第35話 スペンサー草
ミラーハさんから包丁をもらった次の日、ダンジョン攻略も佳境に入っているという話を聞いた。5人組のパーティーが率先して罠を解除したり、強い魔物を討伐したりして、間もなく最深部に到達するのではないかということだ。
男3人、女2人のパーティーだということだから、たぶんハンナさんたちのことなんだろうなと思う。
「じゃあ、もう少しかかりそうかな」
行きは良い良い帰りは恐いのがダンジョンで無計画に進むと戻ってこられなくなる危険の多い場所だ。カシムさんやルーベルくんがいるから引き際はわかってそうだけど、新しくできたダンジョンだから油断はできない。
ただ、出てくる魔物はそこまで強くないという話だった。
回収した衣類の大部分はクリーニングを終えて、残りは素材がはっきりしないものばかりだ。図書館に行って調べたり専門の職人に訊かなければどうにもしようがない。
リンネさんのところで買った図鑑を開いていたら、ヘビーモスの記述があった。
「あ、このページはまだ読んでなかった。えっと、何々、ヘビーモスの特徴は……」
皮以外にも多くの材料となって、高い魔法付与を施せて、前に訊いたように魔法付与のランクを上げることができる。とりわけ、魔石には素材としての価値が高いのは他の魔物とも共通している。
「魔石かあ。アクセサリーとかにも使われてたんだよね」
私が付けている腕輪とか、ハッバーナの町でマーサさんやキリューさんに渡したアクセサリーはどうやら何かの魔石である可能性が高い。魔石を分類した本を購入して勉強した方がいいのかな。これについてはデジカメでサッソンさんやヨークさんのところでいろんな素材や魔石を記録させてもらったものを何回も見直しているけど、網羅されていないのが心残りかな。
実際に魔物から魔石が回収される場面には出くわしたことはないけれど、形も色も様々な石を身体に内蔵している。大量に魔物を討伐する場合、全部の回収は無理でも魔石の回収だけはするようだ。
ヘビーモスの皮に関していえば、ほとんどの攻撃や魔法を通さず、攻撃が届かない。ヘビーモスの皮の構造は、おそらくかなり緻密なものである。図鑑ではそれ以上のことはわかっていないけど、特性上、水洗いをしたところで繊維を傷めないだろうなと思う。
それにしても弱点もほとんど存在しないのだから、どうやってあのヘビーモスを討伐して、そこからマントを作れるようになったのか、その経緯は知りたいなと思う。皮を加工するだけでも大変な作業になるだろうな。
「じゃあ、今日は違う作業をしますか」
時間を無駄にしたくないので、今日はクリーニングした衣類の中で工房や職人のマークがある衣類を分類して、マークの整理と、衣類の記録をすることにした。
デジカメで撮って、ノートパソコンの中にデータを移してから、フォルダ毎に分類をするという地道な作業だ。これはハッバーナの町にいる時からこつこつとやってきたことである。
刺繍とか焼き印、別の布を貼り付ける、そういう形でマークが付けられている。衣類とは別に、このマーク自体にも良い状態で保存がされるように魔法付与がなされていることが多いようだ。特にヨークさんのお爺さんのマークにはそういう付与が施されていて、リンネさんの座布団がそうだったのだろう。
「職人の顔のようなものだから、そういうところにまで配慮したってことになるのかな」
作業を終えて、まだ昼間で人の往来も多いので外に出た。ダンジョン前に並ぶ店の一つに薬屋があった。主に傷薬を売っていたのだけど、手荒れにも効く薬だと宿屋のシリルちゃんから聞いていた。
「すみません、手荒れに効く薬ってありますか?」
「ああ、あるよ。これだね」
お店には60才くらいのお爺さんだけがいて、キラクさんという薬師である。
「買う前に試しに使ってみな」と言われたので、手に塗ると数秒経っただけで目立った手荒れが治っていく。なんだこの即効性の薬は?
