段。今日は三人で下層へ向かうのだ。
「錆てるよね?」
「うん」
「誰が先にいく?」
「…………軽い私かな」
「いえ、私がいきます。このような時のために私がいるのですから。」
シャノンが颯爽と歩を進める。
「え、ちょっと」
「はい?」
「いや…………ありがと」
「うん…………ありがと」
情けない話だ。このアンドロイドはいつも。だが何かあった時、生存率が一番高いのも確かに彼女だろう。
心配は杞憂だったようで、シャノンはカツカツと軽やかに下層へと降りていった。しばらく経って真下から声がする。
「着きました!一人ずつ降りてきて下さーい!」
階段の手すりは低く、足場の隙間からはくるぶしをなでるように風が吹いてくる。眼下には下層雲海が広がり、標高は想像もつかない。眩暈がする思いで下層の基盤に辿りついた。暗い、それに寒い。地上の基盤が上全体を覆っているから暗いし寒いのは当たり前か。目の前はオフィス街か住宅街だったのだろう、大通りを挟むように巨大なビルが立ち並んでいる。ここでも争いがあったのか、手が届きそうな窓ガラスはほとんど割られている。インフラは生きている場所もありそうで、所々誰もいない道端を照らす街頭は希望の灯のようでもあり、我々を誘い込む邪悪のようにも見える。
「え、寒っ。え、怖っ」
「じゃあ行こうか。」
「あ、ここいくの?最悪。」
彼女は遠足にでも来たつもりだったのだろうか。黄ばんだ光を放つ頼りない懐中電灯片手に大通りを進む。すぐにフローレンスが怖いだの帰れなくなるだのぬかしたが、私たちが進むとついてくるしかないということは最初からわかっていたので無視した。途中で自動ドアをこじ開けてビルに入ってみたりしたが、中は荒れ放題。略奪はとうの昔にされつくしたようだった。ん?なんだあれは。道端にしわしわになった雑誌のようなものが落ちている。拾い上げて見たが、すぐにその安直な行為を後悔する羽目になった。こんないかがわしい雑誌、即刻処分するに限る。そっと端の方に捨てたのだが、フローレンスが目ざとくそれを言及してきた。
「なんでもない。はやく進もう。」
「そんなもったいぶらなくてもいいじゃん。…………うわっうわっ!しっしっ」
彼女は唾と共にブツを吐き捨てている。楽しそうで何よりだ。
「あれ、見て下さい。」
またしばらくして、シャノンが呟くように一方向を指さした。細い路地の奥の角から細い煙が立ち上っている。いや湯気か?なんとも言えない緊張が走り抜ける。すぐに手で静止のサインをフローレンスに送るも次にとるべき行動がわからない。こんなところに誰か住んでいるのか?煙を出しているということは少なくとも隠れるつもりがないということだ。おそらく私たちにも気づいていない。この距離で匂いがしないということは、あれはただの湯気だと考えた方が妥当か。水を手に入れるチャンス。地上の水道は見つけるたびに触ってみたものの、どれ1つとして活きていなかったのだ。
行こう、というサインをシャノンに送ると私たちはここで待機するようにと返事が返ってきた。
私が返事を返す暇もなく、彼女は流れるように暗闇に消えていく。すぐに異常なしのサインがチカチカと点滅した。
暗闇の先にあったのは、こじんまりとした銭湯だった。暖簾は引き裂かれ、入り口のドアはひしゃげているが、ゆらゆらとゆらぐ湯気は健在だ。利用者がいるとでもいうのだろうか。こんな路地裏に……。
示し合わせたように、息を殺して3人同時に暖簾をくぐった。すぐさま灯りと銃口を向けるもそこには瓦礫と埃まみれの受付のみ。ほっとしたのも束の間、鋭い視線が私たちを釘付けにした。誰かの舌打ちと共に一瞬遅れてこちらも視線と銃口を送る。……佇むのは憎たらしいほど金ぴかのままこちらをこまねく招き猫だ。
「……脅かしやがって」
「え、リナこれにびびったの?なにそれ。」
「うるさい。まだ終わりじゃない。」
どちらが女性用の入り口かわからないが、とりあえず右の通路へと赤面を隠しながら進む。
真っ暗な更衣室にはいくつかのかごが丁寧にならべらていた。そしてそのうちの1つには色の褪せた衣服が乱雑に放りこまれている。入 浴 中 ?という文字の羅列が間抜けなフォントで脳内を駆け巡るも、衣服にこれでもかというほど積もった埃の層が私を現実へと引き戻す。
「誰もいませんね。ここの浴槽は干からびていましたし。次いきましょうか。」
きちんと湯舟まで確認したシャノンはつまらなさそうにぼやいている。
「どんなお風呂だった?ちょっと見てくるね。」
「ダメです!タイルが割れていて危ないのでダメです!」
珍しく語気を強めるシャノン。なぜだか気持ちの悪い汗が背中を流れた。
「えー。じゃあなんのためにこんな暗くてかび臭いとこ入ったんだよー。」
「ダメなものはダメです。」
いつも通りフローはずるずるとシャノンに引きずられていく。いつも通り?いや違う。
「あの服の持ち主って裸で出ていったのかな?よっぽど慌てていたんだねかわいそうに。」
シャノンは語気を強めたりなんてしない。冷たく注意するだけだ。だけのはずだ。
「知りませんよっ。そんなこと。」
二人の声が徐々に遠のいていく。置いてけぼりにされてしまう。こんなところに。私が本当は寂しがり屋だというのをシャノンは知ってるくせに。ばか。
「きっとお風呂入ってる時に空襲とかあったんだよ。それで急いで飛び出しちゃったんだよ多分。」
そうかもしれない。だがそうでないかもしれない。
「だから知らないですって。」
そうかもしれない。だが知っているかもしれない。シャノンが何か隠しているのかもしれない。
「リナも早く来てください。」
私を呼ぶきれいな声がする。シャノンは私が浴室に入らないか心配しているのだろうか。怖がりの私が入るわけがないだろうに。
「わかってるって。」
考えすぎか。でも、シャノンが浴室で見たものはおそらく……なにか良くないものなのだ。
「なんか疲れたな……」
無用な詮索なんて元よりするつもりはない。私はシャノンの嘘が苦手なところも好きだから。フローレンスは何も気づいていないのだし。
もう片方の通路は先ほどの通路と明らかに雰囲気が違った。単に湿度が高く感じるだけだが。
「お湯だ!勝ちだ!」
先頭をいくフローレンスの声が反響している。今ごろ喜びの舞を披露しているのだろう。とりわけカビ臭い更衣室を抜けると、いくつかある浴槽の中の1つにチョロチョロとお湯が流れ出ていた。しかもそれはかなりの高温なようで真っ暗な部屋は水蒸気で充満している。
「ずっと流れていたんだな。」
「お風呂入ろうリナ!」
確かに、湯船に浸からないと蛇口からの新鮮な水はタンクに貯められそうもない。あったかいお風呂なんて久しぶりだ。石鹸でも持ってこれば良かった。いや、もう使いきっていたな多分。
「そうだな。久しぶりだなほんと。」
ジャボン。早速フローレンスは貯水タンクを抱えて湯舟の水面を揺らす。懐中電灯の光が揺れる水面に反射して小魚の背中のようにキラキラと輝いている。
「るるるーるーるーるーるるーるるーるーるー」
反響するフローレンスの鼻歌。衝動に駆られて湯舟に飛び込む身体。
「わっ。びっくりした。」
「ん、あったけえ。」
じょぼぼぼとタンクにお湯が溜まっていく。水圧を変えることはできなかったため、溜まりきるまでしばらく時間がかかりそうだ。ちょうど良かった。ガシガシの髪がほぐれていく。
「シャノンも入りなよ」
「私は定期的にメンテナンスしているので清潔です。気にせずごゆっくりしてください。」
「え、そういえば。」
「ん?」
「シャノンがメンテナンスとかしてるの見たことないんだけど。いつしてるの?一人でできるの?」
確かに私も見たことはない。
「一人でできますよ。そんな人様に見せるものではありませんし。」
そうなんだ……全然手伝うのに。
「へー今度見よ」
「嫌です。セクハラですよそれ。」
「ケチー。」
セクハラなんだ……そっと覗いてやろう。
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身体が火照って、耳鳴りもしてきた。このままでは、ここで溶けてしまいそう……。
「フロー」
「はい?」
「さっきの鼻歌を。もう一回。」
「どんなんだっけ?」
「るるるーるーるのやつ。」
「あーはいはい。るるるーるーるーるーるるーるるーるーるーるるるーるーるーるーるるーるるーるーるーるるるーるーるーるーるるーるるーるーるー…………
…………どのくらい時間が経ったのだろうか。ライトも節約のため切っているため、真っ暗だ。気が付くと2つの貯水タンクは満杯になっていた。
「そろそろ出ようか」
「ブクブクブクブク……」
遊んでいるフローレンスは放っておいてタンクを抱え早々に建物を出る。上層の基盤がないところでは雪が降っているのが見えた。
「寒。いつのまに。……屋根があるところで助かったな。」
上層ではもう雪が積もっているのであろう。
「あっ向こう雪降ってるよ!次あっちいこうよ。」
「やだ。寒いだろ。」
「えー。そんなに痩せてるから寒いんだよ。もっと脂肪つけなって。」
「同じもの食ってるのになんでそんなにぷにぷにしてるんだよ。」
「くっくっくっ。リナは考えすぎて脳にエネルギーとられてるんだよ。」
「言ってろ」
なんだか今は気分がいい。今日は特別に許してやろう。たとえ不要な招き猫がフローレンスの小脇に挟まれていたとしても。
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