「こんなに効果のあるものなんですね。あ、失礼しました。私、こういう薬を使うのは初めてなんです」
「いーよいーよ、まあ冒険者以外にも馴染みのないもんだからなあ。手を使う仕事か」
「はい、ちょっと気になっちゃって」
私もゴム手袋をしながら作業ができるわけじゃなくて、何も付けないままでやることが多い。それは微妙な繊維とかテクスチャーを確認する意味合いもあって、だから手が荒れてしまうのも必然的に起きるので仕方ないと思っている。
「この薬は珍しい薬草でね、金貨7枚だ」
うーむ、金貨7枚か。背に腹は替えられないとはいえ、それほど深刻というわけでもない。少しだけ保留にしておいた。
魔物に噛まれたり引っかかれたりした傷だったら別の薬があるけど、ピンポイントに手の荒れを治す薬は需要がないから高めに設定されているようだ。
「すみません。もう少し考えさせてください」
「ははっ、大丈夫だよ」
2、3ヶ月くらいは保つもののようで、コスパが良いのか悪いのかはわからないけれど、目に見えるほどの効果の誘惑に抗えそうもない。けど、金貨7枚か……。
キラクさんは他の店と同じように人が集まっているところの中でも怪我をすることの多い人たち、つまりここではダンジョンに挑む冒険者たち相手に商売をしている人のようだ。
「日に日に増えていってますよね」
今はもう300人以上はいると思う。入れ替わった人数を考えると延べ数でいえば1000人はいるように思う。
「そうだなあ。そろそろ薬も売り切れになっちまう。また薬草を仕入れて調合せんといかんな」
「あ、そうだ。スペンサー草の買い取りってできますか? どこで売るかよくわからないくて」
なんとなくルーベルくんの言葉に流されていたけど、少しくらいなら売って資金にしたい。
「スペンサー草! あるのか?」
「はい」
そう言って、一束ほど鞄から取り出してキラクさんに手渡した。まだ同じものが5束ある。
「ほおー、これは随分品質が良いスペンサー草だなあ。実に良い根だ。久しぶりにこんなのを見るわい」
「そうなんですか?」
「発見するのは偶然だからなあ、時間経過のない【収納】効果のある容れ物に保存しないと、引っこ抜いて数時間で薬効が半分以下になっちまうんだ」
それほど時間が大事なのか。それは私の仕事とも同じで、シミは事件経過とともに落としにくくなる。
「あの、お値段はおいくらでしょうか」
「そうだな、この束なら金貨10枚でどうだ?」
「それじゃあその値段でお願いします」
たぶん、ケージくんが売った時よりも買い取り価格が上がっている。ずっとお金は使い続けていたから、このあたりで儲けておかないと生活が成り立たなくなる。
「いやあ、こんな場所でスペンサー草を入手できるとは思わなんだ。どこにいっても在庫切れでな、在庫があってもしなびて使い物にならん。これでかなり強い傷薬ができる。嬢ちゃん、また入手できたら売ってくれるとどこよりも高く買い取るぞ」
「あ、はい。私も期待しています」
キラクさんは私にまだ在庫があることに気づいているようなところはあったが、まあもう1、2束くらいなら売ってもいいかもしれない。しばらくはここにいるらしいので、もう数日悩んでから売ってもいいだろう。
「ところで嬢ちゃん、あんまり人の多いところでスペンサー草とか、その鞄を見せない方がいいぞ。ここ最近、このあたりも物騒だからな」
キラクさんが言っているのは潰し屋の存在のことだった。テント内の荷物が無くなっている、そんな窃盗行為が度々起きているようだ。こういう場所には警察がいるわけじゃないから、完全に自己責任だ。
「わかりました。ご忠告ありがとうございます」
キラクさんは今日は店じまいで、さっそくスペンサー草の成分を抜き取る作業をするようだ。鮮度が命なんだなあ。
キラクさんはさすがに空間系スキルを持っているわけではなく、『調合』というスキルを持っている。宿屋のシリルちゃんのところで部屋を借りて調合をしているという。
なるほど、そういう使い方もできるんだな。
用事を終えるとすぐに店に走って戻った。昼間の風も厳しさを増してくる。風邪を引かないように用心しておこう。
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